37.ありがとう
兄貴の葬儀も終わり、数日振りに大学に行った俺は、知らない人から何度も話しかけられた。
全てがお悔やみの言葉。
兄貴に世話になったのだという知らない先輩から、後輩。更にはこの大学に通っていたわけでもないのに、講師数人からもお悔やみの言葉をかけられた。
改めて、兄貴がどれだけ大きい存在だったのか知らされる。
でも、兄貴がいなくなってしまった今、それを思い知らさせるのは何となく居心地の悪い物だった。
余計に自分が兄貴には到底かないはしないと、思い知らされているだけのような気がして。
死んでしまった兄貴は、今まで以上に俺の中で越えられない存在になってしまっていたから。
休み時間、トイレに行こうと教室を出た俺は、数分の間に3人に声をかけられた。
勿論、みんな言うことは同じ。
「残念だったね」
「すごくいい人だったのに」
大体はこんな感じだ。
本当に残された家族のことを思うならば、そっとしておいてほしいものだなんて、ひねくれた考えも出てきてしまう。
そんなことを思いながら教室に戻ると、入り口のところに教室を覗き込んでいる見たことのある背中を見つけた。
堂々と教室の中を覗くんじゃなくって、ちらちらと隠れて覗いている華奢な背中。
背伸びをしたりするたびに、肩の辺りで巻いた髪の毛が揺れている。
「何してんの? 赤城」
「!!ひゃあ!!」
そんなに驚かすつもりはなかったのに、赤城はまるで飛び跳ねるようにして驚いた。
「…ごめん。そんなに驚かせるつもりはなかったんだけれど」
あまりの驚きっぷりに、こっちの方が驚いてしまう。
振り返った赤城は、引きつった笑顔で真っ赤な顔をしている。
「圭太君」
「誰かに用事?」
赤城越しにひょいと教室を覗き込む。
和馬に用事ならば、とっくに教室に入っているだろう。ってことは、他の誰かに用事か?
「誰?」
教室をぐるっと見渡している俺の袖を、赤城が引っ張った。
「いいの。違うの。そのお…、圭太君、色々あったみたいだから大丈夫かなあ、なんて思って」
色々って…兄貴のこと聞いたんだな。
「ちょっと心配になって」
そう言って赤城は俯いた。
「…ねえ赤城、のど渇いてない?」
「へ?」
「ちょっとさ、次サボってなんか飲みに行かない?」
俺のいきなりの提案に、赤城はきょとんとしたまま頷いた。
大学のそばのファーストフードの店に入って、窓際の席に向かい合って座る。
冷えたコーラを飲むと、急に開放された気分になった。
赤城はずっと俯いている。
急にこんなふうに連れ出してしまって、申し訳ないことをしたかもしれない。
「ごめん。なんか無理に付き合わせちゃったね」
そう言うと、赤城は俯いたままで首を振った。
「私のほうこそ…。この間、和馬君と一緒のときも急に現れたりして」
「ああ、あの時は驚いたけど、別にいいよ」
「なんか、未練がましいよね。でもね、どうしても気になって、いつも圭太君のことつい探してしまって。この前もそうだったの。和馬君と深刻そうな顔で屋上行くの見かけて、どうしても気になってついていちゃって。で、あんなふうに口出ししたりして、後から後悔してた」
一気にそう言って、コーラを飲む。カップの中で、氷がからりと音を立てた。
赤城がそんなことを思っているなんて知らなかった。
誘ったのは、間違いだったかもしれない。
また俺は赤城に甘えてしまっていたみたいだ。
「今日もね、お兄さん亡くなったって聞いて、どうしても気になっちゃって」
それであんなふうに教室を覗いていたのか。
「ごめんね」
赤城は小さい体をもっと小さくして更に俯いた。
「いや、俺のほうこそごめんな」
俺がそう言うと、赤城は視線だけ俺のほうに向ける。
「なんかデリカシーないよな。急に付き合せたりして」
「…嬉しかったよ」
ちょっと顔を上げて微笑んだ。
「圭太君が普通に誘ってくれて。これで変なふうに避けられたりしたら、そっちの方が傷ついた」
「そっか。俺も、付き合ってもらって助かった。なんだか学校にいたら、知らない人から兄貴のことばっり話しかけられて、正直ちょっと息が詰まりそうだったんだ」
「そうなんだ」
「うん」
色んな人が兄貴を偲んでくれるのは弟として嬉しかった。でも、少し静かでいたかった。声をかけられるたびに、兄貴の思い出話を聞かされたり、それに相槌を打って対応するのもきつかった。
だから、ただ『俺』を心配してくれた赤城の気持ちが嬉しくて、誘ってしまった。
つくずく俺は自分勝手なやつだと思う。
「いや、本当に付き合わせて悪かったよ」
そう言うと、赤城はやっと顔を上げて、見慣れた顔でにこりと笑った。
「なんだか圭太君、さっぱりした感じがする」
「さっぱり?」
「うん。うまくは言えないけれど、ちょっと前とは違う感じがする」
「さっぱり…ねえ」
自分でもよくは分からないけれど、色々あったからなあ。
赤城はふふふと笑っている。
「でも俺、相変わらず自分勝手だと思うけど?」
「さっぱりしたとは言ったけど、自分勝手が治ったとは言ってないよ」
「ああそうか」
俺もつられて笑っていた。
久しぶりに笑った気がした。
こうやって赤城はいつも俺を楽にしてくれる。
それに甘えている俺。ダメなやつだ。
好きになることができたなら、本当に良かったのに。
どうしてこうも気持ちってやつは、自分のものなのに自分の思うようにできないんだろう。
「ねえ、圭太君」
「ん?」
「前にずっと待ってるって言ったけど、あれ、もう気にしないでね」
赤城は穏やかに笑っている。
「諦めたとかそういうことじゃなくって、できれば普通に圭太君の近くにいたいんだ。特別な存在じゃなくっていい。普通にこうして話しとかしていたい」
「うん」
「ダメかな? 勝手?」
不安げに瞳が揺らいだ。
「…ありがとう」
素直に言葉が出た。
本当にそう思った。
こんな自分勝手な俺を、許してくれてありがとう。
「やっぱり圭太君、ちょっと変わったよ」
「そうかな?」
氷が解けて薄くなったコーラを一気に飲み干した。
暖かい日差しの中、こんなにも穏やかな気持ちを持つことができて、目の前の赤城に本当に感謝した。
新しい関係を作ることができたらいいのに。
心からそう思った。
きっとできそうな気がした。