表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女騎士の独り旅!  作者: 和泉發仙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/649

海底神殿最下層の死闘 邪神と雷魔人の影

アリアは、太陽の光が降り注ぐ王国の騎士団長の娘として生まれた。代々王家に仕える家柄で、幼い頃から騎士としての道を歩むことが定められていた。彼女の人生は、訓練と勉強に明け暮れる日々。他の子どもたちが遊びに夢中になっている頃、アリアはただひたすらに、己の使命に向き合っていた。

厳格で口数の少ない父は、常にアリアに完璧を求めた。「騎士は、弱き者を守り、不正を正す存在だ。そのためには、誰よりも強く、誰よりも清くなくてはならない」父の言葉は、幼いアリアの心に深く刻み込まれた。しかし、そんな父も、アリアが風邪で寝込んだ時は、誰にも気づかれないようにそっと看病してくれる、不器用な愛情を持っていた。

アリアには、年の離れた妹、ビアがいた。ビアは生まれつき体が弱く、病気がちだった。アリアはビアのことが大好きで、訓練の合間を縫ってそばに寄り添った。ビアは、アリアが読んでくれる騎士物語を、目を輝かせながら聞いていた。

「お姉ちゃん、大きくなったら、私を守ってくれる?」

「もちろんだとも。私は、誰よりも強い騎士になって、お前を、そしてこの国の人々を、必ず守ってみせる」

この時の約束が、アリアの騎士としての道をより一層強固なものにした。

しかし、ビアの病は日増しに悪化していった。王国の医者たちは、みな首を横に振るばかりで、治す手立てはないという。アリアは、父の書庫で見つけた、旅の騎士の日記に、遥か遠い東の国に伝わる「星の光」という秘宝のことが書かれているのを見つけた。その秘宝は、どんな病も治すと言われているという。アリアは、ビアを救うため、一人旅立つ決意を固めた。

夜中にこっそり家を抜け出したアリアは、友人のニアから情報を得て、領主である伯爵が実験中の気球に忍び込んだ。そして、気球はゆっくりと夜空へと舞い上がった。気球の中でアリアは、執事のベルリッツと操縦士のイルへに見つかってしまうが、事情を話すと二人は彼女のひたむきな心に心を打たれ、次の領地ヘンゲリヒトまで送ってくれる。アリアはそこで、東の国へ向かう船に乗り込んだ。

しかし、その船は巨大な魔物に襲われ、アリアは海へと投げ出される。意識を失いかけるアリアを救ったのは、人魚のナーサイだった。アリアは、ナーサイたちの住まいで世話になるが、そこに突然、大地震が発生する。アリアは、ナーサイの娘ヨゴリィと仲良くなり、人魚たちを救うため、この大地震の原因を突き止めることを決意した。そして、ナーサイたちのリーダーである魚人王ジレンから、この大地震の原因は、伝説の海底神殿にあると告げられ、アリアはナーサイたちと一緒に海底神殿へと向かうことになった。

海底神殿の入り口では、海猿の番人たちが待ち構えていたが、アリアは見事な剣技で撃退し、二階へと続く階段を上っていった。二階では、水路を猛スピードで駆け抜ける乗り物に乗り、巨大な虫や水竜の襲撃を退け、地下3階へとたどり着いた。そこでアリアたちは、海の女神イケと精霊王メルニーナに出会う。そこで海の女神イケから、邪神ゾディアーガを討伐してほしいと頼まれ、アリアたちはその依頼を受ける。そして海の女神イケはアリアに古の勇者が魔王を討ち取った聖剣を授けた。メルニーナはみんなに加護を与えた。

アリアは、海の女神イケから授かった聖剣を手に、地下3階の奥へと、ナーサイたちと一緒に進んでいった。聖剣は、まるで生きているかのように、淡い光を放ち、アリアたちを導いてくれる。聖剣の放つ光は、邪悪なものを打ち払うかのように、行く手を阻む魔物たちを、一瞬で消滅させた。アリアたちは、聖剣の力で、地下3階、地下4階と、一気に最下層まで辿り着くことができた。

