18.純粋に楽しいと思うこと
待ち合わせの時間は10時半。
その時間には、余裕で着くことができるだろう。
こんなふうに、休日の昼間に出かけるなんて、兄貴の事故以来8ヶ月ぶりだ。
しかも相手が女だなんて、自分でも笑ってしまうくらいに久々で、何だか緊張して早く目が醒めてしまった。
目が醒めたのは、7時前だった。
平日でもこんなに早起きなんてしたことないのに。
思わず、枕もとの時計を見たときは、苦笑いしてしまった。
どれだけゆっくり準備したって、約束の時間までには十分過ぎるほどの時間がある。
いつもは病院に向かうだけの休日の町を、ただぶらぶらと目的もなく歩きたくなって早めに家を出ることにした。
「圭太、出かけるの?」
居間から母さんが声をかけてきた。
「うん」
何となく後ろめたいのはなぜだろう。
「いつもより早いみたいだけれど、拓斗のところ?」
「…いや、今日は兄貴のところには行かないよ」
靴を履きながら早口で答える。母さんの顔は見れない。
「そう。行ってらっしゃい」
「うん」
結局、母さんの顔を見ることなく家を出た。
どうしても俺の中から、後ろめたさが消えない。
兄貴があんな状態なのに、俺が出かけることを母さんがどう思うだろうか。
もしかしたら、病院にいるのがどうして兄貴で、元気にぴんぴんしているのがどうして俺なんだろうと、そんなことを思っているんじゃないかって、そんなことまで考えてしまう。
実際そんなことを言われたわけじゃないけれど、俺の卑屈な部分がそう思ってしまうんだ。
考えないように頭を振ると、空を見上げてみる。
一面の青空だ。
昨日降った雨のせいで、空気も澄んでいる気がする。
ただ、目的がないだけなのに、いつも病院に向かうときと同じ道でも、なぜだかまったく別の道に思えた。
小さな喫茶店が見えた。
あんなところに喫茶店があるなんて、何度も通ったはずなのに少しも気が付かなかった。
ゆっくりとした歩調で、待ち合わせの公園へと向かう。
携帯を見る。まだ10時にもなっていない。
それでも公園のベンチでぼんやりしているのもいいような気がして、俺は公園に向かった。
赤城が来ているはずなんかないと思っていたのに。
街灯の側でそわそわしているあのちっこくて、見覚えのある姿は。
「圭太君!?」
俺の姿に驚いて、赤城は素っ頓狂な声をあげた。
「…何してんの? 約束の時間までまだ30分以上あるけど」
「圭太君こそ」
「ああ」
俺は頭をかきながら笑った。確かに赤城からしてみれば、俺の方がどうしたのって感じだろう。
「ずっと休みって言ったら病院に行くばっかりだったから、たまにはゆっくり散歩でもしようと思って」
早く目が醒めてしまったことは言わなかった。
「そっか、いつも病院だったんだもんね」
兄貴のことは、赤城にはそれとなく話していた。勿論、優月のことは一言だって話してなんかいない。
「で、赤城は? 何でこんなに早いの?」
「早く目が覚めちゃって…」
俺がさっきあえて言わなかったことを、赤城は照れたような顔でさらっと言ってのけた。
こういうとき、赤城を可愛いと思う。
「色々服選んだり、お化粧も何回もし直したりしたんだけれど、時間余っちゃって。家にいても落ち着かないから、ここで待ってようと思ったんだ」
「そっか、じゃあ、これからどうする?」
「うーん、まだちょっと早いよね? ここで日向ぼっこでもしていようか」
「日向ぼっこ?」
「そう、なに?」
「いや、ハタチの女のする提案じゃないと思って。でも、それいいね」
俺たちは木陰にあるベンチに腰掛けた。
「気持ちいいね」
赤城が笑う。
俺はいつもとは印象の違う赤城の姿を横目で見た。
学校のときはどっちかというと、短めのスカートに巻き髪で、なんというか綺麗なお姉さん的な印象だけれど、今日はジーンズをはいていて、髪なんか後ろにまとめ上げている。どっちかというと、行動的なイメージ。
「…じろじろ見ないでよ」
赤城が俯き気味に睨んでくる。
「ああ、ごめん。なんかさ、いつもと印象が違うから。そんなじろじろ見たつもりはなかったんだけど」
「別にいいよ。今日のプランに合わせてきたの」
「今日のプラン?」
色々相談した結果、土曜日のプランは赤城が、日曜日のプランは俺が考えることになっていた。まだ俺は赤城がどんな計画を立てたのか知らない。
「うん。そう」
「どうすることにしたの?」
「まだ内緒」
そんな話をして、しばらく公園で過ごした後、赤城に案内されるままに俺たちは歩いた。
途中、数人の男が赤城を振り返っていたのには、ちょっと気分が良かった。
