表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女騎士の独り旅!  作者: 和泉發仙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

80/649

珍獣保護区の大脱走 ― 「拍」と「ほどほど」の使い方

ギルドの掲示板に、また見覚えのある筆跡が走っていた。

《辺境・蒼苔谷“珍獣保護区”の安全監査と避難導線の整備。推挙:エミリア(A級)》

アリアは短くため息をついて、依頼票を剥がした。


(推挙の頻度が高い。……あの人、国を跨いでどこにでもいるな)



蒼苔谷は春の手前で、空気だけが生ぬるい。

谷底に並ぶ木柵は、木ではなく符陣で編まれていた。石柱に刻んだ紋に魔力を通し、リズムで開閉を制御する“柵”だという。

案内役の管理官――錬金博物師ロクソは、丸眼鏡を押し上げて胸を張った。


「当保護区では、希少生物を“ほどほどに幸せ”へ導くのが理念です。

 見学は危険のない区画のみ。符陣柵は“短短長”で開、“長短短”で閉。簡潔でしょ?」


(簡潔であれば、人は油断する)


木陰の小柵では、子ども竜が樽をかじっていた。

「ピップ、樽はだめ」飼育係が叱ると、青緑の舌でぺろりと謝る。

別の囲いでは、角の丸いウサギがころんと転がり、透明なヤモリが壁を滑り、音まね鳥エコーが「ほどほど!ほどほど!」と覚えたてを連呼している。


見学に来ていた村の子どもたちは大歓声。

アリアは外套の襟を正し、広域の見取り図を紙に写した。矢印、避難小屋、貯水塔、橋――

(万一の時は、橋がボトルネックだ)


「女騎士さん!」

背後で、見学の吟遊詩人が陽気にリュートを爪弾いた。た・た・たーん/タタ。

管理官が慌てて走る。「あぁっ、楽士さん、“符陣の拍”に触るような曲は――」

遅かった。

谷の上の風見板が軋み、符陣の石柱が微かに同調する。

リュートの“シンコペーション”が、短長短で空気を裂いた。


ぱんっ。


符陣柵が、一瞬だけ理屈を忘れて、線をほどく。

子竜ピップの瞳が輝いた。「今だ!」と言わんばかりに樽をくぐり抜け、透明ヤモリは壁から解き放たれてするんと外へ、角ウサギはころころと坂を転がり、音まね鳥エコーが頭上で「今だ今だ!」を増幅した。


「――閉」

アリアは管理台の符陣盤に手を伸ばし、長短短を刻む。

一部は戻る。が、半分は逃げ足が速い。

(拍が二つになった。符陣と、楽士)


「楽士、二拍休め!」

短い号令に、リュートの音が途絶える。空気が凪ぐ。

その瞬間、アリアは笛(ヤンから借り受け、以後携行している)を二短一長。

小型の連中は足を止め、アリアの白紙矢印の下にちょこんと集まる。

「よし」

布袋で包もうとした、その気配の向こう。――地鳴り。


「管理官、あの鈍い音は?」

「格納区画の……**甲槌竜こうついりゅう**です。温厚ですが、拍に敏感で。乱れると、“道を均す”習性が……」

「均す、とは」

「橋とか、門とか、出っ張りを、です」


(橋はだめだ)



谷の中央へ向かう砂利路を、どどんと影が揺れた。

岩板のような背、棍棒のような尾。

甲槌竜が“乱れ拍”を踏みつけ、一直線に橋へ向かう。

見学の子どもたちが悲鳴を上げ、飼育係が散る。

アリアは矢印札を掲げ、叫ぶ。


「年少は小屋へ! 水甕の横で集まれ! 大人は橋を空ける!」

音まね鳥が「小屋へ!小屋へ!」と伝令役になって飛ぶ。役に立つ時は立つのだ。


甲槌竜は、橋脚を均すために尾を振り上げ――

アリアは太鼓を取った。祭り用の小さな胴。どん・た/どん・た。

甲槌竜の目がこてと向く。

(退屈に、等間に)