そして、ついに、海底神殿の最下層へとたどり着いた。

 長く、長く続いた石段を降り切ったとき、アリアたちは息を呑んだ。


 そこは、海底神殿の最下層――巨大な広間だった。


 天井は見上げてもなお、闇の向こうに溶けている。壁は黒い珊瑚と歪んだ貝殻で覆われ、ところどころから冷たい青白い光が滲み出ている。だがその光は、広間の中心で渦巻く邪悪な闇に呑み込まれ、どこか心細い。


 広間の中央には、黒珊瑚と骸骨のような貝殻を組み合わせた、禍々しい玉座が据えられていた。


 玉座に座すは、闇。


 人とも怪物ともつかない輪郭が、どす黒い霧の中でゆらめいている。いくつもの眼のような赤い光が闇の内側に灯り、アリアたちをじっと見下ろしていた。


 その周囲には、三つの影が控えていた。


 一体は、巨大なクワガタとカマキリを足したような怪物――ゾワースガ。鋏と鎌が、こすれ合うたび甲高い金属音を立てている。


 もう一体は、水竜のような兜と鱗鎧に身を包んだ騎士――水竜騎士ヴァガ。蒼い槍の穂先から、絶え間なく水泡がこぼれては弾けていた。


 そして最後の一体は、闇の中からふっと現れた。


 痩せても太ってもいない長身の影。全身を、稲妻の模様が走る黒紫の装束で覆っている。片手には、指の関節まですべて刃になっているような黒い爪。背中からは、雷光の尾のようなものが立ちのぼっていた。


 その男が、にやりと口角を吊り上げる。


「……来たなァ。迷子の陸のサカナどもが、な」


 禍々しい玉座から、低く響く声が降ってきた。


「……ほう。人間と、魚人か。まさか、この神殿の最下層まで、辿り着く者がいるとはな」


 玉座に座っていた闇が、立ち上がる。


 闇が人の形をとった。だが、それは“人”と呼ぶにはあまりに禍々しかった。角と触手と尾が混ざったようなシルエットが、黒い霧の中で蠢く。足元には闇色の水たまりがゆらめき、踏みしめるたびにじわりと広がっていく。


 邪神――ゾディアーガ。


 名前を聞いたわけでもないのに、アリアはその名を心の底から理解した。この海の底に渦巻く怨嗟と恐怖が、形を取ったような存在だった。


 アリアは勇者の剣を抜き、銀色の刃を構える。剣が、低くうなるように震えた。


「……ゾディアーガ……! この海の底で……何をしている!」


 勇気を振り絞って問いかける。声は震えていない――そう自分に言い聞かせながら。


 ゾディアーガは、闇の内側でゆっくりと笑った。どろりとした音が、海水の中に染み込んでいく。


「何を、だと? ふふ……私はこの海の底を、支配しようとしているのだ。そして――」


 闇の腕が、アリアたちをなぞるように動く。


「貴様らの心を、闇に沈め、新たな力を手に入れる。恐怖も、絶望も、悔恨も……すべて、私の糧だ」


 アリアの横で、ナーサイが歯を食いしばる気配がした。隣のヨゴリィは、肩を震わせながらもアリアの背を見守っている。ジャイカは銛を構え、ワィはぬめる腕を前に突き出し、いつでも毒を吐ける体勢をとっていた。


 アリアは一歩踏み出し、剣先をゾディアーガへ向ける。


「そんなことはさせない! この海の底は、あなたのものではない!」


 ゾディアーガは、アリアの言葉にさらに醜悪な笑みを浮かべた。


「ふん……面白い。だが、貴様らに私を倒すことなど、できはしない」


 闇の眼が、アリアの手元――勇者の剣へと向く。その瞬間、赤い光が一瞬だけ、恐怖に揺らいだ。


「……ほう?」


 ゾディアーガは、さらに身を乗り出す。


「なんだ、その禍々しい光を放つ剣は……? まさか、貴様……今代の勇者か?」


 アリアは、思わず目を見開いた。


(勇者……? わたしが?)


