第1章『鉄錆の雨と、硝煙の香り』
「警告。右翼、反応多数。……指揮官、指示を」
無機質な声が、ノイズ混じりのインカムを通じて鼓膜を叩く。 視界を覆うのは、灰色の雲と、そこから降り注ぐ鉛色の雨。そして、瓦礫の山と化したかつての大都市――『東京』の墓標だ。
「総員、散開! 704(ナナマルヨン)は前衛でヘイトを稼げ! 後衛、弾幕で敵の足を止めろ!」
俺、クロト少尉は塹壕の泥にまみれながら叫んだ。 呼吸をするたびに、防護マスクのフィルター越しでも分かる鉄錆と腐敗臭が肺腑を焦がす。
目の前には、絶望が具現化したような光景が広がっていた。 『天使』だ。 人間の裸体を醜悪に引き伸ばし、無数の機械部品を突き刺したような異形の怪物たちが、涎を垂らしながらこちらへ殺到してくる。その背には、皮肉なことに神々しい光輪が浮かんでいた。
「了解。――対象、破砕します」
答えたのは、俺の専属機体、製造番号704――アイリスだ。 瓦礫の陰から飛び出した彼女の姿は、この灰色の世界で異質なほどに美しかった。 重厚な黒鉄のバトルドレス。華奢な少女の体躯には不釣り合いな、全長二メートルを超える巨大なパイルバンカー『葬送の杭』を軽々と担いでいる。
ドォォォォン!!
衝撃音が大気を震わせる。 アイリスが杭を撃ち込むと同時、先頭にいた『天使』の上半身がトマトのように弾け飛んだ。飛び散る体液と機械油の混合物が、彼女の白磁のような頬を汚す。
だが、彼女は瞬き一つしない。 赤い瞳はただ冷静に、次の獲物を計算しているだけだ。
「……相変わらず、無茶な機動だ」
俺はアサルトライフルで援護射撃を行いながら毒づく。 彼女たち『葬送機』は、軍にとってただの消耗品だ。壊れれば修理し、直らなければ廃棄する。 だから、防御など考えずに突撃させるのが「効率的」な運用だとされている。
だが、俺にはそれがどうしても馴染めない。
「704! 深入りしすぎるな! 一旦下がって冷却しろ!」 「否認します。現在の敵戦力比では、私が前線を維持しなければ後衛が全滅します。合理的判断です」 「命令だ! お前が壊れたら誰が盾になる! 戻れ!」 「……了解」
一瞬の間の後、アイリスはスラスターを噴射して俺の元へ滑り込んできた。 着地の衝撃で泥が跳ねる。 近くで見ると、彼女の装甲はすでにボロボロだった。左腕の装甲板が剥がれ、内部の駆動系が火花を散らしている。
「損傷率34%。戦闘継続に支障なし。……指揮官、判断が甘いです」
感情のない声で淡々と言われる。 俺は彼女の肩口にある緊急整備ハッチを開け、冷却剤のアンプルを乱暴にねじ込んだ。
「うるさい。俺の部隊では、誰も死なせないし、壊させない。それが俺の合理性だ」 「……理解不能です。私たちは道具。貴方たち人間を守るための盾です」
アイリスは小首を傾げた。その仕草だけを見れば、年相応の少女にしか見えない。 整備が終わると、彼女は再び巨大な杭を構え直す。
「冷却完了。再出撃します」
背を向けようとした彼女の腕を、俺は思わず掴んでいた。 鋼鉄の冷たさが手袋越しに伝わる。
「アイリス」 「……何でしょう、指揮官」 「生きて戻るぞ。……終わったら、オイル交換してやる。上等なやつだ」
俺の言葉に、彼女は数秒間、沈黙した。 その赤い瞳が、わずかに揺らいだように見えたのは気のせいだろうか。
「……肯定。高品質なオイルの供給は、機体性能維持に有効です。期待します」
ほんの少しだけ、声のトーンが柔らかくなった気がした。 彼女はすぐさま戦場へ駆け出し、再び殺戮の旋風を巻き起こし始める。
その背中を見送りながら、俺は引き金を引く。 この地獄のような地上で、俺たちは鉄の棺桶に入ったまま、必死に生きるふりをしている。
――だが、その時の俺はまだ知らなかった。 彼女という存在が、やがてこの世界の根幹を揺るがす「鍵」になることを。 そして、その冷たい鋼鉄の胸の奥に、誰よりも熱い心が隠されていることを。