どん・た/どん・た。

巨体の足取りが揺らぎ、尾がゆっくりと下りる。

……が、背後でまた誰かが叫んだ。「急げ急げ!」「早く早く!」

声の乱拍が波紋になり、甲槌竜の瞳に波が立つ。


「――っ、やめろ、等間で喋れ!」

アリアが怒鳴るより早く、巨尾が薙いだ。

橋の欄干がばきんと裂け、アリアの足場に影が落ちる。

身体が浮く――掴む物がない。


そのとき、影の矢が風を裂いた。

細い繊維で編まれた横幕(市場の日よけ布)が、石の出っ張りと欄干の残骸にぱしと縫いつけられ、滑空するアリアの腰をすっと受け止める。

布がしなる前に、背後から大盾ががんと支柱になり、衝撃を殺した。


「全く。見てられないわね」

赤い外套。

エミリア。


「ガルド、壁」

「応!」獣人戦士が大盾を橋脚に突き立て、巨尾の再打撃を受け止める。

「マリア、結界。橋の出っ張りを“平ら”に見せて」

「了解」神官の指先が描いた光が、欄干の残骸を**“地面”に錯覚させる薄膜を作る。

「シリル、背に登って“拍止め”の楔を打つ。落ちるなよ」

「褒められて伸びるタイプ!」盗賊が笑い、甲槌竜の側面にするり**と取りついた。


アリアは布から転がり出て立ち上がり、太鼓を再開する。

どん・た/どん・た。

マリアの結界が波を吸い、ガルドの盾が力を受け、シリルの楔が甲槌竜の肩の拍感応板にかちと噛む。

巨体がはたと止まり、尾が地を打つ前に、エミリアの声がすっと入る。


「――今」

アリアは笛を長一短。

谷じゅうの符陣柱がこくりと頷いて、閉の等間を刻みだす。

甲槌竜の瞼が重くなり、どすんと膝を折った。

砂利に広がった波紋が、やっと、静かになった。



収容は、粘り勝ちだった。


透明ヤモリには粉袋を破って白粉を舞わせ、足跡で追った。

角ウサギは転がる癖を読み、坂の下に藁の山。

子竜ピップは干し肉を見せた瞬間に外套の裾に噛みつき、アリアは真顔のまま裾を引きちぎった。

(……後で縫う)


音まね鳥エコーは、エミリアの「静まれ」を真似て自分で静まり、村の子どもたちが拍子木で等間を保つ。

「いち・に、いち・に」

子どもたちは笑い、やがて“伝令”として役に立ち始める。

(置き場を与えれば、騒ぎは力に変わる)


日が傾くころ、逃げた連中は皆、母屋の母符の周りにちょこんと伏していた。

管理官ロクソは地面に手をつき、眼鏡を曇らせて頭を下げる。


「重ね重ね、申し訳ありません……! “簡潔”を押しすぎました。

 見学時に楽士不可、符陣の拍は等間のみ、説明は紙で――全部、紙で残します」

「よろしい」アリアは頷く。

「それと、緊急時の合図も“ほどほど”に。叫び声は乱拍だ。――“いち・に”で喋る」


子どもたちが胸を張る。「任せて!」

音まね鳥が「いち・に!」と被せ、甲槌竜がこくりと頷いた(ように見えた)。


エミリアは剣を拭い、無造作に納める仕草まで妙に優雅だった。

汗を拭う指先、布の扱い、立ち居振る舞い――型が美しい。

アリアは、ふと目を細める。


(……でも勘違いだろう。せいぜい没落貴族の出くらいじゃないか?)


背後でガルドが苦笑を漏らし、マリアが肩をすくめ、シリルは甲槌竜の背の上でやれやれと手を振った。


「さてと」

エミリアは軽く顎をしゃくる。

「避難導線の紙、あなたがまとめて。――私は『危険物:楽士』って札を立てておくわ」

「項目を増やすな」アリアは肩を落とした。

「冗談よ。……じゃ、私は次の依頼があるから。相棒たち、行くわよ」

「お嬢――いや、隊長」

三人は苦笑混じりに続く。


すれ違いざま、エミリアが低く言った。

「ねえアリア。あんたの拍、やっぱり好きよ。剣より前に、場が動く」

「……礼を言う」

「礼はいいの。――格好よく去るのも、A級の仕事」

彼女は片手をひらりと振り、谷の風に紛れた。



夕映えの蒼苔谷に、紙が数枚、掲げられた。

《見学時は等間拍のみ/“急げ急げ”は禁止/合図は「いち・に」で》

《年少者は水甕へ→/橋は空ける/楽士の演奏は許可制》

《ほどほどを守る/紙は命綱/拍は灯り》


鞄の底に、アリアは控えを書き写して仕舞う。

軽い白紙が、町の重みに変わる瞬間を、何度も見てきた。


谷を出る小道で、子竜ピップがこっそりついてきて、アリアの外套の裂け目をぺろりと舐めた。

「直す気遣いは買う。でも噛んだのは君だ」

「ぺろり」

真顔で叱って、頭をこつりと撫でる。

子竜は満足げにこくりと頷き、保護区へ駆け戻っていった。


(“ほどほど”が分かれば、どんな暴れ者も、だいたい良い隣人になる)


風が、等間で谷を撫でた。

女騎士は外套を正し、次の町へ歩き出した。


(了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