第12章:『死体愛好家の嘲笑、あるいは姉が支払った対価』
「……姉さん、だっていうのか? こいつが……アイリスが?」
俺の声は、自分でも驚くほど乾いていた。 視線の先には、困惑に揺れるアイリスがいる。 銀色の髪。赤い瞳。俺の知っている優しかった姉・セレンとは似ても似つかない、冷たい金属の造形。 だが、その中枢に眠っているのが、姉の脳だというデータは、残酷なほど正確にその事実を突きつけていた。
「……申し訳、ありません」
アイリスが一歩、後ずさる。
「私は、貴方の肉親の遺体を……冒涜して作られた存在です。貴方の隣にいる資格など……」
パチ、パチ、パチ。
二人の間の空気を切り裂くように、乾いた拍手の音が響いた。
「素晴らしい。実に感動的だ。涙で前が見えなくなりそうだねえ」
闇の奥から現れたのは、白衣を纏った異形の老人だった。 右半身は機械化され、義眼のレンズがギョロリと回転している。その手には、指揮棒のようにステッキが握られていた。
「誰だ!?」 「おや、忘れたのかね? 君のカルテを書いたのは私だよ。……アガルタ国立研究所主任、ゼルマンだ」
ゼルマン。その名に記憶があった。 幼い頃、アガルタのスラムで死にかけていた俺を「特例措置」で治療してくれた医者だ。
「どうしてアンタがここにいる……。それに、このデータは何だ! 姉さんは事故で死んだはずだろ!」 「事故? フフフ、市民ランク最下層の娘が、どうして軍の最重要機密実験に参加できたと思う?」
ゼルマンはステッキでコツコツと床を叩きながら、アイリスの周りを値踏みするように歩き回る。 アイリスが警戒してチェーンソー剣を構えるが、彼は気にする素振りもない。
「704号機。君は美しい。その反応速度、出力、そして何より……弟への執着。生前の『愛』がそのまま戦闘プログラム(キリング・ルーチン)に昇華されている!」
彼は恍惚とした表情で叫んだ。
「教えてあげよう、クロト君。君の姉はね、自ら志願したんだよ」 「……なんだと?」 「当時、君は致死性の風土病に侵されていた。治療には莫大な金と、市民ランクが必要だった。……だから彼女は契約したんだ。『私の脳と引き換えに、弟を助けてくれ』とね」
頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。 俺が生きているのは……姉さんが、その命をパーツとして切り売りしたから? 俺の今の健康な体は、姉さんの犠牲の上に成り立っていたのか?
「嘘だ……」 「嘘なものか。彼女の脳摘出手術は最高だったよ。『弟は助かるんですね』と、麻酔で意識が消える最期の瞬間まで笑っていた」
ゼルマンは防弾ガラスの向こう側、操作室の中でケタケタと笑った。
「感謝したまえよ。君の姉は、君を守る最強の『盾』になれたことを喜んでいるはずだ。……もっとも、今はただの記憶媒体に過ぎないがね」
ブチリ。 俺の中で、理性の弦が切れる音がした。
「……てめぇ」
俺は対物ライフルを構え、躊躇なく引き金を引いた。 ズドン!! 大口径の弾丸が防弾ガラスに着弾し、白い亀裂を刻む。だが、貫通はしない。
「おや、短気だねえ。だが、私の『作品』鑑賞を邪魔しないでくれたまえ」 「黙れ! アイリスは作品じゃない! 姉さんでもない! ……俺の、大事なパートナーだ!!」
俺は叫んだ。 そうだ。過去がどうであれ、脳が誰のものであれ。 雨の中で俺を庇い、一緒に風呂に入り、不器用な料理を作ってくれたのは、セレン姉さんじゃない。 今ここにいる、アイリス自身だ。
「……クロト」
アイリスが顔を上げた。その瞳から迷いが消えている。
「肯定します。私は、貴方の剣であり盾。それ以外の定義は不要です」 「ハッ、道具風情が愛を語るか。吐き気がする」
ゼルマンが不愉快そうにコンソールのボタンを叩いた。
「まあいい。君たちの性能テストを行おう。……ちょうど、失敗作の処分に困っていたところだ」
ゴゴゴゴゴ……。 研究所の床が大きくスライドし、地下から巨大な昇降機がせり上がってくる。 そこに載せられていたのは、アイリスと同じ「少女の姿」をした何かだった。 ただし、首から下は戦車のようなキャタピラと、無数の触手に改造されている。
「紹介しよう。試作型キメラ・ユニット『スキュラ』。……ああ、ちなみにその脳に使われているのは、君の姉の親友だった娘だよ」
怪物が、虚ろな目で俺たちを見つめ、叫び声を上げた。 それは言葉にならぬ、死を懇願するような絶叫だった。
「さあ、感動の再会パーティだ! 踊りたまえ、姉弟たちよ!!」




