39.隠してきた想い 1
「よっ」
「…」
軽い感じで声をかけた。
声をかけられた主、優月は返事もせずに驚いた顔をしている。
そりゃそうだ、多分黙って姿を消すつもりだったんだろうから、俺が目の前の現れるのは予定外の事態だ。
本当は見つけたらすぐにでも引っ張って行って、逃げられないようにして、「どうして」とか「どういうつもりなんだ」とかめちゃくちゃに問い詰めてしまいたい気持ちでいっぱいだった。
その方がきっと俺らしいのかもしれなかったけれど、俺にも多少ながらプライドがあって、それに加えてここまで来て優月に対して大人ぶりたい気持ちもあって、「よっ」なんてなんでもない風な声のかけ方をしたんだ。
でも、そんな強がりが功を奏したのか、それとも優月が逃げてもどうしようもないと思ったのかは分からないけれど、優月は戸惑った表情はしていても、少なくとも俺の前から走って逃げるようなマネはしなかった。
ちょうど20分くらい前だ。
教えてもらったビジネスホテルの前について、ここまで来たのはいいけれどどうしようかと考えていた。
フロントで部屋を教えてもらったとして、優月が会ってくれるとは限らなかったし、会ってもらえないんじゃ意味がない。
もう一度携帯で電話してみたけれど、やっぱり電話には出なくて途方に暮れていると、向いの道路を紙袋をさげて歩いている優月を見つけた。
優月は俺に気付かないまま、コンビニへと入っていった。
俺はすぐにでもコンビニに入って行って優月を捕まえたい思いをぐっとこらえて、小さなプライドに支えられ、優月が出てくるのを待っていたってわけだ。
多分、優月がコンビニで買い物していた時間なんてものの数分だったに違いないのに、俺にとってその時間は例えようもなく長く感じられた。
驚いた顔で黙って俺の顔を見つめていた優月は、ひとつ息を吐くと困ったような顔で笑った。
「誰から聞いたの?」
「…会社の人。女の人だったけど」
「ああ、きっと高丸さんだ。今日は仕事だって言ってたから」
「引っ越すんだね」
「うん…」
そう言うと、優月はビジネスホテルへと向かって唐突に歩き出した。
「優月?」
「待ってて。荷物置いてくるから。心配しなくても逃げたりしないから」
そんなことを言いながら、優月は俺の返事も聞かずに走ってホテルの中に入っていった。
そのままもう戻ってこないんじゃないかなんて心配もしたけれど、荷物を置いて優月はすぐに戻ってきた。
それからもう一度「待ってて」と言うと、今度はコンビニに入っていった。
「お待たせ」
買い物袋をがさがさいわせながら、優月が小走りで俺の元にやってきた。
それから、今度は俺の横を通り過ぎてずんずんと歩き出す。
さっきから行動がいきなりだ。
「優月?」
呼びかけると振り返って、「ちょっと付き合って」と言ってまた歩き出した。
わけが分からなかったけれど、ここで見失ったらもう二度と会えないような気がして、俺は優月の背中を追いかけた。
俺と優月は夕暮れの堤防を歩いていた。
日の光を受けて、川面がきらきらと輝いている。
自転車に乗った親子が、俺たちのそばを歌を歌いながら自転車で通り過ぎていった。
「ここら辺で座ろうか」
優月はそう言うと、川べりへと続く階段の中くらいに腰掛けた。
俺もそれにならって、優月の隣に腰掛ける。
なんだかよくは分からなかったけれど、今は優月の言葉に従うしかない。
優月は買い物袋をがさがさいわせて、俺におにぎりとお茶を差し出してきた。
「はい。本当はここで一人で食べるつもりだったんだけど、圭ちゃん、付き合ってくれるよね?」
無理やりと言った感じで俺におにぎりとお茶を渡し、自分はさっさとおにぎりを食べ始めている。
「いっぱいあるから、好きなだけ食べて」
袋の中には、5〜6個おにぎりが入っている。いったいどれだけ食べる気なんだ?
「ほら、食べてってば」
そう促されて、おにぎりの包装を開ける。でも、食べる気にはならない。
「俺に会わなかったら、ここで一人で食べる気だったの?」
「そうだよ。ホテルの部屋でってのも味気ないし、一人でどっか入る気にもならなかったし…。それに、この町の風景を見るのも、しばらくはきっとないから」
心臓が、ぎゅうっとなった。
優月が引っ越したと聞いても、会社の人から会社を辞めたと聞いても、優月本人からこの町を出るって意思を聞かされるのとでは、その意味合いは全く違う物だった。
やっぱり消えるつもりだったんだ…。
そんな思いが、ずしんと背中にのしかかったような感覚。
「全然知らなかった」
「だって、知らせなかったんだもん」
そう言いながら、優月は袋をがさがさしてまたおにぎりの包装を開けている。まるでやけ食いのようだ。
もしかしたら、食べることで今のこの気まずさをどうにかしようとしてるのかもしれないと、ふと思った。
「どこに行くつもり?」
その質問に、優月は曖昧に笑った。
「ほら、圭ちゃんも食べてよ。こんなに買って、余ったらどうしたらいいの?」
誤魔化すようにそう言って、「ほらほら」とおにぎりを勧める。
食べたくもなかったけれど、無理やり一個口の中に押し込んだ。すると「はい」と次のものが渡されて、いい加減に俺も少し腹が立ってきた。
「優月、いつまでも誤魔化さないでくれよ。どうして何も言ってくれなかったの?」
思わず大きな声を出してから、俺の言うべき言葉じゃなかったとはっとする。
俺はそんなことを言って優月を責められる立場じゃない。
「…いや、いつから引っ越すことを考えてたの?」
優月は一口おにぎりをかじって、きらきら光っている川面を見つめた。
それからゆっくりと言った。
「…一年位前かな」
「え?」
聞き間違えかと思った。
だって、一年前といったら、兄貴はまだ事故にも遭っていない。
兄貴は知っていたんだろうか?
「兄貴は知っていたの?」
「知ってたよ。だって…その頃だもん。拓ちゃんに別れてほしいって、そう言ったのは」
優月の言葉は、驚いたってよりも、むしろ衝撃的だった。