天界にて2
光明は現れた文字が読めなかった。正確には最初は読めなかった。カタカナを想定していたら漢字三文字だったからだ。
「天の、邪の、鬼?」
「例外だな。天邪鬼と出た事など今の今まで一度もない。やはり君は何かがおかしい。本当に天使なのかさえ信じられなくなってきた」
北村はふちなし眼鏡に手を押し当てる。そして深く呼吸をした後に光明を鋭く睨み、羽を広げた。
「力を行使する! アテナ《降臨》」
「えっ!?」
北村の羽がより大きく広がる。同時に北村の天心が増していく。
「『光束』」
「なっ!?」
北村の手から放たれた強固な光の輪が光明の身柄を捕らえる。その事態に悲鳴をあげるのはつばきだった。
「北村! 何をする気ですか!?」
「つばきさん、勘違いしないで下さい。今から詳しい話をアテナに聞きます。彼の処分はその後で僕の客観的主観に基づいて行います。それまで抑えるだけです」
「し、しかし」
「黙っていて下さい。これはアテナの間の上位天使である僕の判断です」
北村は目を閉じ、真面目な顔でアテナと意思の疎通をする。光明はその様子を捕らえられたまま不安に眺めるしか出来ない。
「ふむ」まず北村は頷く。
「はぁ」次第に北村の表情が曇り始める。
「えっ」そして北村の表情が歪む。
「そんな……」最後に北村の全身がうなだれる。
「北村、アテナはなんと言ったのですか」
つばきの問いかけに対して北村はゆっくりと頭を左右に振る。
「分からないと……天界の全てを知るはずのアテナがそう言いました……十一の神いずれにも適性が出ないなら、せめて未だ誰も出ていない十二の神ゼウスへの適性が出るのが例外としての普通であり、天邪鬼など知らないと……」
「……そうですか、アテナも知らないとなるとどうするべきか本当にわかりませんね……」
北村、つばきの二人の上位天使が腕を組んで考える。目の前の不格好な少年を無視して。
「あの~~、この輪っかとってくれませんか?」
「いや、まだ君の処分は決まっていない」
「処分って……俺は地界に戻れないんですか」
「地界? ああ、そういえば君はまだ人間で……待てよ、だから例外なのか!?」北村は勢いよくおじいさまのほうを向く。「おじいさま、そもそも一度亡くなった人間を生き返らせるとは簡単にしてよいことなのか!? しかも天使の力まで与えて」
北村は一気にまくし立てる。知らぬ知識への探求心が彼に働いている。
「落ち着くのじゃ北村。確かに寿命、それに加えて事故などといった宿命通りの死に方をした者を生き返らすことは禁止されておる」
「なら、」
「じゃが本来決められていた宿命ではない死に方をした者、つまり知るよしもない世界である天界の者の力によって地界の者が殺された場合には、アポロンの間の上位天使はその者を生き返らすことが許される……はずじゃ」
おじいさまは少し歯切れ悪く説明する。
「はず、ということは確信がないのですか、おじいさま?」
確認をとるのはつばきだ。
「ワシの力で出来ることはだいたいやってよいことしかない……もし許されないことならこんな力はない……はずじゃ」
またまたおじいさまの説明は歯切れが悪い。
「今、アテナに確認をとる」
北村は再びアテナとの対話に入る。おじいさまは不安気に見守る形になっている。当然光明もだ。
しばらくして北村はゆっくりと頷いた。
「北村、どうだったのですか?」
つばきが尋ねる。対して北村は光明のほうへと手を向ける。同時に光明を捕らえていた光の輪が消えていく。それが答えだった。
「おじいさまの行いは正しかった。むしろ、天使によって亡くなった人間は、生き返らせたうえになぜか天使の力を与えなければいけないようだ」
ほっと胸を撫で下ろすのはおじいさまだ。
北村は話を続ける。
「これは僕の推測だが、天使の力をもつ人間の数なんてのは当然簡単に増やしていいものではない。だからこそ地界への干渉は基本的に禁止とされていたのだろう。いつの間にか、僕たちは理由も知らずにただなんとなく守るだけになっていたがな」
「なるほど……」
北村の説明につばきも頷く。
「あの~~」
だが光明はおずおずと質問する。
「亡くなった人間を生き返らせるのはそんなに珍しいことなんですか?」
