黒羽の天使1
天窓というものは思っているほど良いものではない、とその少年は知っている。
雨が降ると音が部屋によく伝わってうるさい。
朝、ゆっくり眠れるはずの休日でも天窓からの光で部屋が明るくなって起きてしまう。
少年の部屋には天窓がつけられていた。
別に少年が欲しがったわけではない。採光量が普通の窓だけでは足りないという理由だけでつけられていた。
しかし、一方で少年は天窓も悪くないと知っている。
夜、ベッドに寝転がれば天窓からは星空が見える。さらに時間があえば月も見える。
そして今、少年はベッドに寝転がって夜空を眺めている。
満ちた月がちょうど上に来ており、幻想的な光が天窓から入ってきていた。
(きれいだな)
少年は決してロマンチストではない。いたって平凡な高校生男子。平均より少し高めの身長と少し軽めの体重と校則に引っ掛からない程度に伸ばした黒髪の普通の高校生。
早い話がそのときの天窓からの光景は誰でも惹かれるものだった。
しかし、
(!?)
その光景が突如歪んだ。
月からの光が暗い室内に散乱する。歪みは天窓で発生していた。何事か、と少年が思っていると、
「そりゃー!」
歪みから突然とかわいらしい少女が落ちてきた。
ただし、細い剣を突き出して。
「うわーー!?」
――グサッ――
少年のとっさの回避も間に合わなかった。細い剣が突きささる。こうして少年は死んでしまった……
「あれ?」
「あれ?」
「うそ! 私、人間刺しちゃった!?」
「はっ!? 俺刺されて……っておわー!?」
少年は事態が一切のみ込めなかった。いや、のみ込みたくなかった。視界に入るのは自分の部屋。ただし真上から見た自分の部屋。そしてベッドにあるのは血を流している自分の身体。なによりも宙に浮いているような今の感覚。こんな状況は一つしか考えられなかった。
さらに横でうろたえている少女。白くて軽そうな衣服を身に纏い、よく見ると背中にこれまた真っ白な羽がはえている。少女の肌が透き通るように白く、また少女の髪が日本人離れした金色なのもあいまって、その様はまさしく天使そのものであった。
「えー、どうしよう!? 人間殺しちゃったし、しかも霊化しちゃったし」
少女がさらりと重要なことを言ったのを少年は聞き逃さなかった。そして絶望した。
――やっぱり幽霊になっている――
「と、とにかくおじいさまに相談しよう。君、私についてきて! ほら、行くよ!」
「え? って、うわ!?」
少女が少年の手を引っ張る。そして天窓に向かって飛んでいく。天窓にぶつかる直前で空間が歪み、少年は天界へと連れ去られた。
~~~~
「あ~、ハルのやつ、最後の忠告の前に地界に飛び降りよって。うまくやれるかの~」
毛根は死んでいるが、かわりに立派な白髭をたくわえたふくよかな老人が天界、アポロンの間でそわそわしていた。
当然白い衣服で身を包み、背から白い羽のはえた天使である。もっといえば上位天使である。
そんな老人のもとに少女は駆けつけた。
「おじいさま~~」
「お~、ハルよ。どうした、早くも戻ってきて……って……」
老人は言葉を失った。
少女――ハルの手にひかれているのは間違いなく霊化した少年だった。
「おじいさま、どうすればいい? 地界に降りたらすぐにハンカがいると思って細剣突きだしたのに、まさか人がいるだなんて」
「ハルよ……お前はなんてことを……」
老人は頭を抱えてため息をつく。部下がいきなりやらかしたのだから無理もない。
「あの……やっぱり俺、死んだんですか?」
少年は恐る恐る尋ねる。周りを見渡せば少年の視界に入る地面に該当する箇所はふわふわとした雲。それでも少年が身体に重さを感じないので地面として成り立っていた。
そして支える屋根もないのに四方には円柱の白い柱が建っていた。ここを地界でいうところの天国だと少年が思うのも無理はない。
「うーむ、死んだといえば死んだんじゃが……」
「おじいさまならまだなんとか生き返らすことが出来ますよね?」
「たしかにそうじゃが……」
「ほんとですか!?」
少年の声が思わず裏返る。平凡なたった十七年の人生だけれども、こんな形で終わってしまってはたまらない。
「じゃが理由もなしにむやみに生き返らせては他の上位天使たちに何を言われるか……」
「理由なんてなんとでもなります! 例えば地界に送りこんだ部下が生活に困らないように一人ぐらい事情を知る人間をつくったとか」
「じゃがの~」
「俺もなんだかよく分からないけど、とにかく生き返らせて下さい!」
「ほら、おじいさま、彼のためにも!」
「ハルよ……おぬし自分のミスをアテナの間に報告されたくないだけじゃろ」
「え、いや~……あはは」
ハルの言葉に老人は深いため息をつく。
「まあよい、少年よ。おぬしを生き返らせよう」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、条件が三つある」
「なんでしょう」
「一つ目、そこの少女、ハルの生活をサポートすること」
「はい」
「二つ目、我々天使に協力すること」
「はい」
「三つ目、これが重要なんじゃが……天界から地界に渡るときに天使の力がおぬしに宿る。その力を使ってハルの仕事の手伝いをすること」
「はい、はい」
本来なら少年に非はないので文句の一つでも言いたいところだが、生き返るためにも少年は二つ返事で条件をのんだ。よく分からない言葉は最悪あとでハルという少女に聞けばよいと思っていた。この先、己がどんな戦いに巻き込まれるかも知らずに。
「では、少年よ。名前を教えてくれ」
「山中 光明です」
そして少年は小学一年生で全て漢字で書けるようになった名前を告げる。
「では、光明、おぬしを生き返らそう」
老人は両手をかざしてぶつぶつと何かを唱える。
「~~~~ゼウスジュピターヘラジュノーポセイドンネプチューンアポロンアポロアルテミスダイアナヘファイストスウルカヌスアフロディテヴィーナスアレスマースアテナミネルヴァヘルメスマーキュリーデメテルケレスディオニュソスバッカス、イン山中光明」
「よしオッケー」
息切れした老人とは対照にテンションのあがるハル。
「いや、オッケーって……俺なにも変わってないんだけど」
そして光明はまだただの霊のままだった。
「地界に戻ればわかるよ。じゃあね、おじいさま」
「って、うわ!」
ハルは光明の手をとって駆けていく。
「……ハルよ……また……忠告が……」
息切れした老人の声は一切ハルに届かなかった。
「そりゃ」
「うわ」
二人が舞い降りたのは再びベッドだった。そこにはもう光明の身体はない。
光明は試しに自分のほっぺたをつねる。まさか実際にこんなことをする日が来るとは思いもしなかった。
当然痛いので夢ではないことを認識させられる。そもそも衣服がハルと同じものになっていた時点でこれは現実だと思うしかなかった。
「おい、ハルっていったか。一体どうなッてんだ?」
「何が?」
「全部だよ! ここまできたら天使の存在は百歩譲って信じるよ。けれど色々あるだろ。第一ハルの仕事ってなんだよ?」
「それはね……」
そこまでいってハルはとまる。
「うん、百聞は一見に如かず。私についてきて」
そうしてハルは窓を開けて外に飛び出す。
「ついてきてって……」
「何してるの、光明だってもう天使の一員なんだから飛べるよ」
そのときになって初めて光明は自分の背を見ようとする。視界の端が真っ白な羽を捉えていた。
「ほら、早く」
「く、くそ! こうなりゃやけくそだ!」
光明は窓に足をかけて思いっきり蹴飛ばした。
ふわりと身体が宙を舞った。