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 不気味なほどに静かな夜だった。

 勝利の美酒に酔いしれることなく、ジャン=ジャックは砦で夜戦に備えて起きている。

 森に獣の気配が無いのは、ゴブリンに恐れをなして逃げ出したからだ。生肉の滋養を好む小鬼(ゴブリン)たちは、捕えた獲物を血抜きもせずに貪る、と何かの本でジャン=ジャックは読んだことがあった。


「……ゴブリンは、何の為に攻めて来たんだ?」


 やけに透き通った冬の夜空を見上げながら、自問する。

 兵達には、温かい食事と少しばかりの酒を振る舞ってあった。<破城槌>のユーグ・ダナンに備えた蓄えだ。好きに食わせて無くなるほど少なくはない。


 そこここで焚火を焚かせているのは、暖を取らせるためだけではなかった。

 恐怖心を、和らげるためだ。燃え盛る火は心を昂揚させ、酒精と相俟って兵士の持つ素直な恐怖を麻痺させる。

 ゴブリンは、こないだろう。来るとすれば、明日だ。

 だが、ここで兵たちを完全に休ませることが出来るほど、ジャン=ジャックは戦に慣れていない。義父であれば兵たちに混じってさっさと眠ってしまっただろう。


「何の為に、攻めて来たんだ」


 もう一度、呟いてみた。

 梟雄ユーグ・ダナンから叩き込まれた戦いの極意は、「相手に勝たせないこと」だ。

 時と場合にもよるが、相手の意図を挫くことこそがこちらの最上の勝利となり得る。

 まともな教育を受けた騎士であれば、一笑に付すだろう。こちらの勝利と相手の敗北は同義である、と考える方が分かり易い。


 敵の大将を斃す。十分な数の敵を殺す。

 そういう戦いのやり方を、ユーグ・ダナンはジャン=ジャックに仕込まなかった。

 戦機を読み、敵の意図を挫く。

 最初から勝とうと気負うから、負ける時に大負けしてしまう。

 相手に勝たせず、こちらが負けるにしても「上手く負ける」というのが<破城槌>こと義父ユーグ・ダナンの教えだった。


 相手に勝たせないためには、その目的を正確に推し量らねばならない。

 侍女の差し出した木の器を受け取りながら、ジャン=ジャックは推理する。

 小鬼がこの時期に山を下りてくることはけして珍しいことではない。三々五々と連れ立って、山麓の農家を襲っては家禽や畜獣を貪っていく。小麦や大麦、酒を奪っていく者もいる。


 知らず、ジャン=ジャックの口元に薄笑いが浮かぶ。

 小鬼のような存在が、自分たち貴族の統治の正当性の源だという生々しい実感が湧いたのだ。

 今回の襲撃を受けてからというもの、近隣の農民はほとんど献身的にジャン=ジャックに協力を申し出ていた。そうすることが自分たちの生存に最も効果的だと打算で知っているからだ。

 普段なら義父のユーグに忠義立てて小憎たらしい嫌味の一つも言ってくる富農が、文句も言わずに自分の蔵を開放したのは思わぬことだった。


 民が力を頼るのは、外敵あればこそだ。

 守る為に剣を振り、代価として年貢を受け取る。

 小鬼がいなければ、貴族の力は今ほど民の支持を受けてはいないだろう。

 全ての物事は必ずどこかで繋がっているのだ。


 繋がっている。

 ゴブリンが、一千も二千も山を下ってくることも、何かに繋がっているはずだ。

 今年の冬は寒いが、例年に比べて特筆すべきほどではない。山の糧食がなくなって、追い詰められての行動ではないだろう。

 それが、恐ろしい。

 食欲に突き動かされて軍を発したのであれば、適当に略奪をすればそれで満足して山に帰るだろう。


 だが、今回は違った。

 数が多過ぎる上に、砦に籠ったジャン=ジャックを無視することなく襲い掛かって来たのだ。それはつまり、奴らの目的が「軍の駆逐」にあることが伺える。


 領土の拡張。

 これまで小鬼が大規模な南進を行ったことは二度ある。そのどちらも、数千の軍を率いてのことだ。不意を突かれた諸侯は奴らを上手く追い散らすことが出来ず、結果として今の境界が定まっている。


