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集まる軍勢に、ユーグ・ダナンは目を細めた。
意外に多い。
三々五々と集まる郷士の群れは、ユーグの予想を越えた参集率だった。
季節は冬だ。となれば半分くらいはあれやこれやと理由を付けて軍役を免れようとするのが相場だ。
それがどうか。
統一感の全くない陣羽織や具足を付けて、今ここにいるだけで三〇〇の兵である。
触れの速さから考えて、これからますます増えるに違いない。
「おい、ポン。どうしてこんなに集まった?」
「へぇお屋形様。若様一大事と聞いては、居ても立ってもいられやせんで」
手近にいた男はユーグの疑問を氷解させる。
実際はともかくとして、対外的にはまだジャン=ジャックはユーグ・ダナンの跡取りだった。
なれば主家存続の一大事である。
ユーグ率いる兵団の中核は元々が傭兵崩れか野盗の群れだ。人がましくして貰った恩を十分以上に感じている、いわば忠犬のような連中だった。
若様の城が囲まれたとあれば何を措いても駆けつける。
それがジャン=ジャックの人望とあってはユーグにとっては面白くない。が、どこか面映ゆい気もする。
何と言っても、一時は全てを伝えようとした弟子であり、義理の息子なのだ。
(それに)
今回の一件で、ユーグは娘婿を見直していた。
これだけの堅陣を敷けるのであれば、城攻めにも応用が効く。
攻城と籠城は表裏一体で、相手の心を読むことが何よりも肝要だ。
となればジャン=ジャックは<破城槌>の跡目を継ぐに相応しい人材に育っている。
諸手を挙げて歓迎するのはどうにも癪に障るが、頬に接吻くらいは許しても良い。
偏執的な一方で移り気な処もあるユーグは、すっかりジャン=ジャックと和解するつもりになっていた。
○
一糸乱れぬ動きで逆落としの準備を進めながら、ユーグ兵団の弱点がここにある。
戦の天才、ユーグの片腕となるべき人間の不在だ。
長年を戦塵の中で過ごしたユーグはしかし、副官や副将といった存在をついぞ置いたことがない。
理由は明白で、誰一人として“ユーグの戦争”を理解出来ないからだ。
戦争はまるで霧の中で全てが一斉に始まり、訳のわからない内にカタの付くものである。
そこから何かを嗅ぎ取る鼻は、共有できる物ではない。
それを補う人間の存在。
それこそがユーグの見果てぬ夢だった。
拳一つでは殴ることしか出来ないが、腕が二本あれば引っ張ることも握り潰すことも抱え込むことも叩き潰すことも出来る。
夢が、叶うかもしれない。
齢を重ねて皺を刻みながら、ユーグの心は少年のように高鳴っていた。
「お屋形様、動きがあります」
「うむ」
眼下に視線を移せば、小鬼たちが夜襲を掛けている。
身の丈の低い小鬼は早々に外壁を攀じ登る戦術を放棄していた。
となれば雨の如く降り注ぐ矢を急拵えの戸板のような大楯で防ぎながらの突撃しかない。
守り手も心得たもので、戸板と見るや簡便な投石機で大石を投げ打つ。
一進一退に見えてそこは数の有利。次第に小鬼は包囲の輪を狭めていく。
目指すのは、ユーグが看破した守りの綻びだ。
小柄な体で手槍を抱え、何百という小鬼が村に殺到していた。
(これは好機、か)
敵の注意は完全に村の側を向いている。
後背を襲われるなどと微塵も考えていない様子だ。
まだ兵力は集まり切ってはいなかったが、それはそれである。
幸運の女神は振り返らない。
ならば、するべきことは一つだった。
「総員、騎乗! 旗掲げ! 突撃ッ!!」
○
押し寄せる小鬼の群れに、ジャン=ジャックはヒュウと口笛を吹いて見せた。
わざと隙を作り、敵をそこに吸引する。
策は見事に当たっていた。
