第34章:『天上の観測者、あるいは星を落とす瞳』
音が、ない。 視界を埋め尽くす光の奔流。だが、そこに爆音はない。 聞こえるのは、自分の荒い呼吸音と、インカム越しの警告音だけだ。
「警告! 熱源接近! 全方位より高出力レーザー!」
アイリスが叫ぶ。 俺たちは今、無重力の海を舞う木の葉のようだった。 背負った『イカロス』のスラスターが吹くたび、天地が逆転し、Gが内臓を押し潰す。
『無駄だよ。君たちの軌道は、すべて「観測」済みだ』
脳内に直接響く、無機質な声。 目の前に浮かぶのは、直径数十メートルはある巨大な機械の眼球。 旧時代の攻撃衛星を乗っ取り、自らの体とした第四使徒――『観測者』。
ズンッ! 音のない衝撃。 俺が狙撃しようとした場所に、先回りするようにレーザーが着弾する。 アイリスが回避行動を取ろうとした先にも、すでに機雷が設置されている。
「くっ、全部読まれてるのか!?」 「肯定。敵は私の回避プログラムを学習し、0.5秒先の未来位置に攻撃を置いています。……このままではジリ貧です!」
アイリスが必死にスラスターを吹かすが、追い詰められていく。 相手はスーパーコンピュータの塊だ。論理的な行動をとる限り、俺たちに勝ち目はない。
『諦めろ。君たちの死ぬ確率は100%。これは決定された未来だ』
巨大な瞳がギョロリと動き、エネルギー充填の光を灯す。 次の一撃で終わりだ。
――計算通りなら、な。
「……アイリス。俺を投げろ」 「はい?」 「俺とお前がくっついているから動きが読まれる。……俺を切り離して、デブリ(ゴミ)として漂流させろ」 「正気ですか!? スラスターのない貴方は、宇宙空間で身動きが取れません! それに、もし回収に失敗すれば……」 「俺は信じてるぞ。お前が必ず迎えに来てくれるってな」
俺はライフルのボルトを引き、覚悟を決めた。
「やれッ!!」 「……了解! クロト、死なないで!」
アイリスが空中で急旋回し、遠心力を乗せて俺を腕から放り出した。 俺の体は慣性の法則に従い、真っ暗な虚空へと滑っていく。
『仲間割れか? それとも生贄? ……まあいい、高エネルギー反応を持つ「個体A」を優先排除する』
観測者の瞳がアイリスを追う。 熱源を持たない俺は、ただの漂流物として脅威対象から外されたのだ。 俺は息を止め、宇宙の闇に溶け込む。 寒さと孤独が襲ってくる。だが、指先だけは熱かった。
アイリスが『アズラエル』を構え、派手に動き回る。 観測者の意識が完全にそちらへ向いた、その一瞬。
俺はライフルの銃口を反対方向に向け、空撃ちした。 ズドン! 反作用。発射の反動が推進力となり、俺の体を回転させる。 照準が合った。 巨大な一つ目。そのレンズのど真ん中。
「見えたぞ……!」
観測者は気づいていない。 計算外の角度。計算外のタイミング。 そして、計算できない「人間の執念」。
「未来はお前が決めるもんじゃない。……俺たちが切り開くもんだ!」
トリガーを引く。 閃光。 対物ライフルの徹甲弾が、真空を切り裂き、一直線に吸い込まれていく。
『な……!? エラー! 予測データに該当なし! 個体Bの軌道が――』
ガシャアァァァァン!!
音のない破砕音。 巨大なレンズの中央に風穴が開き、ガラス片がダイヤモンドダストのように飛び散った。 中枢回路を撃ち抜かれた観測者が、火花を散らして痙攣する。
『バカな……確率0.0001%未満の……奇跡、だと……?』 「奇跡じゃない。信頼だ」
爆発。 衛星ごとその体が四散する。
衝撃波で俺の体が吹き飛ばされ、宇宙の彼方へ流されそうになった時。 白い翼が視界を覆った。
「捕まえました!」
アイリスだ。 彼女は俺を空中で抱きとめ、スラスターを逆噴射させて制動をかけた。
「……ナイスキャッチだ、アイリス」 「無茶苦茶です。心臓停止まであと数秒でしたよ」
彼女は怒ったように、でも安堵したように俺を強く抱きしめた。 ヘルメット越しに、お互いの額を合わせる。
眼下には、見渡す限りのステーション外壁。 その一角にあるドックハッチへ、俺たちは滑り込んだ。
プシュー……。 エアロックが作動し、気圧が戻る。 ヘルメットを外すと、そこは無機質な白い通路だった。
そして、通路の奥。 自動ドアが開き、赤いドレスを着た少女が立っていた。 彼女は拍手をしながら、満面の笑みで迎えた。
「すごいすごい! 花火、綺麗だったよ!」
女王イヴ。 彼女の背後には、地球へ向けて発射準備を整えた、無数の『胞子ミサイル』が並んでいた。
「おかえり、お兄ちゃん、お姉ちゃん。……さあ、最後のダンスを踊ろう?」




