第15話
「今日は、いきなりのお誘いだったのに、あ、ありがとうございました!」
「い、いやいや、こちらこそ」
深々と頭を下げる河野さんをみて、思わずこっちも深く礼をしてしまう。
駅にさす西日は強く、駅周辺の色合いがオレンジに統一されていた。一日の終わりを象徴するその色に釣られるように、人々も駅のホームにどんどん吸い込まれていく。
「すごく面白かったよ。小説もすぐ読むよ!」
僕が借りた文庫本を斜めがけのバックから出すと、河野さんは両手を出してふるふると首を横に振った。
「いえ! ゆっくりでもいいですよ! じっくり読んでくれれば! ……また、あの教室で話すでしょうし……」
「……そうだね。確かに」
確かに河野さんからすれば、早く読まれるより、じっくり読まれた方が嬉しいのかも。
……それにしても、後半の言葉は嬉しい。僕はまだ、あの教室に行ってもいいらしい。
「じゃあ、しっかり読んで、なおかつ話すために、早くも読むよ」
「ふふっ、それがベストです」
そういって、河野さんは待ち合わせの時と同様に口に手を当てて笑った。こころなしか、その表情は待ち合わせの時より柔らかい気がした。
時計をみると、時間は十八時になる直前だった。あんまり遅くなっても河野さんに迷惑だろうし、僕も夕飯の準備がある。ここら辺が潮時だろう。
「じゃあ、河野さん――」
河野さんのほうを振り向いた瞬間、ドクンと心臓が跳ね上がった。
「?? 加賀君?」
河野さんは、首を傾げていた。
「――つうかさあ、あれ買いなよ。すっごい似合ってたよ」
「んー、でも、あっちの店のジャケットも格好良かったんだよなあ。んー、悩むわ」
視線の先に居たのは、間違いなく同じクラスの木林くんと飯田さんだった。
「……河野さん、こっち行こう」
「えっ……」
「……っ、はやく」
困惑しながらも、河野さんは僕の後ろをついてきた。
「この後、どうする?」
「んー、ご飯食べたいよね。でも、どこにしよう」
後ろを振り向いて、改めて会話を交らせる二人を確認する。
間違いなかった。私服を着ていて一瞬別人かとも思ったが、その顔には見覚えがあった。
勝ち組、トップカースト、一軍。形容の仕方は幾らでもある。サッカー部とダンス部に所属する二人はクラスの中心で、明るくて、垢抜けていて、求心力がある。僕と真逆の存在。
だからこそ逃げた。見つからないように全力で。
はち合わせて、河野さんが僕と一緒に居ただなんて、汚点になると思った。噂になったり、ちゃかされたら、河野さんの迷惑になると思った。だから決して、歩みは止めなかった。
「か、加賀くん」
「ごめん、でもついてきて」
しばらく歩いて、人通りの少ない通りに出た。そこで僕はようやく、歩くのを止める。
「……加賀くん」
「……」
一旦落ち着くと、我ながら自分の無能さが憎かった。逃げるのに夢中だった僕は、その後の弁解も、言い分も、全く考えてはいなかった。
「……あ、あのっ」
もっとスマートな行動は幾らでもあっただろう。僕はいま居酒屋や飲食店がたち並ぶ通りに立ち尽くしてしまっている。
状況は言い訳の仕様がないように感じられた。僕は観念して、正直に事の説明をしようとする。
「ごめん、河野さん。あのね――」
「……私と一緒に居るところを見られるのって、そんなに恥ずかしいことですか」
だけど、それよりはやく突きつけられたその言葉は、深く、重く、冷たくて、予期せぬものだった。
「さっき後ろに居たの、飯田さんと確か……木林くん、でしたよね。……私と一緒に居るところって、そんなに見られたくないものでしょうか」
「ち、ちがうよ!」
その声音は、僕が今まできいたことないもので、驚いて言葉に詰まる。
「河野さんに迷惑が掛かると思ったんだ。僕なんかと休日一緒に居るだなんて、万が一噂されたりでもしたら、河野さん嫌な思いするだろうって、そう考えたんだ」
「……いまの状況だったら、誰だってそういいます」
「違うんだ。違うんだよ、河野さん――」
「……いいんです」
河野さんが、僕の言葉を遮る。訴えかける河野さんの声は大きく、周囲の人たちが、僅かにこっちを振り返る。
「……加賀くんと一緒に居ることが恥ずかしいなら、一緒に映画なんて見るわけないじゃないですか」
河野さんの瞳には、少し涙が溜まっているように見えた。
「……今日はつきあってくれて、ありがとうございました」
こちらを見ずに、河野さんはそう呟いてその場をあとにする。
取り残された僕を見て、周りの人が困惑しつつこっちを見ているのがわかる。
「……喧嘩?」
「えー、なにあれ」
その場に立ち尽くす僕には、そんな周囲の喧噪が、やけにはっきりと聞こえた。