第14章 :『荒野の狼たち、あるいは捨てられた民の牙』
雨上がり特有の濃霧が、視界を白く染め上げていた。 水素エンジンの駆動音だけが、静寂な森の廃道に響いている。
「……クロト、右前方に熱源反応多数。パターン、人間」 「人間だと? こんな汚染区域にか?」
アイリスの警告と同時だった。 キキーッ!! 前方の霧の中から、巨大な丸太が振り子のように落下してきた。
「捕まってろッ!」
俺は反射的にブレーキをかけ、車体を横滑りさせた。 間一髪、丸太が鼻先をかすめ、アスファルトを粉砕する。 完全に停止した俺たちを取り囲むように、霧の中から無数の影が現れた。
「動くな! アガルタの犬ども!」
罵声と共に、銃口が一斉に向けられる。 彼らはボロボロの防護服と、継ぎ接ぎだらけの銃で武装していた。目は飢えた狼のようにギラついている。 アガルタから追放された人間たち――『棄民』か。
「……敵対行動を確認。排除しますか?」
アイリスが背中のチェーンソー剣に手を伸ばす。 俺はそれを手で制し、両手を上げてバイクから降りた。
「待て。俺たちは戦いに来たわけじゃない。ただの通りすがりだ」 「通りすがりが軍用バイクに、そのド派手な人形連れかよ。笑わせんじゃねえぞ」
包囲網が割れ、一人の女が歩み出てきた。 身長は俺より高いかもしれない。左目に眼帯、肩には巨大なロケットランチャーを担いだ、歴戦の女戦士だ。
「あたしはヴァネッサ。ここの頭だ」
彼女は俺を睨みつけ、次にアイリスを見て鼻を鳴らした。
「上等な人形だねえ。ピカピカの銀髪に、綺麗な肌。……アガルタの貴族様たちは、こんな玩具を侍らせてぬくぬくと暮らしてるってわけだ」 「言葉を慎重に選べ。こいつは玩具じゃない」 「ハッ、ならなんだってんだ? 愛人か? まあいい、その人形を置いて失せな。解体して動力源にすりゃ、村の電力が一ヶ月は保つ」
ヴァネッサが顎をしゃくると、部下たちがジリジリと距離を詰めてくる。
「……警告。私への接触を試みる場合、防衛プロトコルが作動します」
アイリスの瞳が赤く明滅する。 交渉決裂か。俺が対物ライフルのグリップに手をかけた、その時だ。
ギャオオオオオオッ!!
森の奥から、空気を震わせる咆哮が響いた。 ヴァネッサの顔色が変わる。
「チッ、今の騒ぎで嗅ぎつけやがったか! 野郎ども、構えろ! 『猟犬』だ!」
木々の間から飛び出してきたのは、四足歩行の敏捷な『天使』の群れだった。 数は二十以上。飢えた捕食者の群れが、混乱する生存者たちに襲いかかる。
「うわあああっ!?」
先頭にいた男が、天使の顎に噛み付かれ、悲鳴を上げて引きずり込まれる。 隊列が崩壊する。彼らの装備では、天使の装甲を貫けないのだ。
「クソッ、退け! 陣形を立て直せ!」
ヴァネッサがロケットランチャーをぶっ放すが、俊敏な敵には当たらない。 全滅する。 そう直感した瞬間、俺の身体は動いていた。
「アイリス、右翼の三体を抑えろ! 俺は左をやる!」 「了解! ……マスター、彼らを守る理由は合理的ではありませんが――貴方の命令ならば!」
アイリスが地を蹴った。 黒いドレスを翻し、生存者たちの前に躍り出る。 ブォォォォン!! チェーンソー剣の爆音が、天使の咆哮を上書きした。
「失せろ、雑魚どもッ!!」
横薙ぎの一閃。 飛びかかってきた二体の天使が、空中で肉片と化して弾け飛ぶ。 返り血を浴びたアイリスは、そのまま回転して残る一体の頭部を叩き割った。
「な……っ!?」
腰を抜かしていた男たちが、呆気にとられて口を開けている。 俺はその隙に、ヴァネッサの横へ滑り込み、対物ライフルを構えた。
「ボサッとするな! ボスなら部下に指示を出せ!」 「あ、ああ!? てめぇ、指図すんじゃねえ!」
ヴァネッサは悪態をつきながらも、すぐに気を取り直した。
「野郎ども、人形ちゃんが盾になってくれてる間に撃ちまくれ! 一匹も逃すなよ!」
そこからは一方的な虐殺だった。 アイリスが前衛で敵を引きつけ、俺が急所を撃ち抜き、生存者たちが弾幕を張る。 即席の共闘戦線は、数分もしないうちに『天使』の群れを骸の山に変えた。
***
戦闘終了後。 硝煙が漂う中、ヴァネッサがツカツカと俺たちに歩み寄ってきた。 彼女は巨大なランチャーを地面に突き刺すと、アイリスをじろじろと見回し、それから俺を見た。
「……驚いたね。アガルタの兵器が、人間を守るなんて聞いたことがない」 「こいつはアガルタの兵器じゃない。俺のパートナーだ」 「フン、惚気かい。……だが、助かったよ。礼を言う」
ヴァネッサはぶっきらぼうに言い、懐から煙草を取り出した。 貴重な嗜好品だ。彼女はそれを半分に折ると、片方を俺に放った。
「ついてきな。礼ついでだ、あたしたちの『巣』へ招待してやる。……温かい泥水くらいのスープなら奢ってやるよ」
俺は煙草を受け取り、アイリスと顔を見合わせた。 彼女は小さく頷いた。
「推奨します、クロト。この集団との接触は、情報収集および補給において有益です」 「ああ。それに、少しはマシな寝床がありそうだしな」
俺たちは新たな案内人を得て、霧の奥へと進むことになった。 そこには、俺たちがまだ知らない、地上のたくましい「生」の営みが待っているはずだ。




