第26章 :『崩壊と新生、あるいは廃土の女王の戴冠式』
【アガルタ居住区・中央広場】
その日、地下の人々は初めて「傘」という概念を知った。 天井の大穴から、本物の雨が降り注いでいたからだ。
「おい、並べ並べ! 食料配給は逃げねえぞ!」
ヴァネッサの怒鳴り声が響く。 かつてのエリート市民たちが、泥だらけのレジスタンスからスープを受け取っている。 ガランドもゼルマンも消えた。管理システムは崩壊し、絶対的な階級社会は瓦礫の下に埋もれた。 これからは、地上の「野蛮人」たちと手を取り合い、太陽の下で生きる術を学ばなければならない。
「……本当に行くのかい、英雄さんたち」
配給の列を離れ、ヴァネッサが俺たちに歩み寄ってきた。 俺とアイリスは、修理を終えたバイクに荷物を積んでいたところだ。
「ああ。俺たちは政治には向いてない。それに……まだ『脅威』は去っていないからな」 「あの赤い嬢ちゃんか。……やれやれ、難儀な生き方だね」
ヴァネッサは呆れたように笑い、アイリスを見た。 アイリスは新しいパーツで補修された左腕を動かし、ペコリと頭を下げる。
「ヴァネッサ、お世話になりました。貴女の作る泥水スープの味、メモリに保存しました」 「褒め言葉として受け取っとくよ。……死ぬんじゃないよ、二人とも」
エンジンの始動音。 俺たちは手を振り、生まれ変わろうとしている故郷を背にした。 目の前に広がるのは、無限の地平線。 だが、その空の向こうには、不気味な雷雲が渦巻いていた。
***
【旧東京・千代田エリア 『爆心地』】
そこは、かつてこの国の中心だった場所だという。 今は巨大なクレーターとなり、高濃度の汚染物質が霧のように立ち込めている。 『天使』ですら近づかない死の領域。
その中心に、イヴはいた。
「ん〜っ! 美味しかった!」
彼女は口元についた金色の粒子を舐め取った。 アガルタから持ち出した『オリジナルのコア』。数万人の人間の精神エネルギーが凝縮された、極上のデザート。
ドクン、ドクン。 イヴの背中が波打つ。 レインコートが裂け、中から漆黒の翼が広がった。 だが、以前のようなコウモリの翼ではない。 孔雀の羽のように美しく、そして鋭利な刃の集合体のような、六枚の黒翼。
「あはっ、力が溢れてくる。ママのデータ、全部もらっちゃった」
彼女はクレーターの中心に積み上げられた瓦礫の山――即席の玉座に腰を下ろした。 その周囲には、数百、数千の『天使』たちがひれ伏している。 それだけではない。 泥の中から、新たな異形たちが生まれ落ちていた。 人型に近いフォルム。知性宿る瞳。イヴの血を分けた直属の親衛隊――『使徒』たちだ。
「ねえ、みんな。今まで私たちは、ただお腹が空いたら人間を食べて、遊んでただけだよね」
イヴが足を組み、頬杖をつく。 その黄金の瞳は、もはや無邪気な子供のものではない。 冷酷で、残忍な、支配者の瞳。
「でも、もう飽きちゃった。人間たちはアガルタを壊して、外に出てこようとしてる。……生意気だよね?」
彼女が指をパチンと鳴らすと、周囲の空間が震え、ホログラムのように日本全土の地図が浮かび上がった。
「だから、決めた。――『国』を作ろう」
イヴは地図の上の生存者コロニーがある場所を、次々と黒く塗りつぶしていく。
「人間を家畜にして、管理して、美味しく育ててあげる国。この地上すべてを、私の食卓にするの」
彼女は立ち上がり、両手を広げた。 背後の黒翼が、太陽を覆い隠すように広がる。
「さあ、始めようか。――『人類狩り』の時間を」
廃土の女王が高らかに笑う。 その声は雷鳴と共に轟き、新たな絶望の時代の幕開けを告げていた。