 ジャン=ジャックは自分の膝が震えていることに気付いた。恐怖だけでも武者震いでもなく、両者の混在した、震えだ。

 兵の前でそんな姿を見せるわけにもいかず、そっと足に力を篭める。


「伝令を」



 呼ばれて来たのはまだ年若い傭兵だった。

 お呼びでございますかと尋ねる顔はほんのりと酒気で赤みを帯びている。初陣だったのかもしれない。戦士である以上誰しも初陣はあるが、ともかくも生き延びることが出来たのだ。幼いながらも溌溂とした表情は勝利の喜びに満ちている。


「ユーグ・ダナン殿に、これを渡してくれ」


 そういって手渡したのは、今しがた(したた)めたばかりの書状だった。

 小鬼の目的についてジャン=ジャックの思うところが述べてある。採るべき道も。そこまでしなければ、厳しい義父の求める水準に達することは出来ない。


「分かりました。必ず」

「義父殿は眠っているかもしれない。その時は、側近の誰かに渡してくれ」

「はい、そのように」


 そう言って駆け出す少年傭兵の背中を見送る。

 膝の震えは、もう、無くなっていた。




 ジャン=ジャックの予想に反し、ユーグは眠ってなどいなかった。

 床に就く気配すら見せず、広げた地図の上で木駒を弄んでいる。

 少年傭兵の持ってきた手紙の内容は、ユーグの思っている所と一致していた。これは、攻勢だ。


「しかしあの婿殿もこれを読むとはな」

「先が愉しみですな」


 ユーグの直卒する騎兵部隊を束ねるポンが笑った。

 ジャン=ジャックとユーグの確執を知らない者にとっては、主人の婿とはつまり自分が次代に仕えるべき相手なのだ。


「先があれば、な」


 ユーグの元には先刻から引っ切り無しに伝令が入ってきていた。

 近隣三〇リーグの情報は、全てここに集まるように仕向けてある。

 目撃された小鬼の数を木駒で地図に置きながら、ユーグは低く唸りを漏らした。


 異常だ。

 かつての小鬼の南進を、ユーグも知らない訳ではない。その時の敵の動員兵力は、おおよそ全体で七千。それでも十分に脅威だというのに、今回はそれを遥かに上回る。

 砦を襲った先遣隊の去った西の哨点に三千、それとは反対の東の哨点には二千、北に放った斥候隊は、五千を超える敵と接触したために退避行動に移ったと伝令を寄越している。


 一万。

 小鬼がこれだけの軍を編成出来るという事は、まるで想定されていなかった。

 男爵ユーグ・ド・アナンが動員できる最大兵力など、どれほど過大に見積もっても一千が限度だ。王府に出した応援要請の早馬がどういう扱いを受けるかは分からないが、いずれにせよ、娘婿の籠る砦と手元の兵力でここを支える必要がある。


 手紙にも、ここで踏み止まるべきだと書いてあった。

 ここから王府までのなだらかな平原には、遮蔽物さえない。依拠して守るべき拠点がない平原で決戦に及べば、単純に数の多い方が有利だった。


 それだけではない。

 ユーグ・ダナンの婿は文章としては書いていないが、政治についても匂わせている。梟雄ユーグ・ダナンが退いた所で、どの諸侯も軒を貸してはくれないだろう、というところまできちんと喝破している。

 頼もしくもあり、腹立たしくもある。

 その才気を、何故自分に見せなかったのか。

 もっと早くに才覚に気付いてやれれば、今日のこの日をもう少し違った形で迎えることも出来たはずだ。


「ガン荘よりテルシュ以下十四名、盟約に基づいて参陣致しました」

「モントソのギデオン、郎党二十七名を率いて参陣!」

「クルヴネのトー一族、遅ればせながら参陣仕った!」


 集まってくる連中は、みな精強だ。殺しても死にそうにない面構えをしている。どこの傭兵隊に出しても古参兵として最上級の扱いを受けるであろう剛のものたちだ。

 ユーグがユーグの為にユーグによる戦争をする為に育てた兵士。

 手元にあるカードは、これともう一枚こっきりだ。


「まさか婿殿を頼りにする日が来るとは思わんかったな」


 浮かべる自嘲の笑みはしかし、どこか嬉しげでさえあった。


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