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33.遠い存在

「ああ、圭ちゃん…こんにちは」


薄暗くなってきた病室の中で、優月は微笑んだ。

仕事が終わってそのままここに来たのか、いかにもOL風の格好をしている。

数日前に見たときよりも、心なしか痩せたような気がする。数日で目に見えるような変化があるはずもないけれど、優月の何となく疲れた表情と薄暗い病室がそう思わせたのかもしれない。

「いつも仕事が終わってから真っ直ぐここに来てるの?」

「うん。そうだよ」

優月は、ほうっと息をついた。


父さんから優月に付き添いを続けてもらうことにしたと聞いたのは、もう3日前になる。

何度説得しても、頑なに付き添いをさせて欲しいと頼み込んだという優月が、気にならないわけはなかった。

それでも、なかなかここに来て優月に会う勇気がなかったというのが本音だ。

そこまで兄貴を想っている優月を、正直目の当たりにするのが躊躇われた。

それでも今日ここにこうしてきたのは、兄貴の状態があまり良くないと聞いたからだ。

確かに、大きな点滴がぶら下がり、他に数種類の小さな点滴がぶら下がっている。酸素のマスクも以前していた物に比べてごついものだったし、指先には体内の酸素濃度を測るという機械がつけられていた。

呼吸も痰が絡み、かなり荒い。

この8ヶ月の中で、事故直後を抜かして考えると一番良くない状態かもしれない。


「拓ちゃん、日に日に悪くなってる気がする」

優月がぼそりと言った。

「優月は大丈夫なの?」

「私?」

優月の二つの瞳が真っ直ぐに俺を捕らえて、心臓が跳ね上がる。

「うん。仕事終わってから真っ直ぐここに来て、消灯までいるんでしょ? ちゃんと休めてんの?」

思わず優月から目を逸らした。本当は真っ直ぐにその瞳を見つめていたいのに。

「大丈夫だよ。私、頑丈だから」

「でもこの間、寝込んでたじゃない」

俺の言葉に優月がくすくすと笑った。

「もう風邪は治ったもん。それにそれって、もうだいぶん前の話じゃなかったっけ?」

「そうでもないよ」

「そうだっけ…? 何だかもう、随分前のことみたい…」

ふと、遠い目をする。

何を思っているのか。今思っていることの中に、俺とのことも入っているんだろうか?

切ない思いが迫ってきて、かたをつけようと思いながらなかなかできないでいる、優月への想いが一気に膨らんでいくのを感じた。

それでも、状態の良くない兄貴を目の前にして、その兄貴に付き添う優月に想いをぶつけられるはずもなく、ぐっと息を呑んで押さえ込む。

「…心配してくれて、ありがとね」

そう言って優月は綺麗な笑顔を見せた。

それは完璧な笑顔で、まるで仮面のようだと思った。


病院の狭い個室に夜の気配が近付いてきて、俺は入り口近くの電気のスイッチをつけた。

ぱっと部屋の中が、白く明るく照らされる。

蛍光灯の光に照らされた優月の顔は、まるで陶器の置物のようで、綺麗だけれど何の感情もないように見えた。

ただじっと兄貴を見つめている瞳さえ、まるでガラス玉のようだった。

兄貴を挟んで向かい側に座って、そんな顔の優月を思わずまじまじと眺めていた。

「何?」

俺の視線に気がついて、優月が顔をしかめる。

やっと優月らしい表情を見た気がする。

「いや、何考えてんのかと思って。兄貴に付き添って、いつも何を思ってるわけ?」

何気なく聞いたつもりだった。

別に深い意味なんてなかった。

ただ、単純に聞いただけだったのに、優月は明らかに俺の言葉に戸惑っているようだ。

「どういう…意味?」

「いや、別に…意味ってほどのことじゃないよ。ちょっと思っただけなんだから」

戸惑う優月の態度に、俺のほうが狼狽する。

まずい事を言ったつもりはないのに、すごくまずいことを言ってしまった気になって。

「一人でさ、病室で付き添ってたりしたら、気分が滅入ってきたりするんじゃないかと思って」

誤魔化すように笑った俺を見て、優月も口元だけで笑って見せた。

「…いつもね、拓ちゃんに話しかけてるの。心の中で」

「兄貴に?」

「そう。色んなこと。一日あった事とか、昔のこととか。色々…」

「そっか」

「それから…」

「それから?」

「…」

そこまで言って黙った優月は、再び陶器のように綺麗な顔になった。

「優月?」

「なんでもない」

白く照らされた顔は、それ以上何かを語りそうもなかった。

「圭ちゃんこそ、そういえば今は学校の帰りなの?」

「ああ、うん」

さっきまでの戸惑った様子も何もなかったような顔で、そんな話をする優月は本当に遠い存在に思えた。

告白して拒絶されたときよりも、あの日のことは寂しかったからだと言われたときよりも、こうやって何もなかった顔をされるとき、俺は優月との間にある恐ろしく遠い距離を思い知らされる。

こうやって優月は本当に何もなかったことにしてしまうつもりなんだろう。

俺の想いも、あの日のことも。

全部。

そして兄貴の目覚めだけを待って、過ごしていくんだろうか?

この狭い病室で。



兄貴、いい加減目を醒ましてくれ。

そうしたら俺、もう苦しまなくて済むのかもしれない。

俺だけじゃなくて、優月だってもう苦しまなくて済む。


どうして知らん顔で寝てられるんだよ。

お願いだから、いい加減目を醒ましてくれ。



兄貴…



必死に心の中で呼びかける俺の声は、兄貴に届くだろうか。

兄貴に聞こえているだろうか。

祈ることしかできない。

無力な俺の祈りは。




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