第13章:『涙雨の鎮魂歌(レクイエム)、あるいは鉄の慈悲』
『アアアア……イタイ、イタイヨォ……!』
悲鳴のような咆哮と共に、怪物が火を吹いた。 背中のランチャーから小型ミサイルが乱れ飛び、研究所の床を爆炎で埋め尽くす。
「くっ、伏せろアイリス!」
俺たちは実験用テーブルの陰に滑り込んだ。 頭上を爆風が薙ぎ払う。熱気と共に、焦げた肉の臭いが鼻をつく。
『ママ……ドコ? クライヨ、サムイヨ……』
スピーカー越しの合成音声ではない。生体部品として組み込まれた声帯が、未練がましく少女の言葉を紡いでいる。 スキュラ。かつてリサと呼ばれた、姉さんの親友。 俺も遊んでもらったことがある、笑顔の優しい人だった。
「……撃てるわけ、ないだろ……」
俺の指が震え、トリガーから離れる。 目の前にいるのは敵だ。だが、中身は被害者だ。殺せば、俺は二度彼女を殺すことになる。
「指揮官!!」
アイリスの鋭い声が、俺の迷いを切り裂いた。 彼女は俺の襟首を掴み、無理やり引き倒す。 その直後、俺たちがいた場所に鋭利な触手が突き刺さった。
「感傷は捨ててください! あれはもう人間ではありません。永遠に苦痛を再生され続ける、生きた地獄です!」 「だが……ッ!」 「終わらせることが、唯一の救いです。……それが『葬送機』である私の、そして貴方の役目です!」
アイリスの赤い瞳が、真っ直ぐに俺を射抜く。 そこには迷いも、恐怖もない。あるのは、悲しいほどの使命感だけだ。
――そうだ。ゼルマンは言った。「感動の再会」だと。 あいつにとって、この苦しみすらショーなのだ。 ならば、俺ができることは一つ。観客席から野次を飛ばすことじゃない。幕を引くことだ。
「……ああ、分かった」
俺は対物ライフルのボルトを引いた。 ガチャン、と重い金属音が腹に響く。
「アイリス、道を開けるぞ! 突っ込め!」 「了解、受諾!」
俺は遮蔽物から飛び出し、スキュラのセンサーアイに向けて連射した。 着弾。爆発。 怪物が怯み、触手の防壁がわずかに緩む。
『イヤァァッ! コワイ、コワイッ!』
悲鳴を無視し、俺は叫ぶ。
「今だッ、アイリス!!」
黒い疾風が戦場を駆ける。 アイリスはブースターを最大出力で噴射し、一気に距離を詰めた。 その手には、唸りを上げる『対艦用チェーンソー剣』。
『タスケ……テ……』
スキュラが人間の腕のような触手を伸ばす。 アイリスはそれを避けない。 真正面から受け止め――そして、振りかぶった。
「……大丈夫。もう、痛くありません」
アイリスの声は、驚くほど優しかった。 まるで、泣いている子供をあやすような慈愛に満ちた声。
ブォォォォォォン!!
高速回転する刃が、怪物の鋼鉄の殻を、肉を、そして悲しみの連鎖を断ち切った。 閃光。 スキュラの巨体が真っ二つに裂け、崩れ落ちる。
『アリ……ガ……ト……』
最期に聞こえたのは、安堵のような吐息だった。
「ブラボー! ブラボー!!」
静寂を取り戻した実験室に、スピーカーから不愉快な拍手が響き渡る。 防弾ガラスの向こう、ゼルマンは狂ったように手を叩いていた。
「素晴らしいデータだ! 姉の脳を持つ機体が、友人の脳を持つ怪物を殺す! これぞ悲劇! これぞ芸術だ!」 「ゼルマン……ッ!!」
俺はライフルを構え、操作室へ走る。 だが、ゼルマンはニヤリと笑い、コンソールのレバーを引いた。
「残念だが、上映時間は終了だ。私はこの貴重なデータを持ち帰らせてもらうよ。……アガルタで待っているぞ、愛すべき実験動物諸君!」
プシュウウウ! 操作室全体がカプセルのように切り離され、高速シューターで地下深くへと射出された。 逃げられた。
「……クソッ!!」
俺は空になった操作室の壁を殴りつけた。 拳から血が滲む。 だが、感傷に浸っている時間はない。研究所の自爆シークエンスが作動し、警報が鳴り響いている。
「クロト、これを持って行ってください」
アイリスが、破壊されたコンソールから一本のメモリスティックを引き抜いていた。
「ゼルマンが持ち出し損ねたバックアップデータです。ファイル名『原罪』。……アガルタの中枢システムに関わる、最高機密コードのようです」 「『原罪』……」
俺はそのスティックを強く握りしめた。 姉さんが、リサさんが、そして多くの人間が犠牲になった理由が、ここにあるのかもしれない。
***
俺たちは崩壊する研究所を後にした。 外は相変わらずの雨だ。 だが、アイリスのドレスについたスキュラの返り血は、雨に打たれて洗い流されていく。
「……クロト」
バイクの準備をしながら、アイリスが言った。
「私は、人を殺しました。敵ではなく、元・人間を」 「ああ」 「不思議と、エラーは発生していません。……彼女を楽にしてあげられたと、そう処理っています」
彼女は空を見上げた。
「これが、『心』というものでしょうか」
俺は彼女の肩を抱き寄せた。 冷たい装甲の下に、確かな鼓動を感じる気がした。
「ああ、そうだ。お前は誰よりも人間らしいよ、アイリス」
俺たちは再びバイクに跨る。 目指す場所は変わらない。だが、その目的は変わった。 ただ生き延びるためじゃない。 死んでいった者たちの魂を背負い、この狂った世界を終わらせるために。
エンジンの咆哮が、鎮魂歌のように荒野に響いた。




