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40.隠してきた想い 2

「別れてほしいって言ったの。ちょうど一年くらい前に」


言葉を失った。

兄貴と優月がそんなことになってたなんて、思いもしなかった。

てっきり二人はうまくいっているんだと思っていた。

二人がそんなことになってるなんて、その頃の兄貴を思い出してみても、思いあたる節もない。

「兄貴、そんなこと一言も…」

「そっか。やっぱり言ってなかったんだね。拓ちゃん、変なとこプライド高かったから」

「じゃ、じゃあ、兄貴とは別れてたの?」

その質問に、優月は大きくかぶりを振った。

黒髪が、ふわふわと舞う。

「拓ちゃんは、別れないって言った。絶対に別れないって…。それで、事故に遭う二日前に…結婚しようって、そう言ったの…」


初めて聞かされる真実に、軽い眩暈さえ覚えていた。

二人に別れ話が出ていたことも、兄貴が優月にプロポーズしていたなんてことも、今日優月に会うことができなければ、一生知らなかっただろう。

いつもパーフェクトに何でもこなしていたように思えた兄貴が、優月とのことで悩んでいたなんて、そんなこと、思いもしなかった。

全てが順風満帆だと思っていた。

きっと俺だけじゃない。兄貴の周りの人、みんな。


「でもね、断るつもりだったの。はっきりと。その返事をするはずだった。拓ちゃんが事故に遭ったあの日」

優月は自分の膝に顔をうずめた。

「会って、ちゃんと私の気持ちを全部伝えて納得してもらうつもりだった。なのに、なのに拓ちゃんは…」

くぐもった小さな声は震えている。

「…もしかして、兄貴が事故に遭ったのは自分のせいだと思ったの?」

俺のその言葉に、優月は答えなかった。

きっとそれが答え。

「兄貴は子供を助けようとしただけだよ」

俺の言葉は真実だったけれど、その言葉は簡単に風に吹かれて飛んでいってしまった。多分、優月には届いていない。

「これはきっと罰だと思った…。散々今まで拓ちゃんに寄りかかってきたくせに、別れたいなんて言った私への罰なんだって。だからね、拓ちゃんのそばにいようって決めたの。そばにいて、目を醒ましたら、もう二度と別れるなんて言わないって、そう決めたの」


優月の言葉で、色々なことに納得がいった。

いつも頑なに兄貴のそばにいたことや、そばにいるって決めたからってあの言葉も。

全ては罪の意識がそうさせていたんだろう。

この8ヶ月、どれだけ辛かっただろうか。

俺には想像もつかない。

ベットのそばに座りながら、自分を責めていたのだろうか。

「でも、拓ちゃんは最後まで目を醒まさなかった。都合がいいかもしれないけれど、勝手だって思われるかも知れないけれど、私、きっと拓ちゃんが許してくれたんだと思うことにしたの」

「だから、この街を出ようって?」

優月は小さく頷く。

「勝手なことは十分分かってるんだけれど、それでもやっぱり『勝手だ』って責められるんじゃないかと思ったら、どうしても言い出せなかったの。どこまでも自分勝手だよね、私」

