君の従妹のクリスティーナが、僕がいないと生きていけないと言うので
「申し訳ありません。君との婚約を破棄させていただきます。君の従妹のクリスティーナが、僕がいない生きていけないと言うので」
子爵令息、イゼル・マカトス様はそう言うと、美しい所作でわたくしに向かい一礼しました。
クリスティーナ。
突如飛び出した、従妹であり伯爵令嬢である彼女の名に、別段驚くことはありません。
またかと小さくため息を吐くだけです。
けれど形式上、一応聞いてみます。
「一体、どういうことでしょうか?」
「君と婚約している身で、他の女性に目移りするなどあってはならないことだと重々承知しております。しかも、よりにもよって君の従妹に……」
彼は一呼吸置くと、愁いを帯びた表情で目を伏せました。
妙に芝居がかっております。ご自身に酔ってでもいるのでしょうか。
彼は続けます。
「けれど、もはやどうしようもないのです。運命には抗えません。僕こそ彼女の運命の相手であり、彼女こそ僕の運命の相手。僕たちは出会ってしまった。僕を一目見ると、か弱き乙女、クリスティーナは僕の胸に真っ直ぐに飛び込んできました」
「豊満な胸を揺らして」
「そう、白く柔らかで豊満な胸を揺らし……って、違います。何を言わせるのですか!?」
「結構です。よく分かりました。婚約破棄を受け入れます。余計なこととは思いますが、一応お伝えいたします。クリスティーナの運命のお相手とやらは、イゼル様、あなたで三人目となります」
「え?」
「それでは失礼いたします」
最後に見たのは、口が開いたままのイゼル様の間抜けなお顔。
わたくしは振り返ることなく、その場を後にしました。
わたくしが婚約すると、クリスティーナがわたくしの婚約者を必ず奪いに来る。
なぜそんなことをするのか、彼女に理由を問うても、これまでまともな答えが返ってきた試しはありません。
追及したところで、きっと今回も同じことでしょう。
それなら、労力を使うだけ無駄というもの。
クリスティーナの父であり、伯父であるトラウデン伯爵は末娘の彼女にとんでもなく甘く、悪気はないのだから許してやってほしいなどと言うし、お父様はお父様で、我儘は大きくなっても直らないものだよ、などとわたくしを諭すばかりです。
クリスティーナは、お父様が見つけてくださったわたくしの婚約者を意味もなく奪い、そして安易に捨てているのです。身内がやることだからと、寛容に笑って許している場合ではないでしょう。
結局、なんだかんだ言っても伯父は伯爵で、父は男爵。身分差から強く抗議できないのかもしれません。
「このままでは、本当に行き遅れになってしまいますわ」
わたくしは誰に言うともなく、自邸の廊下で思わずそう呟きました。
「もうお嫁に行くのはお止めよ」
突然、肩を掴まれ、耳元で囁かれます。
「いらしたのですか、お兄様。いつも言っておりますが、音もなくわたくしの後ろに立たないでくださいませ」
「アイリスは、相変わらずつれないね」
「ふざけている場合ではないのです。婚約者を奪われるのも、これで三度目。クリスティーナは一体どういうつもりでこんなことをするのか、わたくしに何か恨みでもあるのか、いくら考えてみても身に覚えがないのです。お兄様だって、わたくしがいつまでもこのお邸にいては迷惑でしょう。次期当主として、そろそろ奥方を迎えなければならないのですから」
「何を言うのさ。僕は結婚なんてするつもりはないよ。それに、アイリスにはずっと僕の傍にいて欲しい。迷惑だなんて思うはずがないじゃないか」
カインお兄様は緩く笑い、シアン色の長い髪を掻き上げました。
お兄様は何を考えているのかよく分からない変わり者ではありますが、見目だけは美しいので、その気障な仕草が妙に様になります。
「……本当にいつもご冗談ばかり」
つい、声音に呆れが混じります。
わたくしは左右に首を振り、そのまま自室へ向かいました。
お兄様がしつこくついてこようとしたので、それを手で制します。
これ以上彼と話をしたところで、どうせ生産的な話など出来やしないのです。
数日後、お邸に遊びに来た友人のオデッサに今回の話をしました。
彼女は顔を歪めながら、わたくしの話を真剣に聞いています。
「つまり、盗人ね。しかし、アイリスほどの美女から三度も男を奪うなんて凄い話ね。私も一度拝んでみたいわ、その世にも美しいであろう悪女のクリスティーナ様を」
彼女は嫌味たっぷりにそう言うと、アールグレイが入ったティーカップに口をつけました。
「あら、クリスティーナは、美しいというより可愛いタイプの女性よ」
わたくしより四つ下のクリスティーナは、現在十七歳。身体ばかりは成長しましたが、丸顔で言動が幼く、わたくしからすればまだ子供のように思えます。
「いくら可愛くたって、最悪な女なのは間違いないでしょう。まぁ、元気出してよ。所詮、その元婚約者たちの見る目がなかっただけで、きっとアイリスには、これからもっとふさわしい男性が現れるわ。私が男だったら、絶対アイリスを放っておかないもの」
「あ、ありがとう」
力説するオデッサが本気でそう言ってくれているのが伝わって、少し恥ずかしくなりました。
「ところで、カイン様は邸にいらっしゃる?」
「お兄様?」
「私、実はこの間カイン様が女性と歩いているのを見たのよ。顔はよく見えなかったけれど、お相手は長いふわっとしたピンク色の髪で、胸の開いたドレスをこれ見よがしに着ていて、なんだかすごくグラマラスな体型の方だったわ」
「え?」
まさか、クリスティーナ?
