第16話
「コーラ」
「……雷魚」
「ら、らいぎょ? よ、よ……ヨット」
「……トランキライザー」
「と、とらき? なにそれ?」
「……レセプト」
「いまのはしりとりじゃないよ! もう何なの! 今日の圭太!」
頭がぼーっとして、ふわふわした心地だった。足を機械的に動かして、機械的にセカイと会話をしている。そんな状態だった。
「ご、ごめん」
「はーっ、まったく」
手を頭の後ろにまわして、セカイはため息をついた。
いつからこんな状態になってしまったのか。記憶をたどる――
「――起きた?」
目を覚ました瞬間、セカイに声をかけられた。気がついたときにはいつもの観覧車の上だった。ただし、今日は頂上じゃなくて、乗り場の入り口に観覧車は位置している。
「今日はあそこに行こうよ」
いたずらっぽく笑うセカイに促されて、僕はデコボコのコンクリートの上を歩く。コンクリートはところどころが隆起していて、かつヒビが入っていた。それは道としての機能を、もはや果たしているとは言い難かった。
「少し歩くよ」
「……うん」
「何か、元気ないね」
「……ちょっとね」
「……」
こうやって二つ返事を返したところまでは、確かに覚えている。しかし、そこからの記憶はあまりない。……だが恐らく、僕の反応に困ったセカイが話題に詰まって、しりとりを始めてくれたのだろう。
「到着、ここ」
「……ここ?」
坂を何本か登り、たどり着いたその場所には、「××自然公園」と書かれたプレートがあった。プレートの名前の部分は、削られた形跡があって、読むことができない。
「……すごいね」
プレートの先にある景色は圧巻だった。
僕の眼前には、ひたすらに黄色が広がる。
菜の花だ。それを映えさせるように、ぽつぽつと茎の緑色が点在する。
不意にその独特な匂いが鼻腔をくすぐる。
それは、あまり好きな匂いではなかった。
この匂いは、始まりを思わせる匂い。期待を思わせる匂いだから。
この匂いに、僕は毎回期待した。今度こそは、と。
だけどその願いを叶えることは、いまだに出来ていない。
そんな始まりの匂いと、この終わった世界とのコントラストは酷く不釣り合いだった。
「……いつか晴れた空の下で、この菜の花を見るのが私の夢なんだ」
「……」
この世界に晴れが訪れたことはない。日中は曇りか、雨。だけど夕焼けだけは、必ず訪れる。夜の世界はみたことがない。その前に、五時を知らせるチャイムと放送が流れて、僕の記憶は途絶えるから。
普通とは違うこの世界に、晴れの日が訪れる気が正直、僕には全くしなくて、無責任なことをいいたくない僕は口を閉ざした。
「あの上からみると、また綺麗だよ」
セカイの指さす方向は小高い丘になっていた。その上には木製のベンチとテーブル。そして立派な屋根がある。
「こんな場所があったんだね」
「へへへー、お気に入りなんだ」
砂利道をセカイと歩く。セカイの笑顔を見ていると、こころなしか僕も元気になってくる。
「……ふふっ」
「あ、やっと圭太笑った」
セカイの表情がより一層くしゃっと潰れた。可愛い笑い方とか、そんなことを気にしない、全開といった笑い方だった。僕がしなくなった、そんな笑い方だった。
丘の上に登ると気持ちのいい風が吹いた。なおかつこれで晴れていたら、気分も爽快だっただろうに。だがそううまくもいかない。
「じゃ、おやすみー」
「えっ」
聞き間違いなのではと感じてしまうぐらい突拍子のないセリフを放つセカイに驚き、思わず声を漏らした。
「なに、どうかしたの?」
「ね、寝るの?」
「……? うん」
「何を言っているんだコイツは」といった表情で、セカイは僕の方を見た。
「圭太も寝れば?」
「寝るためにここまで来たの?」
「そうだよー。ここ、風が気持ちよくて寝やすいんだー」
セカイはすでにベンチに寝っ転がって、目を瞑った状態で僕にそう言った。
「……自由だ」
「ん、なんかいった?」
「……いや、なんでも」
まさかそうくるとは思わなくて、思わず苦笑いを浮かべた。というか僕は、さっき起きたばっかりなんだけど。
「……イヤなことがあったらさ、とりあえず寝てみなよ。その後起きてみると、意外と気が楽になってたりするからさ」
不意に放たれた言葉は、僕の胸中を見透かした上で放たれたような、そんな言葉だった。
「……イヤなことなんて、何もないよ」
そう返事をすると、セカイは上半身を起こして僕の方を向いた。
「えー、ウッソだー。あんなに触れてほしいですオーラだしといて」
……どうやら僕の今までの挙動は、セカイには「触れてほしい」というサインに見えたらしい。一瞬、そんなことないと否定しようとしたが、そう見えてもおかしくないかと考え直した僕は、苦笑いを浮かべることしかできない。
「まあさ、今回はどこかで分かってたんでしょ。私に相談しても、意味がないって。だから圭太も、私には何も言わなかった。そういうことでしょ?」
言葉の途中でセカイは体を横に戻し、向かいのベンチにいる僕に背を向けた。
「それなら、私はいま、圭太の一番欲しい言葉をあげる」
言葉の後に、僅かな間が生まれた。
「……私は何があっても、圭太の味方だから」
背を向けたセカイから、その表情を伺い知ることが出来ない。でも、それは僕にとっても、好都合だった。
「……セカイは、僕のことを何でも知ってるんだね」
僕は声が震えないように、必死に言葉を紡ぐ。
「うん、そうだよ」
そんな僕とは対照的に、セカイの口調は平坦そのものだった。
「……私のことを気にかけてくれるのも、圭太だけだからね」
そして最後に、彼女は一拍置いて、僕にそう告げた。