そう言って、悲しそうに笑う。

「誰も責めないよ。いや、少なくとも俺は優月のこと責められない」

慰めるつもりで言ったんじゃない。本心。

本当に勝手なら、最後まで兄貴を見守ったりしなかっただろう。

いつでも自分の思うまま、この街を出て行くことだってできたんだから。

でも、優月はそれをしなかった。誰でもできることじゃない。

「ありがとう」

優月は呟くようにそう言った。


「でもどうして? 俺、兄貴と優月はうまくいってたんだと思ってた」

それが不思議でならなかった。

兄貴は紹介すれば、誰もがうらやむような相手のはずだったから。

「そうだね」

一番辛かった想いを口にしてしまったからだろうか、優月は多少落ち着いた様子で話し始めた。

色々なことを聞くのは、たくさんのことを思い出させて辛い思いをさせることかも知れない。

それでも俺は優月の想いを知りたかったし、そうしないと、俺自身どこへも進めない気がしていた。

一人旅立とうとしている優月に、置いて行かれるような気がした。

「兄貴のこと、好きじゃなかったの?」

「そういうことじゃない。

私ね、ずっと拓ちゃんに寄りかかってきたの。でも…あるときからそれじゃダメじゃないのかなって思うようになってた。きっかけなんてもう思い出せないけれど、いつも拓ちゃんの後ろを歩いていて、自分で歩いてる感覚が持てなくなってた」

深いため息をついた。

そのため息が、それまでの優月の苦悩を物語っているように思えた。

「このままずっと拓ちゃんと一緒にいたら、私、何も考えないでもきっと幸せになれるとは思ったの。

だって、拓ちゃんは優しかったし、いつだって正しかったから。でも、それでいいのかな?って思うようになってた。不満とかそういうことじゃなくって、ずっと拓ちゃんにおんぶされていて、自分の足がダメになってしまうような…分かる?」

「何となく…」

優月の言いたいこと、全てが分かるわけじゃない。

誰かに頼って生きていくこと、そのことが自分で歩いていってないって事にはならないんじゃにかって、そう思う。

でも、いつだって完璧に色んなことをこなしてきた兄貴だからこそ、優月の人生さえも完璧にこなそうとしたのかもしれない。

もしそうだとしたのなら、それはきっと窮屈なことだろう。

誰かの手の中にある人生なんて、俺だったらまっぴらだ。

「それで、一人になることを考えたんだ」

「そう」

薄暗くなってきた堤防で、二人、風に吹かれる。

「どこへ行くかは、教えないつもりなんでしょ?」

その質問に、優月はまたしても困ったように笑った。

困らせるつもりはない。

優月が言いたくないのなら、聞くつもりはなかったから。だから、質問を変えた。

「これからどうするの?」

「…従姉妹がね、一緒に部屋を借りようって言ってくれてるの。だから、そこに行くつもり。そこで新しい生活を始めようと思ってる。

やりたいこととか、そういうのが見つかるかどうかも分からない。自分の足でとかかっこいいこと言っちゃったけど、結局は従姉妹に頼っちゃってるし。でもね、少しずつでいいから、自分の道みたいなもの、探したいんだ」

そう言う優月の瞳は、俺が見た中で一番真っ直ぐだった。

もう既に未来を見ている目。


「ごめんね、圭ちゃん」

真っ直ぐ前を向いたままで、優月が呟くように言った。

「何が?」

「いつも甘えてて」

そう言って、思い出したかのようにペットボトルのお茶に口を付けた。

さっきまでのような、やけ食いモードはもうない。

落ち着いた、いつもの優月がそこにいた。

「いつだったか、おんぶしてもらったよね」

「ああ、優月が酔っ払ったとき?」

「そう。あったかかった。圭ちゃんの背中。甘えたりしないで自分で歩いていこうとか思っていたのに、すごくあったかくって結局家までおぶってもらっちゃった」

だからあの時、優月は俺の背中から降りなかったんだ。

「それに、私、圭ちゃんの気持ちを知って、誰かに包まれたいと思った。心細くて、圭ちゃんの気持ちが嬉しくて、あの雨の夜も、拓ちゃんが逝ったあの夜も、圭ちゃんの気持ちに甘えたの」

「…」

「ごめんね。本当は一番甘えちゃいけない相手だって分かっていたのに」

ぽろり

優月の頬を涙が伝った。

それだけでもう、いいような気がした。

だけど言葉が出ない。

「私は本当に卑怯」

眉をひそめる優月。

色んなことを聞いて停止状態の思考で、やっとかける言葉を見つける。

「…それでも優月は、最後まで兄貴を見送った」

「違うよ」

「どういうこと?」

「残酷だと思われたってなんだって、この街出て行くことはできたの。それでも私はひどい奴だって思われたくなかったからできなかった。それに、可哀相な私に、みんな優しかったの。拓ちゃんの彼女でいれば、みんなが労わってくれた。慰めの言葉をかけてくれた。私はそれにどっぷり浸かって、悲劇の彼女を演じていただけ」