「わ、私は……勇者などではない。ただの、騎士だ!」


 即座に否定する。だが、握る剣は、あなたはそうじゃないと告げるかのように熱を帯びていた。


 ゾディアーガは、ふふ、と笑った。


「勇者だろうが、騎士だろうが、関係ない。勇者の剣の力など、私の力の前では、無力なのだ」


 闇の腕が振り上げられる。


「――闇撃ダークショック


 次の瞬間、広間に黒い閃光が走った。


 視界を塗りつぶすほどの漆黒の光が、雷鳴のような衝撃を伴ってアリアたちへ襲い掛かってくる。海水が一瞬にして沸き、泡が爆ぜる。アリアは咄嗟に剣を構え、衝撃に備えた。


「っ――!」


 衝撃。


 勇者の剣が黒光を受け止めた瞬間、身体が後ろへ吹き飛ばされる。肺の中から一気に空気が抜け、何度も床を転がった。


「アリアちゃん!」


「隊長!」


 ヨゴリィとジャイカの叫びが遠く聞こえる。なんとか剣を手放さずに踏みとどまり、アリアは膝をつきながら顔を上げた。


 ナーサイもまた、祈りの杖を支えにして立ち上がっていた。ワィは壁に叩きつけられたのか、天井からぱらぱらと貝殻の破片が降っている。その中でぬるりと身を起こしていた。


「……くっ……これが……」


 ゾディアーガの周囲に、さらに濃くドス黒い霧が立ちこめ始める。


闇霧ダークミスト


 ぞわり、と肌が逆立つ。視界がみるみるうちに暗くなっていく。ただの暗さではない。音が遠ざかり、鼓動が自分のものではなくなったかのような、歪んだ静寂が広がっていく。


 霧の中で、ゾディアーガの声だけが響いた。


「これは、戦闘中、我が身を包むバリアよ。力を増幅し、貴様らの攻撃を弱め、心を蝕む闇の霧……さぁ、絶望するがいい」


 アリアは、ぐっと歯を食いしばる。


「うおおおおおおッ!!」


 ジャイカが飛び出した。銛の穂先に、海の魔力を込めて渾身の突きを放つ。


 だが。


 銛は、ゾディアーガの纏う闇霧に触れた瞬間、もつれたように軌道を外され、黒い霧に飲み込まれてしまった。


「なっ……!」


「はあああああッ!」


 ヨゴリィもまた、光の魔術を放つ。だが光はくすんだまま散り、闇霧に触れた瞬間、すぐさま吸い込まれて消えた。


 アリアも立ち上がり、霧へ向かって剣を振るう。


 斬撃が、鈍い手応えを残した。しかし、その手応えは、霧の向こう側にいる本体ではなく、霧そのものを切り払ったにすぎなかった。


 闇霧が、すぐさま傷を埋めるように戻ってくる。


「……くっ……強い……!」


 アリアは、胸の奥で何かが折れそうになるのを感じた。


 そのとき。


「おいおい、ボス。ちょっと楽しみ過ぎじゃねえ?」


 甲高い笑い声が、闇霧の中から響いてきた。


 緊張感をぶち壊すような、軽薄な声音だった。


 闇が裂け、紫電が走る。


 黒紫の稲妻の尾を引きながら、一つの影がアリアたちの正面に躍り出た。


「自己紹介がまだだったなァ」


 男が、口角を吊り上げる。鋭く尖った犬歯が覗いた。


「オレ様はジレン。闇と稲妻の魔人ってやつだ。いやぁ、ここまで辿り着く奴なんて、そうそういねぇからよ。久々に、心の底からぶちのめせそうな相手が来てくれて……嬉しくてよォ」


