23.もう揺れたりしない
次の日は、ひどい頭痛に襲われた。
そりゃそうだ。
元々アルコールには弱いんだ。それを分かってて許容量以上に飲んだんだから、二日酔いになっても文句も言えない。
大体、文句って、自分でやったことなんだから言いようないじゃないか。
「おはよー、圭太」
いつものように高めのテンションで話しかけたきた和馬を、俺は恨めしく見つめた。
和馬のでかい声は、頭蓋骨の中で反響してがんがん頭を締め付けた。
「あれ? 調子悪いのか?」
俺のしかめっ面を、和馬が覗き込む。
「…二日酔いだよ」
俺の言葉を聞いて何を思ったのか、和馬の顔がニヤッと笑った。
「へえ、二日酔い? 昨日はそんなに遅くまで雛子ちゃんと一緒だったのか?」
ああ、今回は赤城から何も聞いてないみたいだな。
それにしても、どんな想像をしているのやら…。
「いや、一人で飲んでたよ」
「一人で? だって昨日は、雛子ちゃんと一緒だったんじゃなかったのか?」
「そのつもり、だった」
「そのつもりだった?」
俺は真っ直ぐに和馬の顔を見ることができなかった。いつも俺を心配してくれている和馬。赤城との距離が縮まっていくことを、心底喜んでいてくれていた。
でも俺は…結局は優月のところに行った。
ちょっと違うけれど、和馬のことを裏切ってしまった、そんな気持ちが俺の中にあった。
それでも、俺が話さなくても、昨日のことはそのうちに和馬の耳に入ることになるだろう。それよりは、自分の口から言うべきだと思った。
「昨日、赤城と会っているときに色々あって、優月のところに行ったんだ」
「は? 優月さん? 何で突然優月さんになるんだよ」
「うん、母さんから電話があって、優月が兄貴のところに来てないから何かあったんじゃないかってさ。それで、俺も気になって…」
「気になって、雛子ちゃんほっぽりだして、優月さんのところに行ったのか」
俺は黙って頷いた。
でも和馬の声は冷静で、少し安心した。
「それで、どうして二日酔いに?」
「振られたんだ。完全に。振られたってよりも、拒絶された」
ずきん、と痛みが走った気がした。
「拒絶って…圭太、お前優月さんに何しようとしたんだよ」
「は?」
和馬の言っている意味に気がつき、俺はちょっと笑った。和馬の頭の中は、どうやら俺よりも悶々としているようだ。
「違うって。何もしてないって。お前じゃないんだから。拒絶されたってのは…気持ちがどうこうってより、俺自身が受け入れてもらえなかったって言うか…」
説明しながら、ため息が出た。
まだあまりにも記憶が鮮やかすぎて、説明するだけで傷が開いて血が流れるようだ。
「…とにかく、拒絶された」
どうにも言葉が見つからないのと、説明を続けるのがイヤになって、曖昧に答える。でもきっと和馬なら、何となくでも分かってくれるような気がした。
「ふう…ん。とにかく、優月さんにはきっぱりと振られたってことだよな」
「まあ、そういうこと」
答えながら、またため息が出る。
優月に拒絶されてから、24時間と経過してない。まだ生傷なんだ。
「で、どうするの?」
「どうするのって?」
「雛子ちゃんのこと。優月さんのことがケジメついたんだから、雛子ちゃんとちゃんと付き合うんだろ?」
「…」
答えに詰まる。
昨日、俺は酔っていたとはいえ赤城を酷く傷つけてしまった。
自分が傷ついていたから、人のことまで考えられなかった。なんて言い訳をするつもりはない。自分はどうあれ、俺が赤城にしたことはやっぱり恥ずかしいことだと思うし、それを正当化する理由はどこにもない。
単に、俺が赤城に甘えて寄りかかって傷つけてしまった。それだけのこと。
だから、もう中途半端なことはできないんだ。
「おれ、赤城とは付き合わないよ」
「は? 何で? だって、優月さんとのことはすっぱり決着ついたんだろ?」
和馬が納得の行かない顔で詰め寄ってきた。
「雛子ちゃん、お前のこと好きであんなに頑張ってたのに、何で?」
「…」
「お前だって、雛子ちゃんのこと気に入ってたんじゃなかったのかよ?」
和馬は怒っているようだった。
「赤城のことは、一緒にいて楽しくて、すげーラクで、正直優月なんかと一緒にいるよりも、俺には合ってると思ったよ」
「だったら何で?」
本当にそう思ってた。いや、今だってそう思っているさ。
赤城との方が、ずっとずっと居心地もいいだろうって。
それでも。
「赤城には優月のことも全部話したよ」
「は!? なんで? お前何やってんの!?」
思わず叫んだ和馬は、はっとして周りに目をやる。
数人が何事かとこっちを見ているようだった。
「どうしてそんなこと言ったんだよ。雛子ちゃんの気持ちはどうするんだよ」
「分かってる。だけどさ、どんだけこいつといた方がラクだって分かってたって、どうしようもないんだ。俺、どんなに拒絶されたって、やっぱり優月のこと吹っ切れない」
拒絶されて初めて分かったんだ。
気持ちって、そんなに簡単なものじゃないってこと。
俺の気持ちも、優月の気持ちも、赤城の気持ちも…。
簡単だったら、もっとうまくいってただろう。
和馬のことを真っ直ぐに見つめた。
和馬にとって赤城は元々友達で、その赤城を傷つけてしまったんだから、和馬に何を言われたって仕方が無い。
でも和馬の顔は、いつもどおりだった。
「…それが圭太の結論なわけだ」
「そうだな」
「ふうん」
和馬は腕組をしてしばらく考えているふうだったけれど、次に俺の顔を見たときには、にっといつものように笑っていた。
「圭太が決めたんならもうそれでいいよ。仕方ないじゃん」
「うん」
その顔に、つかえていたモノがすとんとひとつ、落ちていくようだった。
「それで、これからどうすんの?」
「とにかく、もう一度優月とゆっくり話がしたいんだ。話をして何かが変わるってことじゃないかもしれないけど、とにかくもう一回会って話をしないとどうしようもないから。それに…」
「それに?」
昨日の優月の言葉が蘇る。
『そんなんじゃない』
あの言葉の意味はいったい…?
じゃあどうして兄貴のそばにいるんだろう。
優月はいったい何を考えているんだろう。
俺にそれを知る権利があるのかどうかは分からなかったけれど、無視することはできなかった。
純粋に、知りたいと思った。
「いや、なんでもないよ。でも、何回断られようと、納得できるまで何度だって優月のところに行くつもりだよ。…もう、逃げるべきじゃないと思うんだ」
ぽん、と和馬が俺の肩に手を置く。その手が妙に暖かい。
「そだな、一回思う存分やった方がいいよ、お前は」
「そうしてみる」
中途半端な気持ちで今までずっと逃げてきたから、逃げて甘えてきたから、傷つけた人の分、俺はもう逃げてはいけないんだ。
和馬に自分の想いを話したことで、その決心は急に重たいものとなる。
言葉に出したことで、想いは決意や約束といったものに姿を変える。
そのことが、俺の気持ちをずっと強くして支えるようだった。
もう揺れたりしない。
絶対に。