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女騎士の独り旅!  作者: 和泉發仙


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機械仕掛けの妖精と錬金術師・第1話「奇妙な宿と錬金術師」



雪解け前の晴れ間は、旅人にとってご褒美みたいなものだ。

アリアは外套の襟を軽く開き、靴底についた凍土を石段で落としてから、古い港町のギルド扉を押した。

中は暖かく、乾いた羊皮紙の匂いと煮込みの香りが鼻をくすぐる。


掲示板に奇妙な依頼が一枚。

《町外れの宿〈かもめ亭〉周辺で、夜間に“光る虫”多数の報告。被害:洗濯物が干したまま畳まれている、鍵が勝手に締まる、看板の文字が勝手に直る等。

原因調査と夜間見回り。危険度:低〜中。報酬:銀貨八枚+宿泊。》

欄外にさらりと走り書きがある。

《推挙:エミリア(A級)》


「……またですか」

アリアが小さくため息をつくと、受付嬢はにっこり笑った。

「“礼儀と段取りに強い人で”って。ね、アリアさん?」

「礼儀と段取りが要る“光る虫”とは、なんでしょうね」

「人によっては“厄介事”とも呼ぶみたい。――錬金術師が町に滞在してるの、聞きました?」

「……嫌な予感しかしない」


受領印を押し、アリアは地図を受け取った。赤い印の場所には「かもめ亭」と書かれ、小さく“錬金術師ヤンの仮住まい”のメモ。

(“光る虫”=“錬金の副産物”である確率、かなり高い)



〈かもめ亭〉は港の端の古宿だ。

外壁は潮風に焼かれているが、窓枠はきれいに磨かれ、花台の木箱には寒咲きの黄色い花。

引き戸を開けると、炉端に座った老主人が顔を上げた。

「旅の人かい?」

「ギルドの者です。夜間の見回りに。宿を一つ、それと原因の聞き取りを」

「あぁ、助かるよ。最近、夜にちょこまか動く奴らがいてな。悪さはしないんだが、やりすぎる」

「やりすぎる?」

老主人は困ったように笑った。

「干しておいた洗濯物が糊付けまで終わってたり、看板の綴りを勝手に正されてたり、戸締まりが完璧になって中から出られなかったり」

(害はない。が、生活は乱れる)


「それで“錬金術師”というのは?」

奥の座卓で、影が手を挙げた。

「は、はいっ。呼ばれました?」

現れたのは若い男――年の頃は二十代半ば、癖のある茶髪を後ろでまとめ、ゴーグルを首にかけ、前掛けには煤と薬品のしみ。

目は優しい。が、腰の革袋から飛び出している歯車やバネが落ち着きのなさを物語る。


「ヤン・フルークです。錬金術師……見習いの頃をもう少し引きずってますけど、いちおう一人前で。

 あの“光る虫”は、ぼくのフェアリーズでして」

「フェアリーズ?」

「“機械仕掛けの妖精”。――小型の自動機械です。歯車駆動に微量の魔力を載せたやつで、簡単な家事補助や修繕を……」

「家事補助、ですか」

「はい。夜、港の人たちが疲れて寝る間に、洗い物を畳んだり、表札の欠けを埋めたり、落ち葉を集めたり。

 でも最近、ちょっと、えー、その、やる気が出すぎて」

老主人が頷く。「そう、やりすぎるんだよ」

アリアはこめかみに指を当てた。

(“ほどほど”を知らない妖精……嫌な組み合わせだ)


ヤンは慌てて肩をすくめる。

「もちろん、ぼくの管理ミスです。港の人には頭が上がらない……。

 フェアリーズは本来、ぼくの笛の合図で動きを止めるんですが、昨夜から笛への反応が弱い。

 魔力回路の共鳴がずれてるのか、港の灯台の点滅信号に引っ張られてるのか……」

「灯台?」

老主人が補足する。「海霧が出る夜は、灯台の灯が早い拍で何度も点くのさ。

 その頃と、光る虫どもが騒がしくなる時刻が、どうにも重なる」

アリアは地図を広げ、港と灯台、宿の位置関係を確かめる。

(拍――合図――共鳴。線は一本だ)