「そうですね。私は聞いたことがありません」
天界の長であるヘラの間の上位天使つばきが断言する。そのために、光明は余計に疑問になることがある。
「でも……、おじいさまの力をハルは知っていましたよ?」
「えっ?」
北村が驚きと疑問の声をあげる。そしてすぐさまおじいさまのほうを向く。
「どういうことだ、おじいさま? 人間のまま天使の力を持った彼のような者が他にもいるのか? しかもハルさんが知るほど多いのか?」
「いや、違うんじゃ……」
北村の問い詰めにおじいさまは首を横に振る。だが北村は止まらない。
「何が違うんだ? 誰かを隠しているのか? おじいさまは天邪鬼とは何か知っているのか?」
「違う、違うんじゃ」
「だったら」
「ハルなんじゃ……」
「えっ……?」
「ハルなんじゃよ……ワシが初めて生き返らせた人間も、初めて天使の力を与えた人間も……ハルなんじゃ」
おじいさまの言葉に全員が注目する。北村もつばきも、当然光明も知らなかった事実。
「し、しかしハルは普通に下位天使として天界に来て、普通にアポロンの適性が出て」
「そうじゃ。だがハルはその前に一度ワシの力で天使になっており、」
そこでおじいさまの話が不自然に途切れる。
「あぁーー!?」
そしておじいさまの絶叫。
「お、おじいさま、突然どうしたのですか?」
「いかん! 光明、おぬしの母親が二階にあがって来ておる!」
「ええ!?」
光明は慌てて地界を写す水晶へと目を向ける。そこには確かにゆっくりと階段をのぼる母親の姿があった。
「早く、ハルを連れて地界に戻るのじゃ!」
おじいさまはハルの入った球を割り、傷の塞がりをもう一度確認してから光明へと渡す。
「おじいさま、今彼を地界に戻すのはまずい! 彼の未知なる力、悪魔の襲来の可能性、どちらにせよ彼は天界に置いておくべきだ」
「だめじゃ北村。地界に異変をもたらしてはならん! 急ぐのじゃ、光明」
「え……と……」
「急ぐのじゃ!」
「は、はい」
光明はハルを抱えて天界から地界へと降りていく。
残ったのはおじいさま、北村、つばきの三人だ。
「で、おじいさま、彼をどうするつもりだ? それにハルさんの話も終わってないぞ」
「……北村よ、分かっておる。……つばきよ、蒼介を戦場から戻してはくれぬか?」
「見張りにするのですね?」
「そうじゃ。……地界のことはやはりアポロンの間の天使だけで処理をしたいからの……」
地界を任されるアポロンの間の上位天使として、おじいさまも他の天使たちに迷惑をかけたくない。一つの責任であった。
「分かりました。ただし、何かあればすぐに私に連絡して下さい。よろしいですね?」
「……すまぬの」
おじいさまは頭を下げる。だがつばきは気にしてないように地界を写す水晶をしばらく眺めた後ゆっくりと去っていく。
「つばきさん?」
「行きますよ、北村。あなたも私も地界にいつまでもかまってないで、しなければならないことがあるはずです」
「し、しかし地界に現れた悪魔や、アポロを《降臨》させた光明に出た天邪鬼という謎の適性、ハルのことなど……」
「大丈夫。私は天使みんなを信じています。他者の役割に首を突っ込むのは万が一良くない事態が起きたときでよいのです。そのようなときはおじいさまが知らせてくれるでしょう」
つばきはアポロンの間の出口へと歩みを進める。だが北村は動かない。
「北村、光明の力が不安なのは分かりますがだからといってどうすることも出来ません」
「で、ですが」
「私たちに出来ることは彼を、地界を見守ることだけです。ならばアポロンの間に任せましょうというだけです。賢いあなたなら分かるでしょう」
「………………ふっ、つばきさんには敵いませんね」
そう言いながら北村もつばきの後を追い始める。
「すみません。ヘラの間の上位天使である私が、信頼と任せることしかできない駄目な人なせいであなたにはいつも迷惑をかけてしまいます」
「いえ、裁きとは問題が起こった後にしか行えないからそう感じるだけです。結局僕も事前に出来ることなど限られています」
つばきと北村。二人が去っていくまで、おじいさまは頭を深々と下げるだけであった。