外壁を構成する家々の連なりに一箇所だけ生じた綻び。
そこに向かって押し寄せる小鬼は、喜び勇んで村の中に突撃する。
だが、それは罠だ。
入った先は狭い路地で、小柄な小鬼と言えど横に二人は並べない。
路地の左右は矢狭間が開いており、そこから次々と矢が射掛けられる。
しかも、矢の雨を潜り抜けても待ち構えているのは、無情な行き止まりだ。
後から後から押し寄せる味方に阻まれ、行くことも戻ることも出来ずに矢の的となるしかない。
遠い知己を頼り、ジャン=ジャックが手に入れたのは遥かに南方アルハンブラ大宮殿の“殺しの間”の見取り図だ。流石に完全な再現など出来ようはずもないが、田舎城砦にしては気の利いた罠になっている。
幾千幾万の敵を殺戮した“殺しの間”を真似た虐殺回廊は、首尾良く小鬼の突撃先を冥府へと逸らしているようでだった。
全てが上手く行っている、今の処。
だがジャン=ジャックの脳漿にこびり付いた義父の体験談は警告を発している。
何だ。
何かがおかしい。
勝ち過ぎているというのではない。
反撃は空恐ろしいくらいに上々の成果を挙げているが、こちらの被害も無視できる程度ではない。
ならば、何が。
その時、ジャン=ジャックの疑念を吹き飛ばすような鬨の声が耳朶を打った。
「聖シャルロット、ユーグ・ダナン!」
「聖シャルロット、ユーグ・ダナン!」
それは天上の聖人の守護を願って最初に叫び、後に続くは<破城槌>の名乗りだった。
小鬼相手に<破城槌>の名ははったりにもならないだろうが、立て籠もる人間にとっては天の助けに外ならない。
或いは大天使が駆け付けるよりもよほど心強いかもしれなかった。
(……来た、来てくれた)
一瞬、広がる喜びに似た感情を、ジャン=ジャックはしかし慌てて打ち消す。
この元学僧を支えているのは今や神への信仰でも妻への愛でもなく、義父への憎悪なのだ。
であればここで義父の来訪を喜んでしまえば、背骨を支える気力すら手放してしまいそうになる。
「ユーグ兵団に呼応せよ! 火矢を放て! 手隙の者は鳴り物を鳴らせ!」
思わず竦む足を一度ぴしゃりと叩くと、ジャン=ジャックは矢継ぎ早に指示を出す。
援軍がいるのであれば、城の守りというものは劇的に様相を変える。
これまでは殴られる的でしかなかった物が、頑丈な金床として敵の前に立ち塞がるのだ。
打ち付ける槌は、その名も高き<破城槌>。
堅城と<破城槌>に挟まれては小鬼の群れなど千でも二千でも変わりはしない。
壁に取りついていた哀れな小さい生き物たちは、算を乱して逃走を開始する。
それを許す守備隊ではない。
火矢はそのものの威力よりも混乱を生むことに大きな魅力がある。
人の生き死にを云々する僧だったはずの男は、義父から学んだ殺しの技を忠実に再現していた。
ジャン=ジャックは櫓に登る。
冬の夜風が頬に心地いい。
流石は義父の鍛えた兵団だけあり、完全に統率が取れていた。
一個の獣のようにしなやかな動きで逆落としを食らわせると、後は鞭の如くに動き回って敵の陣営を食い破る。それはまるで老獪な毒蛇が臓腑を食い荒らすようにも見えた。
(心地よい)
配下の弓手に指示を出しながら、ジャン=ジャックはこれまで感じたことのない昂揚感に浸っていた。
義父が嬲り、掻き乱した所に火矢を射掛ける。
或いは、騎馬の動きが鈍る処で援護の矢を放つ。
それは麗人とのダンスにも似て、二人で作りだす芸術だった。
顔も合わせずに連携し、呼吸を読んでの殺戮劇は見る者を恍惚とさせる魔力すら帯びている。
(これは…… 勝てる)
最初に抱いた消極的な勝利ではない。
完膚なきまでの勝利だ。
その後をどうするか。
一瞬脳裏に過ったそれをジャン=ジャックは打ち払う。
今はこの狂気に身を委ねていたかった。