そうこうしている間に、目的地についたようだった。
「ここ?」
「そうだよ」
そこは、カラオケもできればボーリングもできる。ゲームもあれば運動もできる、そんな総合アミューズメント施設だった。
とてもじゃないけれど、赤城がここをチョイスするとは思わなかった。
「ちょっと意外」
「でしょ」
確かにここで色々遊ぶなら、短めのスカートというわけにはいかないだろう。でも、俺の勝手なイメージだけれど、赤城なら、おしゃれなスポットとか、カップルに人気のスポットとか、そういうのをチョイスしてくると思っていた。
「圭太君、最初に飲み会で会った時から、何だか溜め込んでるっぽかったから、こういうところきたら少しでも発散できるかなと思って。行こうよ」
赤城は俺の手をとると、ずんずんと中に入っていった。
俺は最初からそんなふうに見透かされていたなんて、何だか情けないような気分になった。
でもそれ以上に、そんなことを考えながら今日の計画を立ててくれた赤城の気持ちが嬉しかった。
「ありがとな」
小さな声で言ったから、赤城には聞こえなかったかもしれない。
でも心なしか、俺の前を行く赤城の耳が赤くなったような気がした。
俺たちはボーリングをしたり、カラオケしたり、疲れたら施設内の休憩所で食事をしたり、対戦ゲームなんかもして、赤城の猛烈なリクエストで、プリクラなんかも撮ったりした。
赤城は楽しいときは楽しい、困ったときは困った、気持ちが分かりやすい顔を俺に向けてきた。
だから俺は、「こいつ何考えてるのかな」なんてことは考える必要もなく、赤城と一緒にいられた。
多分、分かりやすい顔を向けようなんて意識してるわけじゃなく、根っから素直なんだと思う。
そんな赤城と一緒にいると、俺まで素直に笑うことができる気がした。
なんだか、こんな感じは久しぶりだ。
「すごい!!取れたの!?」
クレーンゲームで不細工な犬のぬいぐるみを取ったことを、赤城は俺よりも喜んでいる。
「すごいね!!私、こういうのは無理なんだ」
「たまたまいいところにあっただけだよ」
取ったぬいぐるみを正面から見てみる。やっぱり近くから見ても不細工だ。
「不細工だな、こいつ」
苦笑する俺の手にある犬のぬいぐるみを、赤城が覗き込んでくる。
「そうかな、愛嬌があっていいじゃない。ねえ、この子私にちょうだい」
「こんなんが欲しいの?」
「うん。これがいい」
「でも赤城の部屋って、ぬいぐるみとか置いてなかったんじゃないの?」
俺は整頓された赤城の部屋を思い出す。
「うん。でも、今日の記念にもらいたい。大丈夫だよ、この子に圭太とか名前付けて、あんなことやこんなことしたりしないから」
ふふふ、と笑う赤城。本当か?
「記念なら、もっと違うものの方がいいんじゃないの?」
「これがいいんだよ」
真剣な目。女って、もっとアクセサリーとか、ブランド物とかもらった方が嬉しいんじゃないの?
こんな不細工な犬のぬいぐるみ、もらって嬉しいんだろうか。
そんなことを考えている間も、赤城は小首をかしげて俺を見ている。
「こんな不細工なのでいいの?」
「うん!」
「じゃ、どうぞ」
そう言ってぬいぐるみを渡すと、赤城は見てるほうが恥ずかしくなるくらいに嬉しそうな顔をして、不細工犬を大事そうに抱きしめた。
「どうもありがとう。大事にするから」
「…うん」
俺の中の、どっか。自分でも分からないけれど、確実にある穴みたいなものが、癒されてく気がした。
よく、分からないけれど…。
「じゃ、また明日ね」
二人で夕食を終えて、部屋の前まで送って行った俺に、赤城はにこやかに手を振る。左手には大事そうに不細工犬。
「うん、じゃ、明日」
「あ、その…ちょっと上がっていく?」
「いや、明日もあるし、今日はやめておくよ」
「そっか、じゃあ、明日だね」
「明日」
そう言って階段を下りて、建物を出るまで見送っている赤城に、振り返って手を振る。
赤城は大袈裟なほど、ぶんぶんと手を振って答えている。
子供みたいなやつだな。
おかしくて、笑いをかみ殺しながら歩き出した。
少し歩いたところ、もう赤城のアパートも見えなくなったところで立ち止まって、不意に思い出して携帯を取り出す。
画面を開く。
メールを打つのは得意じゃない。それでも何とか一文を打ち込んで送信する。
送信先は赤城雛子。
『今日はホント楽しかったよ。また明日な』
俺が赤城に送った初めてのメール。
本当に今日一日楽しかったんだ。
こんな風に楽しいと思ったこと、本当に久しぶりだったかもしれない。
だから、そのことを伝えたくなったんだ。
夜風が気持ちよかった。