何か進言でもしようと、お兄様は彼女に会いに行ってくれたのでしょうか。
「アイリスも知らないの? その女性がカイン様の腕に自分の腕を絡めて親密そうにしていたから、てっきりカイン様の恋人かと思って」
「恋人?」
呟き、脳裏に浮かんだのはお兄様に纏わりつく幼いころのクリスティーナの姿。
急に霧が晴れたような感覚です。
わたくしは、とんだ思い違いをしていたのかもしれません。
秘め事があるのはお兄様の方ではないでしょうか。
翌日、わたくしはクリスティーナに会いに行きました。
ソファーに座り対面しても、彼女はいつもと同じように黙りを決め込むばかりです。
「お兄様から、全てお話は聞かせていただきました」
わたくしがそう言うと、途端にクリスティーナの顔色が変わります。
それから彼女は、涙目になり俯きました。
「アイリスお姉様、ごめんなさい。わたし、カインお兄様に嫌われたくなくて」
彼女の声を聞くのは久しぶりです。
「クリスティーナ、あなたお兄様のことが?」
「……はい。幼いころからずっとカインお兄様のことが好きです」
「これまでのことは、お兄様があなたに命じていたのですね」
「そうです。でも、カインお兄様からもう全て聞いているのですよね?」
「いいえ。今、初めて聞きました」
「え?」
動揺からか、クリスティーナの視線が彷徨います。
「こう言えば、あなたが正直に話してくれると思って」
「そんな、酷い……」
「酷いことをしてきたのはクリスティーナの方でしょう? お兄様はどうしてわたくしの婚約者をあなたに奪わせたりしたのですか?」
「それは知りません」
「理由も分からなく、好きでもない男性を誘惑したっていうの?」
クリスティーナは微かに頷くと、口を開きます。
「だって、逆らったらわたし、カインお兄様に嫌われてしまう。それに、ちゃんと言うことを聞けば、特別なご褒美をもらえるから」
「ご褒美?」
「それは……」
彼女は唇を噛んで、急に顔を赤らめました。
この反応。
想像できるお兄様のご褒美が気持ち悪く、詳しく内容を聞きたくもありません。
「酷なことを言うけれど、お兄様はきっとあなたのことを愛してはいないわ。お兄様はあなたの想いを利用したのです」
「分かってます!! でも、そんなことは別にどうでもいいの。偽りでもいいから愛されたい。わたし、カインお兄様の世界から排除されることが耐えられない。だって、カインお兄様がいないと生きてはいけないから!!」
生きていけない。
それは、あの時イゼル様から聞かされた台詞そのものです。勿論、イゼル様には偽りの言葉を吐いたのでしょうけれど。
「クリスティーナ、あなたはとても魅力的な女性なのだから、もっとあなたを心から愛してくれる男性がいるはずです。これ以上、お兄様を追いかけるのはやめたほうがいいわ。そんなことをしても、あなたは幸せになれないもの」
「わたしの幸せはカインお兄様の傍にいることです!!」
クリスティーナはそう叫ぶと、顔を両手で覆い、泣き出してしまいました。
暫く彼女をなだめていましたが、いつまでも落ち着く様子はありません。
わたくしは途方に暮れ、そのままお邸を出ました。
自邸に戻り、わたくしのやるべきことは一つです。
「お兄様、お聞きしたいことがございます」
わたくしは、自室のソファーでくつろいでいるお兄様に、躊躇なく詰め寄りました。
「どうしたのさ。また今日は一段と怖い顔をして」
お兄様はわたくしを一瞥すると、呑気にご自分の髪を掴み、毛先に目を向けます。
「わたくしが怒っている理由に、身に覚えがありませんか?」
「さあ」
「クリスティーナは話してくれました。お兄様から命令されて、わたくしの婚約者を奪ったのだと」
「あーあ、ばれたか」
お兄様は立ち上がり、ようやくわたくしに向き合いました。
「理由を聞かせていただけますか?」
「理由なんて簡単さ。アイリス、君のことが好きだからだよ。誰よりも愛しているから。勿論、実の兄妹で結婚なんてできやしないのは分かっている。でも、誰のものにもならないで欲しいんだ。僕は君のことを、これからも一番傍でずっと愛でていきたい」
なんて自分勝手で、くだらない理由なのでしょう。
「お兄様のそのお気持ちは、愛ではありません。可愛がってきた妹が誰かのものになるのが許せない、ただの独占欲です」
「違うよ。妹じゃなくて、一人の女性として愛している」
お兄様はわたくしの頬に手を触れました。
「やめてくださいませ。単にお兄様は、ご自分に似ているわたくしの顔がお好きなのでしょう。自分の性格が可愛くないということは自覚しております」