ぽろぽろと涙が次から次へと落ちた。

どこからこの水はやってっくるんだろうなんて、バカなことを思った。

「本当に卑怯。拓ちゃんが逝ったときには涙なんかでなかったのに、今更何泣いてるんだろう」

涙を拭うこともせずに、厳しい顔をした優月は涙を流し続けた。

「優月は正直だよ」

「え?」

「そんなこと、誰だって自分の中で誤魔化すよ。都合の悪い思いなら、なかったことにすればいいだけのこと。それを誤魔化さないんだから、優月はきっと正直なんだ」

そう、俺みたいに兄貴に対する妬みとかって思い、見ないで蓋することだってできるんだから。

「馬鹿正直」

そう言って優月の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

されるがままで優月はか細い声で「ありがとう」と言った。



それから残ったおにぎりを何とか平らげて、俺たちはビジネスホテルに向かって堤防を歩いていた。

空には明るい月も出ている。


「ここでいいよ」


突然に優月がそう言った。

「ホテルまで送っていくよ」

このままここで別れたら、きっとこれが最後になってしまう。もう少し一緒にいたかった。

優月はにっこり笑って首を振る。

「ここでいいの。じゃないと、また私甘えたくなる」

甘えればいいじゃん。

喉まででかかった言葉をぐっと飲み込む。

言葉の熱さに、喉がひりひりする。

「圭ちゃん、私ね、自分でも圭ちゃんのことどう思ってるのか分からないの。だってずっと圭ちゃんは拓ちゃんの弟だったから」

そんなこと、今更言われなくても知ってるよ。

「だから、離れてみないと自分の想いも見えないと思うんだ。

…拓ちゃんの弟じゃなく、圭ちゃんのこと見ないと。でも、今はそれはまだできない」

拓ちゃんの弟、それ以外の俺?

「でも、私にとって圭ちゃんは、いつだってあったかかった。それは本当なの。安心できる存在だったよ。ありがとう」

真っ直ぐに優月が俺を見ている。

「じゃあ、さよならだね」

そう言って、優月は俺に背を向けて歩き出した。

「優月!」

振り返る優月に、俺は自然と笑顔になった。

「俺、待ってるよ」

「え?」

「優月が自分のしたいこと見つけて、自分の足で歩けるようになるまで。で、俺のことも拓ちゃんの弟以外のものとして見れるまで。ずっと待ってる」

強がりじゃない。本当にそう思った。

「何言ってるの? そんなのいつになるか分からないよ」

「いいよ別に。だって俺、ずっと優月のこと見てきたんだから、今更何年か待たされたところでたいしたことないって」

「でも」

戸惑う優月に近付いて、腕を引いてぎゅっと抱きしめた。

「適当に待ってるから。電話番号も絶対変えない。だから、いつの日か連絡してきて」

急に抱きしめられて力の入っていた優月の体から、力が抜けていくのが分かった。

顔を上げて下から俺の顔を覗き込む。

「ありがとう。圭ちゃん」

腕の力を緩めると、優月はゆっくりと俺から離れていった。

俺の方を向いたまま、ゆっくりゆっくりと離れていく。


「本当にありがとう。


またね」


「またね」



綺麗な笑顔を残像のように俺の中に残して、優月は走り去っていった。




兄貴、優月は自分の道を探しに行ったよ。

俺、ずっと兄貴には叶わないと思ってきたけど、兄貴にできなかったことができたよ。

旅立っていく優月の背中、見送ることができたよ。


兄貴、俺たちは生きてくよ。


それぞれの道を…。






ラストまであと2話となりました。

感想などいただければ幸いです。

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