 ゾワースガが、ぎちぎちと鋏を鳴らし、ヴァガが無言で槍を構える。ジレンはそれを横目で見て、愉快そうに肩をすくめた。


「ゾワースガはぶった斬り担当、ヴァガは押し潰し担当。で、オレ様は――」


 男は、一瞬でアリアの目の前に消えた。


 雷鳴とともに現れたのは、黒い爪だった。


「処刑担当だよォ!」


 影雷爪ダークボルト・クロー


 アリアは、反射的に剣を横薙ぎに振るう。爪と剣がぶつかり合い、火花と黒い電光が弾け飛んだ。


 重い――いや、速い。


 衝撃の重さよりも先に、速度が脳を追い越す。考える前に防いでいなければ、頬どころか首を裂かれていただろう。


「っ!」


 それでも、完全に防ぎきれたわけではなかった。


 アリアの右頬に、鋭い痛みが走る。頬をかすめた黒爪が、赤い線を残していた。


 温かい血が、水の中に漂う。


「アリアちゃん!」


「隊長!」


 ヨゴリィとジャイカが叫ぶ。


 ジレンは、くつくつと喉を鳴らした。


「いいねぇ、その顔。初めて血を見た時の、勇気と恐怖がまじってる顔。オレの大好物だ」


「黙りなさい!」


 ジャイカが、ジレンの横から銛を繰り出す。ジレンは軽く身体をひねり、それを紙一重で避けた。


「おっと。あっぶねー。今、心臓貫かれてたかもなァ? ――なわけねぇだろ」


 雷閃脚ライジング・スパイン


 ジレンが、床を蹴った。いや、蹴ったように見えたが、実際には駆け出してさえいない。足元から立ち上がった雷光が、ジレンの身体を押し上げ、そのままジャイカの懐へと飛び込んでいた。


