黒羽の天使4
居候が食卓にいる。ある意味当たり前の光景なのかもしれない。しかし初日だ。光明には当たり前という感覚はない。違和感しかなかった。隣で普通にハルが座っていることが。
「さあ、ハルちゃん。遠慮しないで好きなだけ食べてね」
「はい、お義母様!ありがとうございます」
ハルは本当に遠慮をせずにどんどん食べていく。光明の母親もそれを眺めて、四合炊くなんて久しぶりだわ~~などと言ってニコニコしている。
「はあ~~」
光明から思わず漏れる深いため息。
「どうしたの光明?」
器用に箸を動かしながらハルが尋ねる。
「いや、改めてなんでこんなことになってるんだろうってな」
「なんでって、こうちゃんが連れてきたんでしょ」
笑顔のまま母親はハルのついた大嘘を信じている。光明はそうだったと苦笑いをするしかない。
「でもこうちゃんもいよいよ人助けだなんて、やっぱり私たちの子よね、賢一さん」
「ん? まあそうだな」
山中家の大黒柱、山中賢一がスープをすすりながらけだるそうに返事をする。
「やっぱりって、どういう意味ですか?」
母親の喋りに少し疑問に思うところがあったのか、豪快に食べながらハルが尋ねる。
「私と賢一さんはねー、貧困家庭の子供を助けるボランティア団体で出会ったのよ。だからね、」
そのとき、ハルがいきなりすみません、と言って立ち上がり、二階へと駆けていく。
「おい、ハル!?」
「ハルちゃん!?」
光明も慌てて後を追いかける。母親もそれに続こうとするが
「やめておけ、母さん。ハルちゃんのデリケートな部分に余計なことを言って……母さんの昔からの悪い癖だぞ」
「賢一さん……」
「光明に任せとけ。ハルちゃんのことはあいつが一番分かってるはずだ」
「そうね……こうちゃんに任せましょ」
こうして、光明の両親は上から聞こえる声と物音に、貧困家庭と言われて傷ついたハルを慰める成長した我が子の姿を想像するのであった。
だが実際は……
「ハル、急にどうして……って……」
光明は事態を理解する。ハルの背から羽が生え、衣服は真っ白に変わっていた。
「ハンカが現れたわ」
「ハンカが……」
「急ぐわよ光明、私についてきて」
ハルが窓を開けて夜空へと飛び出す。光明も慌てて天使となりハルの後を追う。
「ハル、どこにハンカがいるんだ」
夜空を移動しながら光明はハルに尋ねる。ハルは迷わずにまっすぐ進むが光明にはその先にハンカがいるかどうかが分からない。
「感じないの? 微弱だけどハンカは邪心丸出しだよ」
「邪心……あ!」
「分かった? ほら、もうすぐそこよ。準備して」
そしてハルの手に細剣が形成される。
「分かった」
光明も前回の戦いを思い出して剣を形成する。前と全く同じ大きさと形をした純白の剣だ。
街灯よりもはるかに高く、明かりの少ない夜空に浮かぶ怪しげな黄色の点。その数は四つ。つまり二匹のハンカの存在を示していた。
「いくよ、光明」
「お、おう」
ハンカが二人の方を向く。あげられる奇声とも取れる雄叫びが戦闘の合図となった。
「天心開放!」
ハルの羽が大きく開く。横ではなく背の後ろへと伸びた羽は速度のためにも空気抵抗を減らすような格好になっている。向かってくるハンカに対してハルは正面から突っ込んでいき、細剣を突き出す。そしてそのままハンカの黒き身をまっすぐに裂いていった。
「天心開放!」
光明の羽が開く。聖なる力が光明の全身に行き渡る。白剣を構えて力を溜めてハンカの接近を待つ。唯一の攻撃手段である大きな口をあけたハンカが光明の攻撃範囲に入ったとき、聖なる力を宿した一振りによってハンカの黒き身は真っ二つに切断された。
「ふうー、やっぱ疲れるな」
「馬鹿、油断しちゃだめ!」
「えっ」
二人の周りにどこからか湧き出る黄色の目を持つ黒い影。再び悪魔の手下ハンカが現れる。その数は更に増えて四匹になっている。
「嘘だろ……」
「くるよ、構えて」
ハンカは邪心剥き出しで二人に迫る。
しかし力が上回るのはハルと光明の方だ。
それぞれが軽く一匹ずつ倒し、背中合わせで二匹目と対峙する。ハルは細剣を突きだしてハンカの身を貫き、その背後で光明は白剣を振りハンカの身を両断する。
二人の完全勝利に思われた。が、
「邪心開放」
「えっ」
