第35章(前編):『星の海より愛を込めて(前編):全能なる女王と、欠落した心』
ステーションの最深部は、教会のように静謐だった。 壁一面の窓の向こうには、圧倒的な質量の地球が青く輝いている。
「綺麗でしょう?」
イヴは窓辺に立ち、愛おしそうに地球を撫でる仕草をした。
「あそこには何十億もの人間がいる。でも、みんなバラバラで、喧嘩して、傷つけ合ってる。……見ていて可哀想になっちゃう」
彼女が振り返る。黄金の瞳が、無垢な聖女のように潤んでいる。
「だから、助けてあげるの。私の細胞(胞子)を撒いて、全員私と一つにしてあげる。そうすれば、もう誰も寂しくない。みんなが私で、私がみんな。……最高のハッピーエンドだと思わない?」
狂気だ。 彼女は本気で、それが善行だと信じている。人類を滅ぼすのではなく、自分の体に取り込んで「管理」しようとしているのだ。
「……お断りだ。俺たちは誰かの一部になりたいわけじゃない」 「そう。残念。……お兄ちゃんたちは、特等席を用意してあげようと思ったのに」
イヴの表情から笑みが消えた。 空気が凍りつく。
「わからず屋な子供には、お仕置きが必要だね」
彼女が指を鳴らした瞬間、床から巨大な茨が噴出し、同時に空気が絶対零度まで低下した。
「なッ……『庭師』と『彫刻家』の能力!?」 「警告! 複合攻撃来ます!」
アイリスが『アズラエル』で茨を切り裂くが、その断面から今度は衝撃波(歌)が放たれる。 『歌姫』の超音波だ。 アイリスが吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「ぐっ……!」 「遅いよ」
俺がライフルを構えるより早く、イヴが目の前に転移していた。『観測者』の未来予測だ。 彼女は軽くデコピンをするように、俺の胸を突いた。 ドンッ!! 重力操作による衝撃。俺の体は砲弾のように弾き飛ばされ、アイリスの隣に転がった。
「が、はッ……」 「マスター!」
強すぎる。 四天王の能力すべてを、オリジナル以上の出力で使いこなしている。 イヴは床に浮遊したまま、退屈そうにあくびをした。
「ねえ、弱いなぁ。お姉ちゃんは失敗作だから仕方ないけど、お兄ちゃんは人間なのにどうしてそんなに脆いの?」
イヴが黒い翼を広げる。 そこから放たれた黒い羽が、雨のように降り注ぐ。一本一本が、鋼鉄を貫く槍だ。
「しまっ――」 「シールド展開!!」
アイリスが俺に覆いかぶさる。 ガガガガガッ!! 背中の装甲が削れ、火花が散る。彼女の悲痛な呻き声がインカムに響く。
「アイリス! もういい、離れろ!」 「いいえ……離しません! 私は、貴方の盾です!」
羽根の雨が止むと、アイリスはボロボロだった。 美しい銀髪は焦げ、白い肌には無数の亀裂が走っている。 それでも、彼女の瞳は死んでいなかった。
「……あら、まだ動くの? しぶといね」
イヴが右手を掲げる。 その掌に、どす黒いエネルギーが収束していく。 ステーション全体が振動するほどの高エネルギー反応。
「もういいや。まとめて消えちゃえ」
『地球同化砲』。 これを撃ち込まれれば、俺たちどころか、眼下の日本列島ごと消滅するだろう。 万事休すか。 俺が歯噛みした時、アイリスがよろりと立ち上がった。
「……クロト」 「アイリス?」 「データ収集、完了しました。……彼女の攻撃パターン、思考ロジック、すべて解析しました」
アイリスは血を流しながら、不敵に笑った。
「彼女は『最強』です。ですが、だからこそ致命的な弱点があります」 「弱点だと?」 「はい。……彼女は『痛み』を知りません。傷ついたことがないから、守る方法も、立ち上がる方法も知らない」
アイリスが『アズラエル』を構える。 その刃は折れかけ、エンジンは異音を上げている。だが、その闘志は最高潮に達していた。
「教えてあげましょう、イヴ。……傷だらけの私たちが、なぜ貴女より強いのかを」




