ダンジョン30階層(後編) 「払われたもの」
獣は、小さくなった。
だが弱くなったわけではない。
むしろ――殺意だけが、研ぎ澄まされている。
床を滑る。
影の中を裂く。
視線を向けた瞬間には、もう遅い。
「来る!」
フェルナの声と同時だった。
獣は、ダロッゾを選んだ。
理由は単純。
前に立ち、逃げない。
守ると決めている。
だから、狙う。
「――ッ!」
ダロッゾは一歩も退かなかった。
拳を下げ、
肩を入れ、
受ける姿勢を取る。
だが。
獣の爪は、
“受け止める”という概念を無視して――
腕を貫いた。
骨を叩く音。
肉が裂ける感触。
「……ッ」
声は、出なかった。
だが血が、床に落ちる。
「ダロッゾ!!」
リカルゾが叫び、
同時に前へ出る。
その一瞬。
獣は、止まった。
完全な実体化。
わずか――一拍。
「今だ!!」
フェルナの号令。
剣が入る。
拳が叩き込まれる。
結界が閉じる。
ミャラは、震えながらも一歩踏み込み、
爪を振るった。
逃げない。
目を逸らさない。
獣の身体に、
無数の亀裂が走る。
――そして。
霧が、ほどけた。
崩壊ではない。
消滅でもない。
役割を終えたように、
殺意だけを残して、空間から剥がれ落ちる。
⸻
◆代償
静寂。
重圧が、嘘のように消えた。
リカルゾが、ダロッゾのもとへ駆け寄る。
「おい!!
……腕……!」
ダロッゾの右腕は、
簡易止血でなんとか保たれている。
だが――
動かない。
フェルナは一瞬、目を閉じた。
(……間に合わなかった)
治せる。
だが、完全には戻らない。
それが、分かる。
ダロッゾは、低く言った。
「……問題ない」
「問題です」
フェルナは、はっきり答えた。
「でも――生きて帰ります」
誰も、否定しなかった。
⸻
◆帰還
転移陣が、静かに開く。
誰も言葉を交わさないまま、
全員が足を踏み入れた。
30階層は、
追ってこなかった。
ただ――
痕だけを残した。
⸻
ルーンブルク
治療区画・施療院前
白い石の建物。
薬草と魔力の匂い。
フェルナたちは、
ほとんど会話をせず、入口に立った。
ダロッゾの腕。
ミャラの浅い呼吸。
全員の疲労。
「……入るわよ」
そう言いかけた、そのとき。
反対側の扉が、静かに開いた。
施療師たち。
簡易ベッド。
そして――
見慣れない服の男。
その横に立つ女を見て、
全員が、同時に理解する。
(……アリア)
声は、誰も上げなかった。
シルが、ほんの半歩だけ前に出る。
声は、祈るように小さい。
「アリアさん……
おかえりなさい」
アリアは、足を止めた。
一拍。
それから、静かに答える。
「……ただいま」
視線が、フェルナたちに向く。
腕。
包帯。
疲労。
「……30階層、ですね」
フェルナは、短く息を吐いた。
「ええ。
勝ちましたが……無傷ではありません」
アリアは、頷いた。
「それで十分です」
そして、施療院の扉を見る。
「中へ。
今日は――治す日です」
扉が、再び開く。
今度は、
全員のために。
⸻
◆後書き
30階層は
「殺意」と「代償」の階層でした。
勝利は得られる。
だが、何も失わずには終わらない。
そして――
“治せる世界”と
“治りきらない痕”が、
ここで初めて並びます。
次回、
ルーンブルク編・本格再開。
止まっていた時間が、
静かに動き出します。




