41.日常
優月がいなくなってから、一ヶ月が過ぎようとしていた。
兄貴の四十九日も無事に終わり、俺の日常は何事もなかった頃に戻ったようだった。
ただ、優月はもういない。
それでも俺の日常は、大きく変わることなく、決まりきったサイクルで回り続けている。
優月を心配していた両親に、優月がこの街を出て行ったことをどう伝えようか迷った挙句、俺は「優月の親の体調が悪くって、しばらくは実家で看病するようだ」と伝えた。
母さんはしばらくの間優月がいなくなってしまったことを寂しがったけれど、最近ではその名前を口にすることもなくなっていた。
もう休日にぼんやりとすることもなくなったし、突然取り乱すこともなくなっていた。
家の中全体が、確実に落ち着きを取り戻しつつある。
俺はいつでも携帯を離さないようになった。
そんなにすぐに電話がかかってくるなんて思ってなかったし、第一、優月が本当にいつの日か連絡をくれるなんて限らない。
それでも俺は、いつでもポケットの中に携帯を入れていた。
「圭太、俺さ、バイトしようと思うんだけど、どっかないかな?」
和馬がいつもの軽い口調で話しかけてきた。
「何? 金欠?」
「そうじゃないって」
そう言いながら和馬は俺に近付いて、声のトーンを落とした。
「実はさ、気が早いんだけど年末に瑠未ちゃん誘って一泊予行でも計画しようかと思ってるんだ」
和馬とあの瑠未ちゃんって子は、10日くらい前から付き合い始めた。
「一泊旅行? 一発旅行の間違いじゃないのか?」
「…一発で済むかな」
そう言って二人で声を上げて笑った。
「男二人して何笑ってんの? また変な話でもしてたんじゃない? ねえ、瑠未」
声をかけられて振り返ると、ニヤニヤ笑っている赤城と、その後ろに黒髪に控えめな感じの子が立っていた。
噂の瑠未ちゃんだ。
「な、なんでもないよ。瑠未ちゃん、こっち座ったら?」
和馬ときたら、緊張してなのか、声のトーンも顔つきさえも変わってしまっている。こんなんで本当に旅行なんて誘えるんだろうか?
「うん」
一方の瑠未ちゃんも、全くと言って積極的な印象もない。
二人の周りの空気が、独特な緊張感に包まれているのが、鈍感な俺にも手に取るように分かった。
この二人が自然さを身に着けるまでには、相当な時間がかかりそうだ。
「赤城、飲み物でも買いに行かない?」
「うん、そうだね。私もなんだかのど渇いちゃった」
示し合わせたわけでもないけれど、多分赤城も同じことを考えたに違いない。
「圭太」
「雛子」
和馬と瑠未ちゃんが困ったような声を出していたけれど、俺と赤城はその声を無視して教室を出た。
廊下を歩きながら、赤城はくすくすと笑っている。
「あの二人には、少し二人だけでいることに慣れてもらわないとね」
やっぱり同じことを考えていたようだ。
「見てるこっちがもどかしくなる」
「ホント!!」
「中坊でもあるまいし」
二人同時にそんなことを言ったので、顔を見合わせて笑った。
赤城とは、授業を抜けだして話した時以来、こんなふうに普通の友達として付き合っている。
赤城が本当はどう思ってるのかなんて分からない。
それを聞き出すことなんてできるはずもないし。
第一、分かったところでどうにもしてやれない。
だったら、赤城がこうして俺と友達としての関係を望むのであれば、友達として付き合っていくのが一番なんだろう。
「赤城、何飲む? 俺のおごり」
「えー? いいの?」
「うん、バイトも始めたことだしね」
「じゃあ紅茶」
赤城の紅茶と、自分のコーヒーを買って、自動販売機のそばに設置されたベンチに腰をかける。
「はい」
そう言って紅茶を渡す。
「ありがとう。そっか、圭太君もバイト始めたんだっけ。コンビニだったよね」
「そう。なかなか慣れないよ。いらっしゃいませとか、元気には言えないね」
俺は苦笑いした。
レジの扱いとかはすぐに慣れたけれど、やっぱり接客ってのはどうにもうまく行かない。
「お金でも貯めるの?」
「いや、社会勉強」
「ふうん」
そう、社会勉強。
優月に負けないように、何か見つけようと思ったけれど、そう簡単に夢中になれるものなんて見つかるはずもない。
だからって言って、このまま何もしないでいるのも時間の無駄のような気がした。
それで少しでも知らなかった世界を見てみようなんて思って、コンビニでバイトを始めていた。
仕事って奴は、思ったよりも大変なものだ。
「それにしても、イケメン店員さんだから、女子高生とかの噂になってるんじゃないの?」
「そんなことないって。そんな余裕もないし」
実は、この間女子高生らしい子からメアドを渡されたりしたけれど…。
気分の悪いもんじゃないな。
「そうなの?」
「そうです。仕事覚えるのでいっぱいいっぱい」
二人で飲み物を飲みながら、行きかう人を眺めていた。
こんなにたくさんの人がいるのに、俺の一番会いたい人はここには絶対にいない。
なんだか不思議だ。
「ねえ、圭太君」
「うん?」
「優月さんとは連絡とってないの?」
「…取ってないよ」
突然に優月の名前を出されて、少しだけ動揺する。
未だに名前を聞いただけで揺れてしまう、自分の存在に改めて気付かされた。
「取らないの? 連絡。知ってるんでしょ? 電話番号とか」
赤城は遠慮がちに、でも遠慮してるとは思えないくらいに、はっきりと痛いところを聞いてくる。
勿論、優月の携帯番号なら知っている。
番号を変えてなかったらの話だけどね。
「知ってるけど、俺から連絡する気はないよ」
「どうして?」
赤城は身を乗り出した。
「もう優月さんのこと諦めるの?」
「そうじゃないんだ。俺、待ってるって言ったから。だから、待ってみようって思うんだ」
「…そんなこと言ってて、もしずっと連絡こなかったら?」
やっぱり赤城、遠慮なく痛いところを突いてくる。
思わず苦笑いの表情になった。
「それも考えないわけじゃない。でも、待ってるって言った以上、俺には待ってることしかできないから」
「…ふうん」
赤城は納得の行かない顔をしていた。
確かに納得いかないかもしれない。
俺だって、自分のことじゃなければ、こんなにじれったいのは納得がいかないだろう。
でも、待ってるって言ったんだから俺は待ってる。
ちっぽけなプライドかもしれない。
それでも何かを見つけよとしている優月に負けない自分になれるまでは、プライド抜きにしてもやっぱり連絡なんてできそうもない。
何かを見つけなきゃ、きちんとした自分にならなくちゃ、きっと何かを見つけた優月から見た俺は、出会った頃のままの「圭ちゃん」と同じようにちっぽけに違いないから。
「それでいいんだ」
何となく清々しい気持ちでぽつりと言った。
「ふうん」
さっきと同じように赤城も言った。
だけどさっきと違って、赤城もちょっと笑っていた。
何か通じたのかもしれないし、呆れているだけかもしれない。
そんなことは分からなかったけれど、それはもうどうでも良かった。
ただ、俺は優月に負けないように前を向いていかなくちゃいけない。
講義が始まる時間も近い。
「さあ、そろそろ時間だし行こうか」
「そうだね」
空になった缶をゴミ箱に捨てて、赤城と教室に向かって歩き出した。
窓の外に広がる空はどこまでも青い。
この空は優月の住む町まで続いている。
優月の空も晴れ渡っているだろうか?