第12話
「……はやく来すぎたかな」
腕時計に目をやると、時刻は待ち合わせの一時間前だった。
背中の方を振り返ると噴水が水面を跳ね返り、陽の光が反射してキラキラとしている。その周りを囲んで、スマートフォンをいじったり、本を読んだりと各々の行動をとる人たちがいる。
「ごめん、待ったー?」
「ううん全然、行こうか」
お目当ての女性が来て、僕の隣にいた男性は、スマートフォンをポケットにしまって女性と腕を組んだ。
……改めて、僕がなんでこんな場違いな場所にいるのか。今でも不思議に思う――
「――あ、あの……加賀くん!」
「ん、なに?」
ここ最近習慣となった五階での昼食中に、河野さんはこの話題を切り出した。
「あ、あのーそのですねー……え、映画とかって、結構見ます?」
言い切ると、河野さんの額には、僅かに汗がにじんでいた。
「……うーん、普通かな」
一般の人がどれだけの頻度で映画に行くのかもわからないくせに、僕は無責任にそう答えた。
「あっ、なるほど。ふ、普通ですか」
河野さんは「なるほど」「普通かー」等と小さく声を漏らし、気まずそうにしていた。……期待していた答えと違ったかな。
「……とはいっても、どのぐらいが普通かはわからないんだけどね。そうだね、年に……十回行くか行かない程度、かな」
何だかバツが悪い気がして、合間を埋めるようにそう答えた。
「あっ、それだったら、結構行ってる方だと思います。なんだ、映画好きなんじゃないですか!」
「いやごめん、休日に一人でできる娯楽が、映画ぐらいしかないだけなんだ……」
「あっ……」
休日に何となく出掛けて、適当に面白そうな映画を観るのが僕は嫌いじゃない。センスがないのか、大体はずれで終わるけど。
「ま、まあっ、そんな加賀君に提案なんですけどね」
河野さんはコホンと息を整えた。
「こ、今度映画見に行きませんか! チケットが一枚、余ってて!」
河野さんはそういって、財布から二枚のチケットを取り出した。
「私の好きな小説の実写化なんですけど、その、妹が塾の模試で行けなくなっちゃって……」
僕は内心、河野さんに妹が居たことに驚いていたが、会話の流れを遮っても悪いと思い、深く追求しなかった。
「で、どうでしょう? 今週の日曜なんですけど……」
「今週か……」
「ええ、急ですいません」
……正直、予定は空いていた。部活もバイトもしていないので、当然といえば、当然だが。
でも問題は、そこじゃなかった。
――セカイ。
……いや、いい。やりくりは幾らでもできるはずだ。
「うん、大丈夫。行けると思う」
「ホントですか!? 絶対に面白いので、楽しみにしててください!」
「ははっ、ハードルあげて大丈夫?」
「はい、私の一番好きな作品だから大丈夫です!」
河野さんの顔がパアッと明るくなった。この表情を見れただけでも、僕はこの選択が正解だったと思える。
――けど、こんなことになるとは予想しなかった。
自分がひどく場違いな感じがして、キョロキョロと辺りを見渡してしまう。その際に、カップルの人達と目があい、思わず目をそらす。
……一刻も早く、ここを離れたい気分だった。でも、ここで河野さんと待ち合わせしてしまった以上、ここを離れるのも……逆に待たせてもなんだと思うし。
テレビか何かで、デートは一時間前集合が基本だと聞いたことがある。……まあ、これはデートではないのだろうけど。
時間がまだまだあることを知った僕は、改めて自分の服装を見直した。おしゃれな服装とはいわずまでも、精一杯清潔感のある服を選んできたつもりだった。デニムシャツに黒のズボンを合わせ、スニーカーは一番綺麗な外出用のものを履いた。全部セールで買った安物だったけど、洋服にアイロンはかけたし、スニーカーも洗濯したてだった。おしゃれだとは言えなくとも、汚くはないと信じたい。
服装が似合っているのか、そんなことが何となく気になって、シャツのボタンをいじっていると、誰かが小走りで近づいてきたのが見えた。
「す、すいません、待たせちゃいました?」
「……いや、大丈夫だけど。早くない、河野さん?」
腕時計にチラと目をやると、時刻は僕が来てから五分も経っていなかった。
「……ふふっ、それ、加賀くんのセリフじゃないと思いますけど」
河野さんは手を口に当てて笑った。それはいつもと同じ仕草のはずなのに、可愛く見えてしまう。
原因はわかっていた。河野さんがいつもの制服とは違って、私服だったからだろう。
白のシルク生地のシャツ、というのだろうか。詳しくはわからないが、そういった上着に、黒のロングスカートと春らしいサンダルを合わせた河野さんの格好は、今日の青空とも調和していて、爽やかかつ可愛らしかった。
「……じゃあ、早いですけど、と、とりあえずどこか行きましょうか」
「う、うん、そうだね」
目を逸らしながら僕に言う彼女の姿を見て、思わずこっちも緊張する。
彼女と歩き始めた僕の両手は、汗でじんわりと滲んでいた。