第5章:『堕天の逃避行、あるいは鋼鉄の愛の駆け落ち』
轟音。そして、舞い上がる粉塵。 俺が放った銃弾は、ガランド大佐の眉間――ではなく、天井の巨大なクリスタルシャンデリアを撃ち抜いていた。
数トンの重量を持つガラスの塊が、重力に従って落下する。 大佐の親衛隊たちが、主を守るために一斉に動いた。その一瞬の隙こそが、俺たちが生き残るための唯一の勝機だ。
「アイリス、今だ!!」 「……命令、受諾!」
金属が千切れる鋭い音が響く。 アイリスは自らの怪力でチタン合金の手錠を引きちぎると、床を蹴って加速した。 その速さは、人間の動体視力を遥かに超えている。
彼女は俺の体を軽々と抱き上げると、爆風とガラスの雨を突き抜けて執務室の扉を蹴破った。
「警告。全館に緊急アラート発令。識別信号『反逆者』。……マスター、私たちはアガルタの敵になりました」
廊下を疾走しながら、アイリスが淡々と告げる。 抱えられている俺の耳には、ビー! ビー! という不快なサイレンが鳴り響いていた。
「後悔してるか?」 「質問の意味が不明です。私の最優先任務はマスターの生存。社会的地位の喪失は、生存確率の計算に含まれません」
相変わらずの減らず口だ。だが、『共感接続』を通して伝わってくる彼女の感情波形は、かつてないほど高揚し、熱を帯びていた。 嬉しいのだ。俺が彼女を選んだことが。
「来るぞ! 前方、12時の方向から三機、壁の向こうだ!」
俺が叫ぶと同時、廊下の角から増援のアンドロイド部隊が現れた。 最新鋭の量産型『ヴァルキリー』。スペック上はアイリスより上位の機体だ。
「排除します」
アイリスは止まらない。 俺の『予知』に近い索敵情報がダイレクトに彼女の脳へ流れている。彼女は敵がトリガーを引くよりも早く、壁を蹴って天井へ跳躍していた。
ズドン! 着地の衝撃と共に、アイリスの蹴りが先頭の一機の頭部を粉砕する。 着地と同時に回転し、奪い取った敵のアサルトライフルを残る二機へ乱射。 ヘッドショット。完璧な制圧だ。
「……動きが、軽い」
アイリスが自分の手を見つめる。
「マスターとのリンク深度が上昇しています。思考するよりも先に、体が最適解をなぞるような感覚。……これが、旧世代の力?」 「いいや、それが俺たちの『相性』だ!」
俺たちは止まらずに駆ける。 目指すは正規の出口ではない。そこは既に封鎖されている。 俺たちが向かったのは、軍事区画の最下層にある『第3保管庫』――試作兵器や、危険すぎてお蔵入りになった装備が眠る場所だ。
***
電子ロックをクロトのID(まだ無効化されていなかった!)で解除し、中へ滑り込む。 薄暗い倉庫には、ホコリを被ったコンテナが並んでいた。
「時間がない、必要なものだけ持っていけ!」
俺は手近なロッカーをこじ開け、自分用の装備を漁る。 黒のタクティカルコート、高機能ガスマスク、そして大口径の対物ライフル。 これからは、俺も守られるだけじゃ済まない。
その時、アイリスがあるコンテナの前で立ち止まった。 彼女の視線が釘付けになっている。
「……マスター。これ」
彼女が指差したのは、巨大な黒いケースに入った異様な武装だった。 『可変式・対艦用チェーンソー剣』。 全長2メートル。刃の部分が超高速回転するチェーンソーになっており、戦車の装甲すら紙のように切り裂く、狂気の近接武器だ。 あまりに重く、エネルギー消費が激しすぎるため欠陥品扱いされていた代物だが……。
「……欲しいのか?」 「パイルバンカーは弾切れがあります。ですが、これならエネルギーが続く限り斬れます。……合理的です」
赤い瞳が、ショーウィンドウのドレスをねだる少女のように輝いている。 俺は苦笑して頷いた。
「持っていけ。地獄の底まで付き合ってもらうんだ、プレゼントくらいしてやる」
アイリスは嬉々としてその巨大な剣を背負った。 ゴシック調のバトルドレスに、凶悪なチェーンソー。背徳的で、最高に似合っていた。
だが、安息はそこまでだ。 背後の通路から、重厚な足音が響いてくる。 シュナイダー中尉の声だ。
「隠れんぼは終わりだ、ネズミども! そこは袋小路だぞ!」
追い詰められた。 保管庫の奥は行き止まり。あるのは、壁に設置された巨大な円形のハッチのみ。 『産業廃棄物投棄口』。 ここから捨てられたゴミは、数百メートルのダクトを通って、地上の汚染区域へ直接排出される。
「……アイリス」 「はい」 「飛べるか?」 「マスターとなら」
俺はハッチの緊急開放レバーに手をかけた。 プシュウウウッ! 気圧差で猛烈な風が吹き荒れ、眼下に底なしの闇が口を開ける。
追手が部屋になだれ込んでくるのが見えた。 シュナイダーが驚愕の表情で叫ぶ。
「貴様ら、正気か!? そこは地獄への直行便だぞ!」
俺はアイリスの腰を抱き寄せ、ニヤリと笑って中指を立てた。
「ああ、知ってるよ。――だが、ここの空気よりはマシだ!!」
俺たちは地を蹴った。 重力が消える。 暗闇の中、俺たちは抱き合ったまま落下していく。
アガルタの白い光が遠ざかり、代わりに鼻を突くのは、懐かしい鉄錆と腐敗の臭い。 二度と戻れない、堕天の始まり。
風切り音の中で、アイリスが俺の胸に顔を埋め、小さく呟いたのが聞こえた。
「……どこまでも行きます、私の共犯者」
こうして俺たちは、人類最後の楽園を捨て、死と絶望が支配する地上へと還った。 本当の自由と、青い空を求めて。