 蹴りが、ジャイカの銛の柄をしたたかに打つ。


「ぐっ――!」


 銛が悲鳴をあげるようにしなり、その先端が岩壁へと弾き飛ばされた。衝撃でジャイカの手から柄がすべり落ちる。


「ジャイカ!」


「だ、大丈夫……だが……くそっ……!」


 ジャイカは歯を食いしばって、素手のまま構える。その横で、ワィがぬるりと前に出た。


「ワィが……麻痺の液、かける……!」


「おっとぉ、それは勘弁だな」


 ジレンは笑いながら、ワィが口を開いた瞬間を狙って、暗雷衝アーク・ネザーブラストを放った。


 闇と雷が混じり合った球体が、ワィの真正面へと走る。ワィは咄嗟に身体を捻ったが、完全には避けきれず、肩口を掠められた。


「っ……!」


 黒い電光が、ワィの身体を走る。


 ぴくん、と身を震わせたワィが、次の瞬間、ずるりと床に崩れ落ちた。触手の一本一本が痙攣し、動きが鈍くなっている。


「ワィ!」


 ナーサイが駆け寄ろうとした、その瞬間。


「行かせません!」


 ゾワースガが、巨大な鋏と鎌を振りかざして突っ込んできた。


 闇鎌乱葬シャドウ・レイヴ


 幾筋もの黒い斬撃が、ナーサイとヨゴリィへと襲いかかる。ヨゴリィは腕を交差させ、光の盾を展開した。


光壁ライトシェル!」


 だが、ゾワースガの斬撃は一撃ごとに重量が増していく。光の盾は、数発受け止めたところでひび割れ、そのまま砕け散った。


「きゃっ!」


 ヨゴリィの脇腹を鋭い風圧がかすめ、ローブが裂ける。


「ヨゴリィ!」


「だ、大丈夫……っ。かすっただけ……!」


 ヨゴリィの声は震えていたが、瞳はまだ折れていなかった。ナーサイが口元を固く引き結び、祈りの言葉を紡ぐ。


「癒光よ、友を包め――高位回復魔法ハイヒール!」


 蒼白い光がワィとヨゴリィを包み込む。だが、その光はどこか薄い。回復が間に合わない。


 ゾディアーガの闇霧が、治癒の光に絡みついているのだ。光が輝こうとするたび、闇がそれを削り取っていく。


「回復が……削られている……?」


 ナーサイの額に汗が滲む。


 ヴァガが、一歩前に進み出た。兜の奥の瞳が、冷たくアリアたちを見据えている。


「海底は、我ら竜騎の庭……陸の者が踏み入ってよい場所ではない」


 水竜騎士ヴァガが槍を構えた。


黒潮重突ブラックタイド・ランス


 海底を這う黒い水流が、ヴァガの足元から走り出す。その流れを槍が纏い、一気に圧縮されてアリアたちへと突っ込んできた。


「うっ――!」


 アリアは、勇者の剣を正面に構える。衝突の瞬間、剣と槍の間で黒い水が爆発した。


 重い。さっきの闇撃よりも重い。


 踏ん張っても足が滑り、床に押しつけられそうになる。腕の骨がきしむ。


「アリアちゃん!」


 ヨゴリィがアリアの背に光の支援を送ろうとする。その瞬間――


「だからよォ」


 ジレンがヨゴリィの背後に現れた。


「回復役から潰せって、相場が決まってんだろ?」


 影雷爪が振り上げられる。


 アリアの背筋が凍った。


「ヨゴリィ!」


 叫ぶと同時に、アリアは槍を押しのけるように身体を捻る。勇者の剣を横薙ぎに振るうが、距離が足りない。


 そのとき。


「させない!」


 ジャイカが横から体当たりをかました。ジレンの身体が一瞬だけぶれ、爪がヨゴリィの肩に浅く引っかかるだけで済んだ。


「うぐっ……!」


 光の僧衣が裂け、ヨゴリィの血がにじむ。


「あっぶねぇなァ、おい。ほんのちょっとズレてたら、首、飛んでたぜ?」


 ジレンは楽しそうに肩をすくめる。


「やっぱり、オレ様、回復役狙うときワクワクしちまうんだよなァ。仲間が『治してくれ!』って目で見てるのに、治せない。その顔がさぁ――最高なんだわ」


「……っ……!」


 ヨゴリィの顔から血の気が引いていく。ナーサイが歯を食いしばり、再び祈りの言葉を紡ぎ始めた。


高位回復魔法ハイヒール!!」


「やらせるかよ!」


 ジレンの暗雷衝が、ナーサイへ向けて放たれる。


 その瞬間。


「ナーサイを守れ!」


 アリアは勇者の剣を床に突き立て、身体を盾にするように立ちはだかった。暗雷衝が剣にぶつかり、黒紫の電光が四散する。


「くっ……!」


 痺れが腕を駆け抜ける。膝が震えた。


 ゾディアーガの笑い声が、闇霧の中から響く。


「愉快だ。愉快だな、騎士よ。貴様、なかなか折れぬ心を持っている……だが、それも今のうちだ」


 闇の腕が、不気味に広間へと伸びる。


闇囁ダークホイッスパー


 囁き声が、直接アリアの頭の中へ流れ込んできた。


 冷たい指が心臓をなぞるような感覚。視界が揺らぎ、床と天井が逆さまになるような錯覚に襲われる。


 耳元で、誰かが泣いている。


 妹の声。故郷の村のざわめき。火の手。焦げた匂い。守れなかったもしもの景色。


 アリアは叫び声を上げようとして、声にならない悲鳴を漏らした。


(やめて……これは、わたしの――)


「見えるぞ。貴様の恐怖も、後悔も。あの時、もっと強ければと願った夜、眠れなかった朝……全部、全部、食ってやろう」


 ゾディアーガの囁きが、さらに深く心の奥へと入り込んでくる。


 膝が震える。勇者の剣を支える腕から、力が抜けていく。


「アリアちゃん!」


「隊長!」


 遠くから聞こえる仲間の声。それさえも、水の向こうの音のようにぼやけている。


 視界の端で、ゾワースガの鋏が振り上げられる。ヴァガの槍が、再び黒い潮を纏ってアリアたちへと向かおうとしている。


 ジレンは、笑いながらその様子を見物していた。


「ほらほら、どうした勇者もどき。立てよ? 折れる瞬間が、一番いい顔すんだからよォ」


 アリアは、息を吸おうとして、うまく呼吸ができないことに気づいた。


(わたしは……ただの騎士で……勇者なんかじゃ……)


 そのときだった。


――アリア。


 水の中を渡ってくるような、柔らかな声が、彼女の心の奥底まで届いた。


――アリア。聞こえますか……?


