雪の寄宿舎と気高き少女(第1話)
冬の曇り空の下、アリアは冒険者ギルドの木製扉を押した。
中は暖炉の火が赤く、旅人たちの外套から溶けた雪の匂いが漂っている。
掲示板に貼られた依頼票の中に、一枚だけ目に止まるものがあった。
《依頼:寄宿舎〈白百合女学院〉の外壁修繕および夜間見回り》
《報酬:銀貨十枚+宿泊・食事提供》
「……女学院?」
首を傾げたアリアに、受付の女性が笑って声を掛けてきた。
「ちょうどよかった。あなたにお願いしたいんです」
アリアは依頼票を指で叩きながら問い返す。
「なぜ、私に?」
受付嬢は帳簿をめくり、少し誇張した口調で答えた。
「推挙者がいましてね。……A級冒険者エミリアさんです」
「……あの人」
アリアは額に手を当て、小さく溜め息をついた。
彼女とは過去の遠征で顔を合わせている。実力は折り紙つきだが、人に仕事を押しつける癖があるのも知っていた。
「曰く、『アリアなら剣も礼も心得ている。学院相手でも問題ない』と」
受付嬢はからかうように目を細める。
「女学院ですからね、ただの傭兵やならず者は門前払いでしょう?
礼儀を弁えた騎士様なら安心、とのことですよ」
「……礼儀、か」
アリアはしばらく考え、それから頷いた。
「わかった。受けよう。だがエミリアに会ったら一言は言っておく」
*
城下の西端、雪の丘を越えると、石造りの立派な寄宿舎が姿を現した。
尖塔と高い塀、白壁に百合の紋章。だが近づけば外壁の一部が崩れかけ、木製の門は雪に軋んでいる。
「確かに修繕が要るな」
アリアは腰の道具袋を確かめつつ、呼び鈴を鳴らした。
ほどなく扉が開き、厳しい顔の院長が現れる。
「あなたが……騎士殿か」
「アリアと申します。ギルドからの依頼を受け参りました」
「ふむ。外壁の補修と、夜間の巡回を頼む。……それと、寄宿生たちの行動に口出しは無用だ」
院長の背後で、何人かの少女が興味津々に覗いていた。
だが院長に睨まれると、蜘蛛の子を散らすように奥へ逃げていく。
アリアは苦笑しつつ頷いた。
(――口出し無用、か。そうはいかないこともあるだろうな)
*
学院内の一室に通される途中、アリアは廊下の隅で目を止めた。
一人の少女が床に膝をつき、重い薪を抱えている。
年は十二、三。金の髪をリボンで束ね、上品な顔立ちをしているのに、制服は古びてほつれていた。
「エリナ、早くしなさい!」
他の生徒が冷たく言い放ち、笑いながら去っていく。
少女――エリナは黙って薪を抱え直し、堂々と背筋を伸ばした。
目だけは、まっすぐだった。
アリアは思わず声を掛けた。
「その荷を持とう」
「……ありがとう。でも、これは私の役目ですから」
細い肩に似合わぬ重さを負いながらも、エリナは凛としていた。
気高さ――アリアは胸の奥でその言葉を思い浮かべた。
*
夜。修繕を終えた外壁の下で、アリアは巡回に立っていた。
寄宿舎の窓からは灯がもれ、少女たちの歌声がかすかに聞こえる。
ふと裏庭を見ると、冷たい空気の中でひとり佇む影。
エリナが、月を見上げていた。
「寒いだろう」
「……少しだけ、静かな場所が欲しかったの」
彼女の声は小さいが、澄んでいた。
「あなたは騎士様なの?」
「そう呼ばれている」
「なら、分かるかしら。誇りだけは、誰にも奪えないってこと」
雪の光に照らされたその横顔は、たしかに王女のようだった。
アリアは剣の柄に触れながら、静かに頷いた。
(――なるほど。エミリアが言った通りだ。ここには“守るべきもの”がある)
学院に冷たい風が吹き込む中、女騎士と気高き少女の物語が始まろうとしていた。
(第2話へ続く)