ハルがハンカの身を貫いた先には小柄な青年の悪魔がいた。その左手はハルの斜め上に構えられている。邪心開放の一言とともに青年の黒い羽が大きく広がる。そして
「きゃあぁ!」
青年の左手から強力な風が発生する。流されるままにハルの身体が下方へと落ちていく。
「ハル!?」
突然のハルの悲鳴に光明は後ろを振り返る。しかし前方から注意を逸らしたことはまずかった。
「邪心開放!」
「なっ」
光明の目の前でハンカに勝るとも劣らない大男が邪心開放と共に巨大化した拳を振るう。
「がはっぁっ」
光明は上から叩きつけられて身体ごと下方へと吹き飛ばされる。ちょうどハルと同じ程落下したところでなんとか空中に留まることは出来たが身体の痛みは楽なものではない。
「なんだ、低級悪魔が倒されたらしいから少しびびってたが大したことねえじゃねえか。伊比、本当にこいつらなのか」
「油断するな、ルガリア。まだ奇襲が成功しただけだ」
ルガリアと呼ばれた大男が薄ら笑いを浮かべるのに対して小柄な青年、伊比は手を構えていつでも戦うことが出来るように準備をする。
「俺の見立てではあの女のほうはかなりのやり手だ。ルガリア、女は俺が引き受ける。お前はもう一人の男を早く倒せ。二対一に持ち込むぞ」
「伊比がそこまで言うとはな。いいぜ。あんなひょろいやつ、瞬殺してやる」
伊比とルガリアは一気に下方へと移動する。
「光明、悪魔が来るわ! 逃げて!」
「あれが悪魔……く、くそ」
光明は迫りくるルガリアから距離を取ろうとする。しかしルガリアはそれを許さない。
「待て、ひょろ野郎が!」
「うおっ!?」
振られる拳を光明はすんでのところで懸命に避けていく。だがいつまでも続かない。
「喰らえ!」
「がはっぁ」
ルガリアの拳が光明の背中にヒットする。勢いそのままに光明の身体が遠くへと吹き飛ぶ。
「光明!!」
「女、よそ見をしてる暇はないぞ」
「くっ!」
一方でハルも伊比の攻撃に苦戦を強いられていた。細剣での突進は伊比の攻防一体の風に受け止められ、同時にハルの身体は切り傷を増やしていく。
「俺の見立てではお前は中位天使だと思ったんだがな。違ったのか」
「何それ? もう勝った気でいるの? あまり私をみくびらないでよ」
ハルは細剣を突き出して伊比へとまっすぐに向かう。
「ふん。そんなか細い剣で俺を斬れるものか!」
伊比の左手から強力な風が巻き起こり、ハルの攻撃は中断されて再び両者は間合いを取る。
だが、
「ぐあっぁっ」
「光明!!」
ルガリアの拳によって吹き飛ばされた光明が間に割って入る。傷つきながら立ち上がるが身体は安定しない。
「光明、大丈夫!?」
「なんとか……な。くそ、悪魔ってハンカよりずっと強いな」
「当たり前だひょろ野郎。あんな手下と一緒にされてたまるか」
追ってきたルガリアが伊比の横につきながら大声で罵る。
数の上では二対二だが天使になったばかりの光明にとってルガリアは相手として重すぎた。
ハルは細剣を構えて光明の前に立つ。そして二人の悪魔と対峙する。
「ハル?」
「地界じゃ使わないつもりだったけど状況が状況だもんね」
「おい、ハル?」
光明はハルの放つ雰囲気に威圧される。それは悪魔も同じだった。
「なんだ? あの女?」
ルガリアが不審そうにハルを見つめる。攻めに出ないのは伊比の見立てがあるからだろう。
「下がってて光明」
ハルが背中越しに声をかける。光明は言われるがままに少しだけ後退りする。それだけの空気をハルは放っていた。
「まさか!?そうか、女、やはりお前は中位天使だったか。ならば俺も中級悪魔としてそれに応えるまでだ」
「伊比!?おめえ……ちっ!」
ルガリアも伊比の後ろへと下がる。これから起こる戦いに己の力で巻き込まれてはいけないと悟ったからだろう。
「あなたが中級悪魔なら尚更全力でいかないとね」
「こちらもだ」
そしてハルは細剣を上に、伊比は左手を下に構える。
「力を貸して! アポロン《降臨》」
「力を頼むぞ、アポロ《降臨》」
このとき光明は天使として悪魔と戦うことがどれほどとんでもないことなのかを知る。それほどに強力な力が周囲に満ち溢れた。
ハルの二枚の白い羽は更に大きくなり、全身は青白い聖なる力に包まれている。
一方で伊比も巨大化した黒き羽をその場で羽ばたかせる。それだけで禍々しい邪心の風が辺りを支配するのであった。