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19.制御不能

今日は昨日のように、変に早く目が醒めるということはなかった。

やっぱり昨日はそれなりに緊張なんかしていたんだな、きっと。

待ち合わせは、昨日と同じ場所で11時ということになっている。

今日は俺が行き先を決めることになっていたけれど、色々考えてはみたものの、どうも思い浮かばなくって、無難に食事の後に映画でも見て、その後に映画館から程近い水族館にでも行こうかと考えていた。


昨日とは違って、時間通りに着くように家を出る。

両親は既に出かけた後だった。

必要なものでも揃えながら、きっとその後に兄貴の病院に行くのだろう。

誰もいない家に鍵をかけながら、俺は両親の顔を見なくて済むことに少しほっとしていた。


「おはよう圭太君」

昨日と同じ場所に、昨日とは違って落ち着いた様子で、いかにもデートですといったような格好の赤城が立っていた。

こうやって見ると、まるで昨日とは別人のようだ。

服装だけでも違った人間に見せることができるなんて、女って怖いな。なんてことを考えながら、「おはようって時間でもないだろう」と、わざとひねくれた返事を返す。

そんな俺の言葉を笑い飛ばしながら、赤城はニコニコしている。

「ね、今日はどこに行く予定なの?」

「う〜ん、色々考えたんだけどさ、よく分からなくって。とりあえず食事して、それから映画見て…」

「で?」

「近くに水族館あるから、そこなんてどう?」

正直、自分の計画に自信なんてなかったから、赤城がどんな反応を示すのか、怖い気さえしていた。

だけど赤城の表情は、俺の不安を一気に消し去った。

「水族館!? 私水族館大好きなんだよね。もしかして、和馬君にでも聞いてた?」

「いや、そうじゃないけど。好きなの?水族館」

「大好き!」

「そっか、それなら良かった」

ほっとする。それ以上に嬉しい。自分の考えたことで、こんなに喜んでもらえたってことが、素直に嬉しい。

「それに圭太君、今日のこと色々考えてくれたんでしょ? 私はそれだけでも嬉しいよ」

その言葉に、自分の顔が少し赤くなるのを感じた。

「あれ? 圭太君、赤くなってるの?」

「別に。気のせいじゃない?」

「照れてるんだ〜。可愛いの」

「うるさいな、ほら行くぞ」

小さな赤城を小突きながら、わざと早足で歩き出す。

「痛いなあ。ちょっと、ゆっくり歩いてよ」

赤城がぴょこぴょこと、スキップするような足取りで追いかけてきた。


俺たちは美味しいと評判のレストランに入って、昼食をとることにした。

赤城がオムライスをたのんでいたけれど、あれほどしばらくは存在さえも見たくないと願っていたものも、今日は特別俺の気持ちを揺さぶることはなかった。

本当に不思議だ。

優月のことを忘れたわけじゃないけれど、赤城とこうしていると、優月のことを考えても、あれほどまでに焦がれるような気持ちにならなかった。

日差しの中でこうしてのんびりと昼食なんか食べていると、これが正解なのかもしれないと思えてくる。

届かない兄貴の恋人を思い続けるよりも、そばで笑って一緒にいてくれる赤城こそが、本当は大事にするべき相手なんじゃないかって。

「どうしたの? 食べないの?」

ぼんやりと考えていた俺に、赤城が不思議そうに話しかける。

「いや、なんでもないよ」

話題の店だけあって、カレーはなかなかのものだった。


それから店を出て、しばらく買い物なんかをしながら、映画館に着いたのが14時前だった。

二人でどの映画を見るか相談する。

俺は赤城の好きなものでいいと言ったけれど、赤城は散々迷った挙句、最近公開になったアクション映画を選んでくれた。

正直、選んでいいと言ったものの、恋愛映画を選ばれるのは嬉しくはなかった。

赤城が恋愛ものと、そのアクションもののどちらかで迷っていたのは知っていたし、俺のことを考えて恋愛ものを諦めてくれたってことも何となく分かってはいたけれど、ここは赤城の気持ちに甘えることにした。

公開時間まであと20分ほどあるようだ。

「俺、飲み物でも買ってくるよ。何がいい?」

「う〜ん、じゃあレモンティーでお願いします」

お金を払い、両手にカップを持って歩き出すと、ジーンズのポケットの中で携帯のバイブが震えた。

両手がふさがっていてとることができない。呼び出しは20秒ほどで切れた。

「どうぞ」

座って待っていた赤城にカップを手渡すと、横に座って携帯を確認する。

発信先は母親だ。

「どうしたの?」

よほど怪訝な顔をしていたんだろうか、赤城が不安そうな顔で声をかけたきた。

「いや、母さんから着信入ってて…」

「お母さんから? 何かあったのかな?」

「どう、だろう」

そんなことを話していると、再び携帯が光り震えだした。

母さんからだ。

別にでなくてもいいかとは思ったけれど、兄貴の一件以来、母さんは時々病的なほど神経質になることがある。電話を無視して、また後で何か言われるのも厄介な気がした。

「ちょっとごめん、電話出てくるわ」

そう言って、赤城から少し離れたところで電話を取る。

「もしもし?」

『もしもし、圭太?』

電話の向こうから、か細い、妙に不安そうな母さんの声が聞こえた。

「どうしたの?」

『あのね、優月ちゃんが』

優月。突然出た、しかも母さんから出たその名前に、心臓が鷲づかみにされたように激しく動揺した。

「優月が、どうかしたの?」

思わず声が高くなる。

はっとして赤城を見ると、赤城も不安そうな表情で俺を見ていた。赤城に背中を向けて、声を落とす。

「何かあった?」

『優月ちゃんがね、昨日も今日も拓斗の所に来ていないみたいなの。さっき病院に着いたんだけど優月ちゃんいなくって。看護師さんに聞いたら、昨日も今日も来てないって…。こんなこと初めてだから、何かあったんじゃないかと思って。でもお母さん、優月ちゃんの電話も知らないし…』