 懐かしい、優しい気配。海の底で何度も祈りを捧げたあの祭壇で、幾度となく感じた気配。


「……イケ……様……?」


 アリアの唇が、かすかに動いた。


 闇囁が、そこで一瞬だけ揺らぐ。


――アリア。勇者の剣は……あなたの心と、呼応します。

 あなたの心が、清らかであればあるほど……その力は、増幅されるのです。


 海の女神イケの声が、はっきりと響いた。


 闇の囁きが、苛立ったようにざわめく。


「……女神、か。海の残り香め。私の獲物に、口出しをするな」


 ゾディアーガが低く唸る。


 イケの声は、それに怯むことなく続けた。


――アリア。思い出して。

 あなたは、一人ではありません。ナーサイたちが、側にいます。

 海の底で出会った仲間たちが、あなたを信じています。

 そして、故郷で――妹が、あなたの帰りを待っています。


 妹の顔が、闇の中に浮かび上がる。


 暖かい笑顔。小さな手。いつも見送ってくれた背中。


 アリアの胸の奥で、何かが灯った。


(……そうだ……わたしは、一人じゃない)


 握る剣が、わずかに熱を取り戻す。


――あなたが守りたいものを、もう一度、胸に刻んで。

 勇者であるとか、ないとかは、関係ありません。

 あなたが剣を握る理由は、最初から決まっているでしょう?


 ゾディアーガの闇が、苛立ったようにざわついた。


「くだらぬ。人間は皆、最終的には己の命が惜しくなる。恐怖の前には、絆など脆い紙切れよ」


 アリアは、ぎゅっと目を閉じた。


 暗闇の中で、自分の胸に手を当てるような感覚だけを頼りに、言葉を探す。


(わたしは――)


 守りたかった。

 妹の笑顔を。

 故郷の村を。

 ナーサイたちの居場所を。

 ヨゴリィの優しさも、ジャイカの不器用な勇気も、ワィの静かな頑張りも。


 それらすべてを、守りたかった。


(……わたしは、負けない)


 アリアは、ゆっくりと目を開けた。


 闇囁は、まだ耳の奥でざわついている。それでも、その声よりも強く、彼女自身の声が胸の内で響いた。


「わたしは、負けない……!」


 震える足に、力を込める。膝を伸ばす。


 勇者の剣を、もう一度握り直した。


「わたしは……みんなを、守る!」


 その叫びと同時に、アリアの心の底から、祈りが湧き上がる。


(古の勇者様……どうか……どうか、力を貸してください。

 今、目の前にいる邪神を倒すために。

 みんなを守るために――!)