「今夜、見回りながら様子を見る。――その笛を借りても?」

「もちろんです!」

ヤンは懐から銀色の小さな笛を取り出した。

「二短一長で“集まれ”、長一短で“止まれ”、です。出力は微弱魔力、声帯は要りません」

アリアは笛を受け、試しに軽く吹く――音は出ない。が、テーブルの下でチリと極小の金属音がした。

視線を落とすと、床板の隙間から豆粒ほどの歯車が「呼ばれた?」とでも言いたげに跳ねだす。

老主人が片眉を上げた。「おお、今のは反応早いな」

ヤンは苦笑い。「昼間は素直なんです。夜になると、港じゅうの拍に耳を澄ましちゃって……」


「了解した。――被害は“親切の行き過ぎ”。なら、今夜は“ほどほど”への仕舞い方を準備しよう」

アリアは宿の床下への点検蓋を開け、動線と隠れ場を確かめる。

「老主人、外の掲示板に紙を一枚。『今夜は戸締まりほどほど』と書いて貼っておいてください」

「ほどほど?」

「締めすぎると朝、あなたも出られなくなる」

「なるほど」

ヤンが情けない顔をした。「ほんとすみません……」



夕刻、港の温度が下がり、街路灯に灯が入る。

アリアは笛と短槍、そして白紙を十数枚持って外へ出た。

紙には太字で《点滅××拍》と書き、灯台の見える方向に矢印をつけて掲げる。

「何してるの?」

通りがかった子どもが首をかしげる。

「灯台の拍を“目に見える形”にしている。――“音”で暴れるなら、“字”で落ち着かせる」

子どもはよく分からないという顔をしながらも、矢印の紙を手伝ってくれた。


やがて、夜。

霧が薄く出て、灯台の光がぱ、ぱ、ぱ――と三度点り、間を置いて長くぱーと伸びる。

アリアは笛を合わせて二短一長。

港の石畳の隙間から、チ、チチ……と金属の羽音。

豆粒ほどの機械仕掛けが数十、灯の下を飛び抜け、空中できらりと翅を返した。

真鍮の翅、琥珀色の眼、腹の内で回る小さな歯車。

町の人の誰かが息を呑む。「……きれいだな」

別の誰かが眉をしかめる。「いや、綺麗だけど怖いだろ。夜に勝手に――」


アリアは手を上げた。

「――止まれ」

長一短。

群れは空中でふわりと減速し……三分の二は従った。

だが、残りは灯台の長い一拍に釣られて、ふっと港の方へ流される。

アリアは笛を繰り返し、白紙の矢印の下へ誘導する。

(反応が割れている。基準拍が二つ――笛と灯台)


「ヤン!」

背後で気配。ヤンが息を切らして駆け寄る。

「回路の共鳴を“笛”に寄せ直すには、母機に触るのが早いんですが、今は分散状態で……」

「母機?」

「はい、宿の屋根裏にある親玉。みんな、そこから“拍”を学ぶので。

 ただ、昨夜から外へ出たままの子が三体いて――」

「“子”?」

「ええ、名前つけちゃってて……ミルとネジとハク。あいつらが、どうも灯台の“長拍”が好きで」


アリアは視線だけで港通りをなぞる。

(なら、まずは灯台側で拍を変える)

「灯台守は?」

「今夜は交代で若いのが。――事情を話せば、点滅の拍を少し落としてくれるかもしれません」

「案内を」

「はい!」



灯台への坂道は濡れて滑る。

途中、屋根の上で洗濯物が自動的にたたまれているのが見えた。

「ほら、やってます、やってます!」とヤンが嬉しそうに――いや、申し訳なさそうに指をさす。

アリアは真顔のまま「あとで持ち主に謝っておくように」とだけ言う。


灯台守の若者は、最初は半信半疑だった。

「点滅の拍を落とす? 安全規定があってさ……」

「霧は薄い。拍を“少しだけ長く”、周期を一定に」

アリアは白紙に簡単な図を描く。

《いま:短短短―長/望ましい:短短―短(等間)》

「不規則が、妖精たちの“遊び心”に火をつける。――等間にすれば、退屈して戻る」

若者は苦笑しつつも頷いた。「なるほど、退屈作戦。やってみるよ」


灯が変わる。

ぱ、ぱ――ぱ、ぱ――

アリアは笛を合わせ、二短一長→長一短の繰り返しで港へ戻る群れを集めた。

白紙の矢印の下に着地したフェアリーズは、ちょこんと身体を伏せ、腹の歯車をちり、ちりと休ませる。

「よし」

アリアは腰の袋から薄布を広げ、捕虫網みたいに群れを包む。

「宿へ戻す。――“母機”の拍で、夜の規律を教え直そう」



屋根裏の母機は、掌大の真鍮箱だった。

蓋に小さな羽根車、側面に三つの石英窓。内部で規則正しく歯車が回り、控えめな音で時間を刻む。

ヤンが工具を並べ、慎重に蓋を開ける。

「基準拍を“笛寄り”に再調整……はい、アリアさん、ここで笛を二短一長お願いします」

アリアが吹く。

箱の中の歯車の一枚が、ほんのわずかにテンポを落とし、他の歯車が追従する。

「うん、入った。――これで“笛=母機=規律”が一直線に繋がります。

 灯台の拍は、今夜だけ“退屈”にお願いして……」

「助かる」

アリアは包んだ群れを屋根裏で放し、母機の周りにちょこん、ちょこんと伏せさせた。

「これで“ほどほど”になればいいが」


老主人が梯子の下から呼ぶ。

「おーい、港でちょっとした騒ぎだ! 酒場の看板が勝手に光ってる!」

ヤンが青ざめる。

「ミルかネジだ……! あの子、看板の綴りが間違ってると改修しちゃうんです! しかも派手に!」


アリアは梯子を降りる途中で外套の紐を締めた。

(母機に戻らない“子”がまだ外にいる――)



