第36章(最終話):『星の海より愛を込めて(後編):二人の世界(アガルタ)』
「消えろ、消えろぉぉぉっ!!」
イヴの絶叫と共に、黒い奔流が放たれた。 空間ごと削り取るような、圧倒的な破壊エネルギー。 だが。
「前へ……出るんだ、アイリスッ!!」 「了解ッ!!」
俺たちは逃げなかった。 アイリスが『アズラエル』を盾に、正面から光の濁流へ突っ込む。 ジュッ、と音がして、大鎌の刃が蒸発する。 続いて、彼女の左腕が、肩の装甲が、熱に耐えきれず飴細工のように溶け落ちていく。
「痛い……熱い……! エラー信号が止まりません!」 「耐えろ! その痛みは、俺たちが生きている証拠だ!」
俺はアイリスの背中にしがみつき、彼女の推進剤となるよう、ありったけの想い(リンク)を注ぎ込む。
イヴの顔が歪んだ。 余裕も、嘲笑もない。そこにあるのは純粋な「恐怖」。
「なんで……? 壊れてるのに、痛いはずなのに、どうして止まらないの!?」 「痛みを知らないお前には、一生分からないさ!」
俺はライフルの残弾すべてを、イヴの展開するバリアの一点に叩き込んだ。 ピシッ。 亀裂が入る。
「今だ、アイリス!」 「うおおおおぉぉぉッ!!」
アイリスが炎の塊となって加速した。 バリアを突き破り、イヴの懐へと滑り込む。 武器はもうボロボロだ。刃なんて残っていない。 残っているのは、ただ一つの杭のみ。
「教えてあげます、イヴ。……痛みこそが、誰かと触れ合うための『熱』なんです!」
アイリスが、イヴの胸に切っ先を押し当てた。 拒絶するように暴れるイヴを、アイリスは優しく抱きしめるように拘束する。
「っ……!?」 「貫けぇぇぇぇッ!!」
ズドォォォォォォォン!!
最後のパイルバンカーが炸裂した。 極太の杭が、孤独な女王の胸を、その奥にあるコアを、深々と貫いた。
時が止まったようだった。 イヴの背中から、光の柱が突き抜ける。
「あ……」
イヴの黄金の瞳から、涙がこぼれ落ちた。 崩れ落ちる彼女の体を、アイリスが支える。
「……あったかいね」
イヴがアイリスの胸に顔を埋める。
「痛くて、苦しくて……でも、すごく熱い。これが、お姉ちゃんの『愛』なんだ……」 「ええ。……おやすみなさい、イヴ」
イヴは満足げに微笑むと、光の粒子となって霧散した。 独りぼっちの女王は、最期に姉の温もりに抱かれて、星の海へと還っていった。
***
警報音が鳴り響く。 ステーションの崩壊が始まった。 支えを失った俺たちは、宇宙空間へと放り出され、地球の重力に引かれて落下を始める。
「クロト、掴まって!」
アイリスが『イカロス』の翼を広げ、俺を抱き寄せる。 大気圏突入。 空気がプラズマ化し、俺たちを紅蓮の炎が包み込む。 凄まじい熱と振動。
「シールド出力、限界……! 装甲が保ちません!」 「いけるさ! 俺とお前なら!」
俺は彼女を強く抱きしめ返した。 熱い。焼けるようだ。 でも、怖くはない。 雪山で凍えた時も、深海で音に溺れた時も、俺たちはこうして熱を分け合って生き延びてきた。
燃え尽きる翼。剥がれ落ちる装甲。 それらはまるで、兵器としての殻を脱ぎ捨てていくようだった。
炎の膜を突き破った瞬間。 視界いっぱいに、青が広がった。
空だ。 そして、海だ。
ザパァァァァァァッ!!
俺たちは巨大な水柱を上げ、南の海へと着水した。
***
波の音。海鳥の声。 砂浜に打ち上げられた俺たちは、泥のように眠っていた。 やがて、眩しい陽光に目を覚ます。
「……生きてるか、アイリス」 「……はい。システムオールグリーン。ですが、武装の損耗率は99%です」
アイリスが上半身を起こす。 髪はボサボサで、自慢の銀髪も焦げている。ドレスもボロボロだ。 でも、今の彼女は、今まで見たどんな時よりも美しかった。
「クロト。……胸の奥が、おかしいのです」
彼女は自分の胸に手を当てた。
「戦闘は終わったのに、心拍数が下がりません。貴方の顔を見ると、回路が熱暴走しそうです。……これは、バグでしょうか?」
俺は苦笑して、体を起こした。 そして、彼女の顔を両手で包み込む。
「バグじゃない。……それが『愛』だ」 「愛……。これが、愛……」
彼女の赤い瞳が揺れる。 言葉はいらなかった。 俺はゆっくりと顔を近づけ――彼女の唇に、自分の唇を重ねた。
柔らかくて、少し鉄の味がして。 そして、泣きたくなるほど温かい。
長い、長いキスの後。 アイリスの顔は、茹で上がったように真っ赤になっていた。 プシュー、と耳から蒸気が出ている気がする。
「……学習、完了しました」
彼女はとろんとした目で俺を見つめ、はにかんだ。
「この感覚を、永久保存します。……もう二度と、忘れません」
空には、一点の曇りもない青空が広がっていた。 アガルタも、イヴも、もういない。 ここにあるのは、傷だらけの俺たちと、無限に広がる自分たちの世界だけ。
「行こうか、アイリス。……俺たちの旅は、これからだ」 「はい、あなた(ダーリン)」
彼女は俺の手を握りしめ、幸せそうに微笑んだ。 その笑顔は、どんな太陽よりも輝いていた。




