17.想いの理由
どうして優月を好きかなんて、考えたこともなかった。
だってそんなこと、ちっとも重要じゃないと思っていたし、理由が必要だなんて考えたこともなかったから。
だけど、確かにどうして俺は優月を求めているんだろう?
「圭太、土日の二日間とも雛子ちゃんと出かけるんだって?」
どうしてこいつは、昨日の今日でこんなことを知っているんだ。
しかも今、朝一でこの話題か?
俺は和馬の顔をじろりと睨みつけた。
「何でお前が知ってんの?」
俺の睨みなんて、少しも気にかけない様子で、上機嫌に和馬が言った。
「何でって、そりゃ、お前から聞いてないんだから、雛子ちゃんから聞いたに決まってるだろ?」
「ああ、そう」
俺と赤城のことが筒抜けになっているのは、正直気分が悪かったけれど、別に怒ることでもない。
それより、この妙にハイテンションな和馬の方がうっとうしい。
和馬のハイテンションの影に女あり。
あまりにもお決まりのパターンで、どうしたのか聞く気も起こらない。
それでも、和馬の方はいつもと違った俺の態度に気づけよ!!と、言わんばかりに、俺の隣で陽気に鼻歌なんかを歌っている。
それでも俺が何も聞かないと、とうとう自分から話し出した。
「ちょっと、聞いてくれよ」
最初から話す気満々なら、変にアピールしないでさっさと話せばいいのに。
「何?」
「昨日さ、俺も瑠未ちゃんと一緒に買い物行ってさ」
「和馬」
「ん?」
「その瑠未ちゃんを、お前はモノにできたわけ?」
「い、いや」
さっきまでハイテンションだった和馬が、バツ悪そうに頭を掻いた。
「そっか。それならさ、お前が『脱いい奴』できて、その瑠未ちゃんって子を見事モノにできたら、朝まで話を聞こう」
「圭太〜」
「だから、瑠未ちゃんを彼女にできたらな」
俺の言葉に、和馬は最初ぶつぶつ文句を言っていたけれど、そのうち開き直ったように宣言した。
「見てろよ、近いうちに彼女として瑠未ちゃんを、圭太に紹介するからな」
「期待しているよ」
「そのときは二日くらい寝ないで話し聞けよな」
おいおい、二日って…。
一瞬、和馬が瑠未ちゃんとやらに、振られることを願ってしまった。
「ところで圭太、お前は雛子ちゃんと付き合う気とかあるの?」
「は?」
唐突な質問に、思わず呆気にとられた。
「そんなびっくりすることないだろ?なんだかいい感じなんじゃないの?」
「はあ」
俺はあいまいな返事をした。
確かに赤城と一緒にいるのは嫌じゃない。
いや、嫌じゃないってよりも、むしろ楽しいかもしれない。
でもだからって、付き合うとか考えていなかった。
ただ俺は、優月から少し離れてみるのもいいかもしれないと思っただけで。
「また優月さんのこと?」
「別にそんなんじゃない」
普通に否定したつもりだったけれど、なんだか妙に力が入ってしまった。
「俺は圭太と雛子ちゃん付き合えばいいと思うけど。お似合いだよ?」
「お似合いね」
確かに、俺と優月って組み合わせよりも、俺と赤城って組み合わせの方がお似合いだろうな。
「それにさ、俺前から思ってたんだけれど、圭太って何で優月さんのことが好きなの?言っちゃ悪いけど、4つも年上でしかも兄貴の彼女。そんなに美人とか?」
優月の顔を思い浮かべる。
すっとした顔立ちだけれど…
「別に、そんな美人じゃないよ」
どっちかって言うと、赤城の方がよっぽど魅力的だ。
「じゃ、よっぽど性格がいいとか?」
性格…?
「よく分からないけど」
「は?じゃ、何であんなに優月さんにこだわってるわけ?」
「…どうしてだろう」
分からなくなってきた。
いや、そもそも最初から分かってなんかいなかったのかもしれない。
自分がどうして優月を好きかなんて。
でも、誰かを想う時に、その理由なんて本当に必要なんだろうか。
「もしかしてだけど…兄貴の彼女だから?」
「和馬」
俺は反射的に和馬の腕をつかんでいた。
「それ以上言うと、いくらお前でも俺、怒るよ?」
「…ごめん」
和馬は驚いたような、怯えたような眼を俺に向けた。
自分が今どんな顔をしていたのか想像がつく。
きっと、今まで誰にも見せたことのないような顔だろう。
でもその顔を隠す気にもなれない。
心臓が早鐘を打っている。
もしかしたら、それが答えなんだろうか?
