5.現実は
窓を閉めて戻ってきた優月に、俺は思い切って聞いてみることにした。
「優月。優月は兄貴が目を覚ますと思ってる?」
俺の言葉に、優月は少し驚いた顔で俺を見つめてきた。
それからゆっくりと兄貴へと視線を移す。
「…どう、なんだろうね。勿論目を覚まして欲しいよ。でもね、信じ続けるには8ヶ月って時間は、決して短くはなかったかな。
正直分からない」
優月は遠い目をした。
俺は眠ったままの兄貴が憎らしかった。
あの事故、兄貴は子供を助けに飛び出して、ヒーロー気分だったかも知れない。
いや、俺だってホントは分かってる。
兄貴がそんなつもりで、道路に飛び出したわけじゃないってことくらい。
兄貴は本当に子供を助けたかったんだと思う。
そうじゃなきゃ、トラックの前に飛び出すことなんてできなかっただろう。
でも現実は本当に厳しかったんだよ、兄貴。
兄貴が守ろうとした子供は、結局助からなかった。
兄貴のしたことは、無駄に終わってしまった。
それだけじゃない。
子供の親は、自分の子供を失った悲しみだけじゃなく、兄貴を巻き添えにしてしまったことを苦しい思いとして一生抱えていかなければならないし、トラックの運転手は、二人をはねてしまったことで罪は重くなるだろうし、両親は今でも奇跡を祈って日々を暮らしているし、そして何より…
兄貴は優月を悲しませた。
事故にあった当初は、兄貴の友達だとか同僚だとか、後輩だとか…たくさんの人間が面会に訪れた。
でも2ヶ月も経ったら、みんな少しずつ足が遠のいていった。
そんな中、優月だけは離れていかなかったんだ。
確かに病院に来る回数は減ったけれど、優月だって仕事がある。
当たり前のこと。
それでも優月は必ず週末にここを訪れる。
兄貴がこんな風になっても、眠っているだけになってしまっても、優月は兄貴から離れていかない。
俺は毎週ここで優月に会っているのに、俺はちゃんと目覚めているし、こうして生活だってしているのに、兄貴以上になることなんて決してできないでいるっていうのに…。
「のん気に寝てんじゃねーよ」
俺は兄貴に向かって呟いた。
「ホントにのん気な顔して寝てるみたいだよね」
優月は小さく笑った。
「私、時々拓ちゃんだけが幸せな気がする」
「…え?」
「あ、ううん。ごめん、変なこと言っちゃたね。忘れて」
優月は誤魔化すように笑った。
兄貴だけが幸せか。
分かる気がする。
兄貴は子供を助けようとした時のまま、時間を止めてしまって、8ヵ月後の今のことなんてこれっぽっちも知らない。
どれだけの人が悲しんだかとか、苦しんだのかとか。
「分かるよ、優月。俺もそう思うもん」
優月は、俺の方を見なかった。
それでも消え入りそうに「ありがとう」と言ったんだ。