第8章:『無邪気な捕食者と、赤ずきんの狂宴』
その場所は、かつて世界で最も人が行き交う交差点だったという。 だが今、そこに転がっているのは人ではない。 スクラップの山だ。
「……ひどいな。共食いか?」
俺は愛用の対物ライフルを構え、スコープ越しに惨状を覗いた。 渋谷スクランブル交差点。 そこには、数十体もの『天使』の残骸が散乱していた。だが、銃撃や爆撃によるものではない。 手足を引きちぎられ、首をねじ切られ、中枢コアを強引に抉り出された痕跡。 まるで、巨大な子供が癇癪を起こして人形を壊したような、無慈悲な暴力の跡だった。
「否定します、クロト。天使に共食いの習性はありません」
アイリスが油断なく周囲を警戒しながら進む。 その背中には、アガルタから奪取した巨大な『対艦用チェーンソー剣』が鎮座している。
「それに、見てください。あの中央にいる個体……『セラフィム級』です」
俺は息を呑んだ。 セラフィム級。アガルタ防衛軍が一個中隊で挑んでも全滅しかねない、エリアボスだ。 その巨体が、地面に縫い付けられるように仰向けに倒れている。 そして、その巨体の上に――**「それ」**はいた。
赤いレインコート。 雨に濡れたその鮮やかな赤色は、灰色の世界で異様なほどに浮いていた。 フードを目深に被った小柄な人影。見た目は、十代半ばの少女に見える。
「♪〜、あーかい、おめめの、うさぎさん〜」
鈴を転がすような、可愛らしい歌声。 少女は楽しそうにハミングしながら、瀕死のセラフィム級の胸部に手を突っ込んでいた。 グチャリ、という湿った音が響く。 彼女は素手で、鋼鉄の装甲を豆腐のように引き裂き、中から脈動するコアを掴み出したのだ。
「あはっ! みーつけた。キラキラしてて綺麗!」
少女は無邪気に笑うと、そのコアを握りつぶした。 プシュウウウ……。 怪物が最期の断末魔を上げ、沈黙する。
「……何者だ? 人間か?」
俺の呟きに、少女がピクリと反応した。 彼女がゆっくりとこちらを振り向く。 フードの下から覗いたのは、黄金色の瞳。そして、人間離れした鋭い八重歯。
ドクン。 俺の心臓が警鐘を鳴らす。『共感接続』が、かつてないほどの激痛とノイズを俺の脳に叩き込んだ。 感情が読めない。いや、感情が「混沌」そのものだ。
「あ……人間だ! それに、お人形さんも!」
少女――イヴは、パッと顔を輝かせた。 血まみれの手をレインコートで拭いながら、スキップするように瓦礫を降りてくる。
「ねえねえ、遊んでくれるの? 私、退屈で死んじゃいそうだったの!」 「止まれ! それ以上近づくな!」
俺は警告し、威嚇射撃を足元に行う。 コンクリートが弾け飛ぶ。だが、イヴは瞬き一つしなかった。
「あはは! バンバンって音、好き! もっとやって!」 「……会話が成立しません。戦闘準備」
アイリスが前に出る。背中のチェーンソー剣を引き抜いた。 全長二メートルの鉄塊。 トリガーを引くと、ブォォォォン!! という凶悪なエンジン音が咆哮を上げた。高速回転する刃が、雨粒を弾き飛ばす。
「すごーい! 大きくて強そう! ねえポチ、あれに勝てる?」
イヴが指を鳴らす。 すると、瓦礫の影から、首輪をつけられた『天使』たちが現れた。 四足歩行型の獣のような個体。だが、その目は虚ろで、明らかにイヴの支配下にあった。
「行け、ポチたち! ご飯の時間だよ!」
イヴの号令と共に、三体の獣型天使が襲いかかってくる。 速い。だが――。
「邪魔ですッ!!」
アイリスが一閃した。 横薙ぎに振るわれたチェーンソー剣が、空間ごと断ち切るような軌跡を描く。 ギャリガリガリガリッ!! 凄まじい切断音。 先頭の一体が、悲鳴を上げる間もなく上下真っ二つに両断された。飛び散る体液の雨の中、アイリスは回転の遠心力を利用して二撃目、三撃目を叩き込む。
圧倒的だ。 パイルバンカーが「点」の破壊なら、このチェーンソー剣は「面」の暴力。 一瞬で三体の怪物が肉塊へと変わった。
「対象沈黙。……クロト、この少女は危険です。通常の人間ではありません」
アイリスは剣の回転を止めずに、切っ先をイヴに向けた。 しかし、イヴは恐怖するどころか、うっとりとした表情で拍手していた。
「強い強い! 素敵だよ、お姉ちゃん!」
イヴは一歩、また一歩と近づいてくる。 アイリスの殺気を受けても、まるで春の野原を歩くように。
「ねえ、その体……どこで作ったの? アガルタの匂いがするけど、もっと別の……懐かしい匂いもする」
彼女は鼻をくんくんと鳴らした。
「私と同じ。『混ざりもの』の匂い」
「……何?」
アイリスが眉をひそめる。 イヴの黄金の瞳が、妖しく細められた。
「今はまだ壊すのがもったいないなぁ。もっと熟してから食べたいかも」
彼女はふわりと跳躍した。 人間には不可能な跳躍力で、信号機の上に軽々と着地する。
「私はイヴ。また遊ぼうね、お姉ちゃん、お兄ちゃん。……次は私の『本気』を見せてあげる」
クスクスという笑い声を残し、赤い影はビルの谷間へと消えていった。 後に残されたのは、解体された天使の山と、降り止まぬ雨音だけ。
「……『混ざりもの』……」
アイリスが低い声で反芻する。 俺は震える手でライフルの安全装置を戻した。 間違いない。 あれは『天使』でも『葬送機』でもない。 この地上には、俺たちの知らない第三の勢力が存在している。




