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早い春の犬  作者: 臥亜


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5/10

講話

講話の依頼は、思ったよりあっさり来た。

朝のホームルーム。

担任がプリントを配りながら言う。

「来週、動物自立支援センターから講師を招きます」

教室がざわつく。

「犬らしい」

誰かが言う。

笑いが起きる。

先生は続ける。

「共生について考える機会にしたい」

黒板に書かれる。

【特別講話:声を持ったその後】

僕の喉が乾く。

ポケットの中のスマホが震えた。

母からだ。

【こたちゃん、学校から連絡あったって】

指先が冷える。

放課後、急いで帰る。

リビングでコタロウが待っていた。

「来たね」

「うん」

少しだけ誇らしそうな顔。

「やるの?」

「やる」

即答だった。

「嫌じゃないの?」

「怖いよ」

正直だ。

「でも、君の教室なんでしょ」

心臓が変な音を立てる。

「別に、俺のじゃない」

「君の世界でしょ」

そう言われると、否定できない。

僕の席。

僕の友達。

僕の居場所。

そこにコタロウが立つ。

それは、

家族を見られることでもある。

「変なこと言うなよ」

思わず言ってしまう。

コタロウは少し首を傾げる。

「変なこと?」

「なんか……」

言葉が続かない。

“恥ずかしい”とは言えない。

“怖い”とも言えない。

コタロウは静かに言う。

「本当のことしか言わないよ」

それが一番困る。

講話当日。

体育館は思ったより人が多い。

一年も二年もいる。

ざわざわとした空気。

壇上に机とマイク。

そして、

小さな台がひとつ。

「緊張する?」

小さく聞くと、

「うん」

と笑う。

呼ばれる。

「本日の講師、コタロウさんです」

拍手が起きる。

その音が妙に遠い。

コタロウはゆっくり台に上がる。

マイクの高さを先生が調整する。

体育館が静まる。

コタロウは、教室を見る。

僕の席のほうを一瞬だけ見た。

それから前を向く。

「こんにちは」

ざわめきが走る。

でもすぐに止む。

「僕は十四歳です」

間。

「急に喋れるようになりました」

小さな笑い。

「正直、びっくりしています」

また少し笑い。

空気がやわらぐ。

「でもね」

声が少し低くなる。

「僕は昨日まで、喋れなかっただけで、何もなかったわけじゃない」

静まり返る。

「散歩が楽しかった日もあるし、寂しかった日もある」

僕の指先が震える。

「スマホを見ている横顔を、ずっと見ていた」

視線が、刺さる。

誰も僕を見ていないのに、

全部見られている気がする。

「でも」

コタロウは続ける。

「それでも、好きだったよ」

体育館の空気が変わる。

「言えなかったけど」

沈黙。

「だから今、言えてよかった」

その声は、強くない。

でも、揺れない。

「働きたいと思ったのは、自立したいからじゃない」

少し息を吸う。

「ちゃんと、一緒にいたいから」

胸が詰まる。

意味がすぐには分からない。

「選べる立場になって、

それでも隣にいるって言えたら、

それは本当の家族だと思う」

静かだ。

誰も動かない。

先生も、友達も、

みんな聞いている。

「みんなも、きっと急に責められてる気がすると思う」

教室での僕の言葉が蘇る。

「でも、責めたいわけじゃない」

少しだけ笑う。

「一緒に考えてほしいだけ」

拍手は、すぐには起きなかった。

数秒の沈黙のあと、

ぽつぽつと音が広がる。

やがて大きくなる。

僕は立てなかった。

拍手もできなかった。

ただ、

涙が出そうになるのをこらえる。

壇上のコタロウは、

少しだけ息が荒い。

ほんの一瞬。

でも僕には分かる。

それでも、最後に言った。

「ありがとうございました」

深く頭を下げる。

体育館に響く拍手。

その音の中で、

僕は初めて思った。

コタロウは、

僕よりずっと大人だ。

そして、

時間は、

思っているより少ないのかもしれない。

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