港通りでは、人だかり。

「おい見ろよ、字が光ってる!」「いや、光ってるどころか動いてる!」

酒場〈踊る鱈〉の看板には、真鍮色の小さな何かが張り付いて、筆画の上をちょろちょろ走り回っていた。

走ったあとに蛍光塗料の線が残り、文字が勝手に正しい綴りへと書き換えられていく。

「“TALA”じゃなくて“TAR A”ね! スペース! 大事!」と誰かが間違った助言をしてさらに混乱。

(だめだ、素人の声が“拍”になる)


アリアは笛を口に当て、二短一長。

張り付いていた一体――腹に銀の点が二つ並ぶ個体――がぴたりと止まり、ちょんと跳ねて看板から降りた。

「ミル!」とヤンが歓喜の声を上げ、両手で受け止める。

しかし、もう一体――腹に傷のある個体――は、灯台の等間拍に飽きたのか、酒場の楽隊のリズムに釣られて屋根へ跳び移った。

屋根の上では、太鼓が賑やかだ。どん・た、どん・た。

フェアリーは楽しそうにどん・たに合わせて跳ね、街路の方へ光の線を撒き散らし始めた。

子どもたちが歓声を上げる。「星が降ってる!」

大人たちは顔をしかめる。「いや、あれ片付けが大変なんだぞ!」


アリアは路上の樽を蹴り倒し、その上にすっと乗って腕を伸ばした。

「――止まれ」

長一短。

が、太鼓がどん・たと返す。

フェアリーは太鼓へ。

(音が多い。私の拍が溺れる)


「太鼓、一拍だけ休め!」

アリアの短い声が楽隊に飛ぶ。

太鼓が止まり、空気が一瞬だけ凪になる。

その隙に、長一短。

フェアリーははっとしたように空中で止まり、ちょこんとアリアの手首にとまった。

「よし」

アリアは掌で包み、布袋にそっと入れる。袋の中で**ちり……**と満足げな音。


群衆から安堵と拍手。

ヤンは額の汗を拭いながらもまだ怯え顔だ。

「残りが、もう一体。――ハクがどこかに」

「特徴は?」

「白い保護塗装がかかってて、夜目にも薄い色に見える。几帳面で、鍵が好きで……」


その瞬間、港の向こう――〈かもめ亭〉の方向で、がちゃんと連鎖する鍵の音がした。

宿の二階、三階、離れの倉……すべての錠前が内側からお行儀よく閉まっていく、あの音。

老主人の悲鳴が夜気を切った。

「おい! 出られなくなるやつだ!」


アリアは反射的に駆け出し、坂道を滑るように降りる。

「ヤン、母機は屋根裏に置きっぱなし?」

「は、はい!」

「なら、母機に“開け”の拍を教える。――あなたは宿の裏へ回って“非常窓”から入って!」

「非常窓……あります!」

二人は別れて走る。

灯台の拍は等間で退屈、太鼓は再開、港はざわめく。

そのすべての上を、鍵のがちゃんが規則正しく重なっていく。


〈かもめ亭〉の前にたどり着くと、まさに目の前で最後の南京錠がカチと閉まった。

アリアが扉を押す――びくともしない。

「ハク!」

ヤンの叫びが裏手から聞こえる。

「だめだよ、そこは非常口なんだ、閉めちゃ――」


二階の窓の内側、薄い色の小さな影が、一瞬、灯りに照らされた。

腹の歯車が、几帳面に、律儀に、町じゅうの鍵の拍を美しく重ねている。

(……やられた。完璧だ)


アリアは笛を掴み、屋根の高さを一度見上げ、瞬時に段取りを組み替える。

(内からはヤン。外からは私。――母機に“開け”を刻み、“ほどほど”に戻す)

そのとき、港通りの向こうで、軽やかな足音が雪を払った。


「やっぱり見てられないわね」

凛とした女の声。

通りの角から、風を切って一行が現れる。

先頭――エミリア。

その背に、大盾を背負う獣人戦士、白衣の神官、身軽な盗賊が雪煙を割ってついてくる。


アリアは短く息を吐いた。

(――助かった。けれど、まだ“ほどほど”の仕舞いは私の仕事だ)


「エミリア、内外同時で行く。拍は私に合わせて」

「了解。相棒たち、配置につきなさい。――さ、可愛い“妖精さん”たちに、帰る時間を教えてあげましょ」


夜が、ほんの少しだけ明るくなった。

機械仕掛けの翅がちり、ちりと凪ぎ、灯台の拍が遠くで飽きる。

“ほどほど”と“規律”の綱引きが、今、始まる。


(第2話「暴走と救援」へ続く)

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