13 気になる場所
「あっ、それと、途中の仕事はもう一つあってね」
「はい、なんでしょう?」
「魔導書庫の棚数の確認」
「棚数?」
私が鸚鵡返しに聞くと、メラニーさんはうなずいた。
「そう。室内にある書架――本棚の数を数えて、図書の収容数を確認するの。メジャーで計りながら、どれくらいの大きさの書架がいくつあるかって調べてね。図書館の改装に合わせて、そういうのも再確認したほうがいいっていう話になってね」
「それもまた骨が折れそうですね」
メラニーさんは頷き、表情を曇らせて言った。
「ただでさえ大変なのに、今ちょっと面倒なことになっていてね」
「といいますと?」
「クロユリさんが入る前にね、私も一度棚数の確認はしたのよ。でも私が調べた棚の数と、何十年か前に調べていた収容数が一致してなくて」
「…………」
図書館の内装はリニューアルされたが、魔導書庫はそのままであったとジップさんが言っていた。
変わっていないなら、最近の棚数も過去の棚数も一緒のはずなのである。
それが合っていなかった。
彼女はそう言っているのだ。
「私の数え間違えだと思うんだけどね、館長が直に確認してみるって書庫に行って起こったのが昨日の出来事なのよ。今朝、昨日の話を聞かされて申し訳なくなったわ。私が数え間違えなければあんなことにはなっていなかったかもしれないのに」
「あとで棚だけ追加したのでは?」
「その可能性も含めて、館長が調べに行ってくれたの。そうしたら……だから、昨日館長が死んだのは私のミスのせいでもあるのよ」
「…………?」
それは、妙だ。
明らかな違和感がある。
館長は、狂度クラスの高い魔導書を読んで狂死したのではないのか?
棚数の確認をするだけなら、魔導書は手に取らなくてもいいはずだ。
なぜ館長は、あんなことになってしまったのだ?
「いや、待て」
私は館長が死んでいた場所へ足を運ぶ。
後処理をしたのは私だ。位置は今でもはっきりと覚えている。
右奥手前の、本棚と本棚の間。そこで血まみれになり、館長はうつ伏せに倒れていた。
「クロユリさん、どうしたの?」
「その、ちょっと気になることがあって」
苦笑しながら答えて、私は床に目を落とした。
ちゃんと血は拭き取った。
木目と木目の隙間にだって、血はついていない。
館長はどうやって死んだのか?
問題はそこだ。
「館長は、たぶん無意識に、所蔵されている魔導書に血が飛ばないように喉をかきむしったはずです」
となると、立ちっぱなしでは絶対に血が魔導書にかかる。
「こう」
私は膝をついて、四つん這いになった。
片手で手をついて、もう片手で首を引っ掻く仕草をする。
……なんだかやりにくいな。
「えっと、もっと……こう?」
おでこで上体を支えながら、首をかきむしる真似。
バランスは、取れているんだけど。
「ク、クロユリさん……?」
「違う。これでもいいんだけど、まだ……」
これだと左右から血が飛び散るかもしれない。
もう少し体勢を変えてみる。
両肘でも体を支えつつ、顔は横。お尻を突き出すようにして、側頭部で上体のバランスをとりながら、首の側面あたりを床にこすり付けるように近づける。
できるだけ床と掻き毟る箇所をくっつけるようにする。そして引っ掻く際は縦に爪を立てる。こうすれば、血は横に飛び散らず床に流れやすくなるはず。
「そう、きっとこんな感じだ」
「ク、クロユリさーん? どうしちゃったの?」
「あ、すいません。声は聞こえてたんですが、考えるのに夢中で」
私は尻を突き出した格好のまま答えた。
「たぶん館長はこんな感じで首をかきむしったんだろうな、って」
「そ、そうなの?」
「はい」
「わっ、わたしはどうしたらいいのー?」
メラニーさんは所在無くその場でおろおろした。
「メラニーさん、魔導書を読んでいてこんな状態になったとき、魔導書はどうなるんでしょう?」
「いきなりそうなったら魔導書を取り落とすと思うけど……」
そうだ。そのはずだ。
魔導書をしまう余裕がなかったのなら、床に落としてしまうだろう。
でも、そうじゃなかった。
床には何も落ちていなかったし、魔導書には血が付いていなかった。
魔導書を読んでいて狂気に当てられ幻覚か何かを見たのなら、横に魔導書が落ちているのが自然ではないだろうか。
血をつけまいとしてとっさに魔導書を本棚に戻して、それからうずくまって首をかきむしったのだろうか。
これから喉をかきむしって血を流すから汚れないように魔導書をしまっておこう、なんて冷静な思考、正気を失った人間がするだろうか?
でも、だとしたら、館長は魔導書を読んでいたわけではない?
なら、なんで館長はあんなことになったのだ?
あのときここで、何が起きていたのだろうか?
いまいち状況がつかめない。想像できない。
「うーん、わからん」
「……クロユリさん、いつまでその格好なの?」
言われて、自分の今の体勢を確認する。
尻を突き出し、顔を床にこすりつけているひどい格好を。
「ああっ、そうでした!」
とたんに恥ずかしくなって急いで立ち上がり、私は膝を手で払った。黒タイツに埃はあまりついていなかった。
しかし、どうも腑に落ちない。納得できない。
「……メラニーさん、今から二人で、もう一度棚数の確認をしませんか?」
「ええ、それは賛成だけど、なんだかいろいろ突拍子ないわねクロユリさん」
少しゆっくり時間をかけて、私たちは魔導書庫にある棚の数を再確認した。
結果は同じ。以前メラニーさんが調べてくれた棚数と同じだった。
……はっきりといえないけれど、何かおかしい。
確信はないが、この魔導書庫は、何かがおかしい。
棚数を再確認しても、私の中で生まれた違和感は消えないままだった。