 祈りが、剣へと流れ込んでいく。


 勇者の剣が、眩い光を放ち始めた。


 最初は小さな光だった。だが、その光は瞬く間に膨らみ、闇霧の中へと染み込んでいく。


「なっ……?」


 ゾディアーガの声が、明らかに動揺を帯びた。


「馬鹿な……バリアが……!」


 ダークミストが、じゅう、と音を立てて溶け始める。光に触れた部分から、黒い霧がどろどろと崩れ落ちていくのだ。


 闇に満ちていた広間に、わずかながらも光が戻り始める。


「これは……!」


 ナーサイが、目を見開いた。


「アリアちゃん……!」


 ヨゴリィの頬を伝っていた一筋の涙が、光を受けて輝く。


 ジャイカは拳を握りしめて叫んだ。


「隊長……やっぱり、あんたは――!」


 ワィもまた、痺れた身体を震わせながら、かすかに腕を持ち上げた。


「アリア……!」


 ゾディアーガは、怒りを露わにして吠える。


「な、なんだ……この光は……!? 女神の光だけではない……もっと、古い……!」


 ジレンが、舌打ちをした。だが、その顔にはまだ余裕が残っている。


「へぇ……やるじゃねぇか、騎士サンよ。ビビりながらも折れねぇ心ってのは……最高に、折り甲斐がある」


 ジレンの背中から、黒紫の雷光がさらに激しく噴き上がる。


「よし決めた。オレ様、あんたを本気で折りにいくわ。

 光だか勇者だか知らねぇけどよ――」


 ジレンが、嬉々として構えを低くした。


「それを叩き折って、絶望の底に沈めてやるのが、一番楽しいんだよ!」


 闇霧が崩れ始める中、ゾワースガが鋏を鳴らし、ヴァガが槍を構え直す。三体の眷属が、一斉にアリアたちへと狙いを定めた。


 勇者の剣は、アリアの手の中でさらに輝きを増す。


 光と闇と雷がぶつかりあう、海底神殿最下層の決戦は――まだ、始まったばかりだった。


 つづく。


後書き(約1200字)


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!


今回は 「海底神殿最下層の決戦・前編」 ということで、いつものアリアたちよりも

圧倒的に「追い詰められる側」の描写を強めてみました。

お察しのとおり、この章は物語全体でもかなり重要な局面になります。


特に、今回新たに登場した

闇と稲妻の魔人ジレン

そして

邪神ゾディアーガの持つ“闇霧ダークミスト

この二つが、“アリアの強さ”ではなく

アリアの弱さ・限界 を強制的に見せつけてくる回でした。


アリアはよく「勇者みたい」と周囲から言われますが、

本人はずっと「勇者じゃない、ただの騎士だ」と思っています。

その“心の揺れ”と、“本当は胸の奥にある願い”の衝突が、今回の闇囁ダークホイッスパーのシーンです。


ゾディアーガの“心を覗く能力”は、ただの闇魔法ではなく、

アリアの 「恐れている未来」「守れなかった可能性」 にまで干渉してきます。

バトルとしての強さだけではなく

“精神的ダメージの深さ”を伴う敵として描きました。


そしてそこへ差し込むのが、

海の女神イケからの声。


彼女の力は、単に「加護」ではなく、

アリアがこれまで積み上げてきた“祈り”に対する“応答”です。

アリアは誰かのために戦いますが、

彼女自身が誰かに“守られている”ことは、これまであまり自覚していませんでした。


今回のイケ様の言葉は

アリアが初めて「自分も支えられている」と気づく瞬間

として書いています。


また、読者さんからもご要望が多かった

仲間のピンチと連携感

をしっかり出せるように、以下のコンビネーションを重点的に入れました。

•ナーサイの回復が闇霧に削られる(支援の限界)

•ヨゴリィが守られながらも折れない光

•ジャイカの瞬発的なフォローと“体当たりの勇気”

•ワィの麻痺毒が“刺さりそうで刺さらない”焦り


このあたりは、後編でそれぞれが必ず“返す瞬間”がありますので、

ぜひ楽しみにしていてください。


そして今回の目玉、

ジレンの狂気とスピード感。


前回のやり取りでも話しましたが、彼はあえて “B:挑発と笑いのある狂戦士タイプ” で作っています。

ゾディアーガの重く冷たい闇とは対照的に、

ジレンは軽くて速くて、人の恐怖を嘲笑うタイプ。


この対比で、よりアリアたちの「守られていない怖さ」「死の影」が浮き上がるように意識しています。


ジレン戦は後編でさらに派手になります。

今回の 影雷爪 や 暗雷衝 はまだ“遊び”の領域で、

後編では彼の本気モードが出ます。


そして――

アリアの剣の光が、やっと“本来の覚醒”へ踏み出します。


後編は、

『海底神殿最下層の決戦・後編 光が闇を裂くとき』

という流れで、クライマックスに突入していきます。


次回も全力で盛り上げますので、ぜひ続きもお付き合いください!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