優月が兄貴のところに来ていない。

確かに今までそんなことはなかった。でも…。

「母さん、優月にだって色々付き合いってものがあるんだから、来れない日もあるんじゃないの?」

『でも、こんなこと今までなかったじゃない』

母さんの声が、妙にとがった。

分かってる。

母さんは、優月が兄貴の元に来てくれることを、物凄く心の支えにしてるんだってことを。みんなの記憶から少しずつ消えていく兄貴を、優月が忘れないでいてくれること。自分と同じ気持ちで、兄貴の目覚めを待っていてくれている者として、母さんにとって優月は必要なんだ。

だからこそ、優月が兄貴を忘れてしまうことを、怖がっている。

それでも優月にだって、優月の生活がある。

今俺が、赤城と一緒にいるように。

「そうかもしれないけれど、優月にだって用事くらいはあるんじゃないの?」

『昨日もよ? 2日も?』

「俺には分からないよ」

電話の奥で、小さく父さんの声も聞こえる。多分、父さんも俺と同意見なのだろう。一人取り乱している母さんをなだめているようだ。

『…分かったわ。でも圭太、お願い。優月ちゃんの電話番号知っているんでしょ? 一度電話してみてもらえないかしら。もしかしたら本当に、優月ちゃんに何かあったのかもしれないでしょ?』

「…分かったよ」

埒が明きそうもないので、そう返事をして電話を切った。

優月が病院に来ないって?

それがどうしたって言うんだ。

優月には優月の世界があるんだ。いつまでも兄貴の元に縛り付けられてはいられないだろ。

でも、確かにこんなこと初めてだ。

昨日も…今日も?

小さな不安が、染みのように心に広がっていくのを感じた。


「圭太君。お母さん、どうしたの?」

電話を切っても自分の元に戻ってこないことに我慢できなくなったように、赤城が俺に近付いてきた。

「うん? いや、たいしたことじゃないよ」

「本当に? 大丈夫?」

「大丈夫だよ」

「そっか」

赤城がほっとした顔をする。

そうだ、今俺の隣には赤城がいて、それを選んだのは俺自身なんだ。きっと優月だって、病院にいる自分とは違った自分を、選んだに違いないんだ。

…でも、昨日も…今日も?

それはまるでコーヒーの染みのように一面を黒く染めながら、俺の中に広がっていく。

急にポケットの中の携帯が、自己主張をしているような、妙な存在感を俺に投げかけてくる。いや、俺が携帯を意識しだしているだけだろうか。

「圭太君?」

「ちょっと、ごめん」

抗いきれなくて、携帯を手にする。

アドレスから優月のデータを呼び出し、電話番号を見つめて迷った。

でも、そうだ。確認くらいはしておいてもいいかもしれない。優月が自分のために時間を使っているのなら、そのときは俺だって吹っ切れる。

まるで言い訳するように自分に言い聞かせ、納得すると、俺は優月に電話をかけた。

呼び出し音が鳴る。

一回…二回…

何度鳴らしても、優月の声が受話器から聞こえることはなかった。

30秒以上鳴らしたところで電話を切った。

もう一度かけてみる。

結果は同じ。留守番電話にもならない。


もういいじゃないか、という思いと、何かあったのかもしれない、という思いが交互に押し寄せてくる。

「圭太君」

不意に腕をつかまれて、急激に現実に引き戻される。

「そろそろ時間だけれど、本当に大丈夫なの?」

不安そうな赤城の視線とぶつかる。

そうだ、俺は今日赤城と一緒にいるんだった。

これから映画を見て、実は赤城が大好きだという水族館に行くんだ。

こんなに心配させてしまって、申し訳なかったな。お詫びに、水族館で気に入ったものがあったら、何かプレゼントするっていうのもいいな。


「何にも心配ないよ」

そう言って優しく笑った。


そのつもりだった。

本当にそう言うつもりだったんだ。

なのに、俺の口から出た言葉は、全く別のものだった。

「赤城…ごめん。おれ、ちょっと行かないと…」

「圭太君?」

赤城の驚いたような顔が、視界の端っこに写った気がした。

でも、言い訳する余裕もなく、俺はもう走り出していた。


赤城の声が、何か背中にぶつかった気がした。

それでも振り返ることもできなかった。

俺はバカだ。

何で、優月のところに行こうとしているんだ。

優月はただ、自分の時間を選んだだけなのかもしれないのに。

行ったところで、どうにかなることでもないかもしれないのに。


俺はバカだ。


本当にバカだ。




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