わたくしはお兄様の手を撥ねつけました。
「顔だけじゃない。その僕に靡かない冷たい視線、辛辣な物言い、全てがとても魅力的だ。ねえ、アイリス、悪い話じゃないと思うんだ。ただ今後、誰とも結婚しないと誓ってくれればいい。君のことは僕が一生面倒を見るから」
わたくしはお兄様から距離を取り、後ろに下がります。
「……悍ましいですわ」
「え?」
お兄様はわたくしの言葉に、瞳を見開きました。
「別にお兄様が本当のお兄様で、血が繋がっているから悍ましいと言っているわけではありません。確かに、妹に懸想するのも、マゾヒスティックな発言も引きますけれど、性癖ならば仕方がありません。わたくしが悍ましいと感じるのは、人の弱みに付け込み、こんな卑劣で小癪な手段を考え、実際に実行してしまう人間性ですわ」
「全部君を愛するが故だよ」
「お兄様はクリスティーナや、わたくしの婚約者だった方たちの気持ちを考えなかったのですか?」
「アイリスの言う通りですね」
いつの間にかお父様が、開いた扉の向こうに立っておりました。
「父上……」
突然のお父様の登場に、お兄様は珍しく動揺しております。
「邸にいらしたのですか。えっと、その、僕たちの話を聞いて?」
「扉を開け放し、こんなに大きな声で話していては誰でも気づきます。只事ではない様子に、メイドがわざわざ知らせてくれたのです」
お父様はそう言いながら部屋に入ると、わたくしとお兄様の傍に立ちました。
「クリスティーナ……。他人のものを欲しがる、ただの我儘ではなかったのですね」
お父様は独り言のように呟きます。
「……父上、僕はただ、妹を、アイリスを愛しているだけです」
「どのような愛であれ、彼女を愛しているというのなら、なぜ彼女の幸せを一番に考えなかったのですか。小賢しい真似をした挙句、アイリスばかりかクリスティーナのことまで不幸にして。兄にも顔向けができません。カイン、クリスティーナに手を出しましたか?」
「それは、まぁ……」
お兄様は気まずそうに、お父様から目を逸らします。
「では、責任を取って彼女と結婚しなさい」
「嫌ですよ。あんな乳がでかいばかりのバカ女」
わたくしは、お兄様の言葉に怒りが込み上げ、思わず手を振り上げました。
部屋にパチンと小さな音が響きます。
「確かに馬鹿なのでしょう。こんなお兄様を想って身も心も差し出し、言いなりになってきたのですから。けれど、クリスティーナを前にしてそんな台詞を言うのでしたら、許しませんわ。こんなものでは済ませませんわよ。お兄様は、すべての女性の敵です」
「僕に執着してきたのは、あのバカ女の方だ」
お兄様は打たれた頬を押さえ、わたくしを睨みました。
「そうですか。責任は取らないと。そして、謝罪も反省もないのですね」
お父様の言葉に、お兄様は俯きます。
「これまで大事な嫡男だと、君のことを甘やかしすぎてしまったようです。カイン、邸から出て行きなさい」
「冗談ですよね。僕がいなくなっては、父上だって困ることになりますよ」
「アイリスがいます。アイリスに、今度こそよい伴侶を探します。君のような卑劣な男に、爵位を継がせるわけにはいきません」
お父様は冷ややかに言いました。
「分かりました。謝ります。謝ればいいのでしょう。それから、クリスティーナを娶っても構いません」
「いいえ、もう結構。私は既に、君の醜い心根を知ってしまいましたから。早く荷物を纏めて出て行きなさい」
「父上!!」
お兄様はお父様が本気で言っているのだと分かると、項垂れました。
わたくしはただ驚きながら、お父様を見つめます。
いつも優しく甘いばかりのお父様の中に、こんな厳しさがあったなんて意外でした。
お兄様はお邸を出ました。
けれど、きっとすぐにクリスティーナに泣きつくことでしょう。
お兄様がクリスティーナを利用したことを知れば、伯父様もお兄様を赦しはしないはずです。
もし、家から反対され、爵位も継承できないただの男になったお兄様を愛してくれるというのなら、クリスティーナの愛は本物だと思います。
それでも、彼女の愛が本物であったとしても、決して幸せになることはないでしょうけれど。
数ヶ月が経ち、わたくしは積極的に夜会に参加しております。
お父様に頼らず、自分で伴侶を探そうと決めたからです。
これからは、ただ受け身でいるだけでなく、自ら動いて真実を見極めたいと思うのです。
お読みいただきありがとうございました。
評価やリアクション等いただけましたら、大変嬉しいです。
今後の執筆活動の励みになります。