和馬の言ったことが、優月を求める理由なんだろうか?
優月が兄貴の彼女だから。
だから?
何でも持っている兄貴のものを、兄貴の彼女である優月を手に入れたいと思った?
だから俺は、こんなにも優月にこだわってしまうと?
何だかすごく嫌な感じがした。
それは、自分さえも否定してしまうような、そんな物凄く嫌な感じが。
優月のことを純粋に考えてみようと思った。
でも、優月の笑顔も、仕草も、何もかもが深い霧の向こうにあるような気がした。
「圭太…?」
恐る恐るといった感じで、和馬が声をかけてくる。
「ごめん、俺、すげー失礼なこと言っちゃったよな?」
「いや、いいんだ。俺こそごめん」
そう言ったものの、俺の中に色々な思いが渦巻く。
兄貴のことを抜きに、優月のことを考えることが本当に俺にできるんだろうか?
兄貴の彼女だから、優月がほしいと思ったんだってことを、はっきり否定することができるんだろうか。
成績優秀で、スポーツもできて、信頼され、親の期待も一心に受けている俺の持っていないものを全て持っている兄貴。
だから兄貴のものをひとつくらい奪ってしまいたいと、願ったことは本当になかったんだろうか…。
不安にも似た、無性に居心地の悪い思いが、背中にぴったりと張り付いているようだった。
昼休みに、赤城が雑誌を持って俺の元にやってきた。
勿論、週末の予定を決めるために。
でも俺は、少しも赤城の言葉を捉えることができなかった。
「圭太君、聞いてる?」
その声にはっとすると、赤城が少し怒ったような、それでいて伺うような表情で見ていた。
「ああ、ごめん」
「…どうかした?」
手元の雑誌をぱたりと閉じて、顔を覗き込んでくる。
「いや、別に」
「そう?」
「あのさ」
聞くつもりなんてなかったのに、何だか言葉が勝手に口を突いて出ていた。
「赤城は、最初相手のどこを見て、いいなとか思うわけ?」
「え?」
唐突な質問に、一瞬きょとんとして、それでもすぐに真剣な顔になる。
「男の人ってことだよね?」
「うん」
「顔、かな?」
「顔?」
「うん、顔だよ」
最初冗談かと思ったけれど、赤城は至って真剣に答えてくれているようだった。
「だって、何も分からないうちに判断できる材料って言ったら、よっぽど特殊な状況でもない限り、見た目じゃない?」
「特殊な状況?」
「そうそう。命救われたとか、世界で二人きりになっちゃったとか」
そんなことを真剣に話している赤城がおかしくて、思わず吹き出した。
「そんな状況、滅多にないんじゃないの?」
赤城もつられて笑いはしたけれど、それでもなお真剣に答える。
「そう、滅多にないの。というか、ほとんどありえない。だから結局は見た目なんだよ」
「見た目、ねえ。じゃあ、中身とかはどうでもいいわけ?」
赤城は頬杖をついて、首を横に振りながら俺を見上げる。
「そんなことないよ。中身も重要。でもそれは相手を知ってからのことでしょ? きっかけなんて、案外軽いものだったりすると思うけれど」
「そんなもの?」
「そうだよ。だから相手を知ろうとか思うんじゃない。最初は顔でも、それはあくまできっかけ。その後が重要なの。きっかけなんて少しも重要じゃないと思う。私はね」
きっかけなんて少しも重要じゃない。
赤城の言葉に、物凄くほっとしている自分がいるのが分かった。
何も知らない赤城が、きっかけは重要じゃないといってくれたことで、さっきまで張り付いていたあの嫌な感じが、ふっと軽くなっていくようだった。
「って、顔、顔って、私物凄く嫌な奴みたいじゃない?」
赤城がはっとしたように顔を赤くした。
そんな表情も、俺を和ませる。
「別に。私は優しくて誠実な人が好きですとか御託並べるよりも、よっぽど正直でいいんじゃないの?」
「ホントにそう思ってるー?」
必殺上目遣いが、単純に可愛く見える。
赤城といると、何だか優月のときのような、焦燥感とか、焦がれるようなじりじりした感覚じゃなく、ゆったりとした居心地のよさがあった。
この居心地のよさを、俺は自分で思っているよりも気に入っているのかもしれない。