勇者残党編その7 灰翼の砦・最深部《はいのこきゅう》
【一 砦の“底”へ】
砦の上階は静かだった。
死者はすべて浄化され、
廊下に残っているのは、砕けた石と古びた旗だけだ。
セリアが小さく息をつく。
「……だいぶ、軽くなりましたね。空気が」
「死臭が減っただけだ」
エリオットは素っ気なく応じる。
「本当に静かになるのは――
“縫い目”を見つけてからだ」
以蔵が壁を軽く叩いた。
「縫い目、言うたら……誰がこの砦を“繋ぎとめちゅう”か、ちゅう話かの」
「ああ」
エリオットが頷く。
「死者を縫う術式は、俺のものに似ているが違う。
もっと粗雑で、もっと暴力的で、
それでいて“砦ごと”縛っている」
リュドミラが斧を肩に担ぎ直した。
「じゃ、その“縫い目”をぶった斬れば終わりってわけだ」
「……乱暴だけど、理屈としては合ってます」
セリアの言葉に、リュドミラが笑う。
「でしょ?」
階段はさらに下へ続いている。
砦の中心ではなく、
“地面そのものの奥”へ潜っていく感覚。
湿った冷気。
土ではなく、灰の匂い。
セリアが眉を寄せた。
「……灰、ですね。燃えた……匂い」
「一度、徹底的に焼かれている」
エリオットの眼差しが細くなる。
「焼き払い、灰を集めて、そこに“何か”を植えた。
そんな気配だ」
「誰が……何のために?」
「それを知るために、歩いている」
【二 灰の間】
最下段の扉は、他の階層のそれとは違っていた。
金属ではなく、黒く焼けた木。
触れると、指先に灰がつく。
セリアは袖から護符を取り出す。
「開けます。
――“結界触診”」
護符が扉の前で縦に揺れ、
目に見えない膜をなぞるように滑った。
「……結界は、もう壊れかけています。
今なら触っても大丈夫」
エリオットが頷き、扉に手をかける。
軋み音とともに、
砦の“底”が口を開いた。
中は、ほとんど何もない空間だった。
床も壁も天井も、
すべて薄い灰で覆われている。
足を踏み入れると、
さらさらと音を立てて灰が揺れた。
「……焼いた後、掃除もしてない感じだね」
リュドミラが鼻を鳴らす。
「誰もここまで来ない。
だから掃除する者もいない」
エリオットは部屋の中心を見据えた。
そこに、ひとつ。
灰の中に沈んだ“台座”がある。
台座といっても、
石を積んだだけの簡素なもの。
だが、灰の層の下に、
わずかな黒い線が見えた。
「……魔導線路だ」
エリオットが膝をつき、灰を払う。
床の石板に刻まれた線が、
複雑に交差している。
セリアが隣にしゃがんだ。
「これ……アリアンロッドの地下で見た魔導線に、似てます」
「ああ。
“灰砂魔石”の周囲に刻まれていた線路と同系統だ」
エリオットは指先で線をなぞる。
「誰かが、この砦を“実験場”にしたんだろう」
「実験……?」
「死者の魂を縫い、
砦を一種の“器”にする実験だ」
以蔵が顎に手をやる。
「魂を砦に……?
なんちゅう趣味の悪いことを」
【三 灰の呼吸】
ふと、セリアが顔を上げた。
「……息づかいが、します」
「誰の?」
リュドミラが斧を握り直す。
「人ではない。
死者でもない。
砦そのものの“呼吸”です」
セリアは目を閉じ、護符をもう一枚開いた。
「――“魂聴”」
護符が灰の中に沈む。
灰の層の奥で、
かすかな光が瞬いた。
エリオットの目が細くなる。
「……いたな」
「誰です?」
「この砦に、死者を縫った術師だ。
もう肉体はない。
魂の残骸だけが、“灰の呼吸”に混ざって残っている」
空気が重くなる。
灰がふわりと舞い上がり、
人の顔とも獣ともつかない“形”をかすかに描いた。
声は出ない。
言葉も伝わってこない。
ただ――
“用途だけ”が、冷たい情報として流れ込んだ。
セリアが顔をしかめる。
「……この術師、“灰砂魔石”を求めていました。
砦に、それを埋め込もうとしていたみたいです」
「魔石そのものは?」
「見つからなかった。
あるいは、実験中に砦が滅んだ」
エリオットは台座を軽く叩いた。
「この線の刻み方……
アリアンロッド地下のものより古い。
おそらく“基礎設計”だ」
以蔵が口を開く。
「言うたらこれは……試作品の骨組み、ちゅうことかの」
「そうなるな」
リュドミラが肩をすくめる。
「じゃ、壊しちゃえば?」
「壊す前に、すべきことがある」
エリオットは掌を広げた。
黒紫の魔力が、
灰の層と台座の魔導線路をゆっくりと覆っていく。
【四 “誰か”への手紙】
「ちょっと静かにしていてくれ」
エリオットはそう言うと、
低く短い詠唱を始めた。
黒紫の光が魔導線の上を流れ、
そこに刻まれていた“術式”を読み替えていく。
「……エリオットさん?」
セリアが覗き込む。
「何をしているんですか?」
「返事を書いている」
「返事……?」
「ああ」
エリオットは淡々と言った。
「この砦に死者を縫った術師は、
“どこかに報告を送るつもりだった”。
魔導線路を通じて、
“灰砂魔石の実験結果”をね」
灰がわずかにざわめいた。
「しかし、砦は落ちた。
報告は中断された」
「だから、代わりに?」
「そういうことだ」
エリオットは口角をわずかに上げた。
「“灰翼の砦は失敗。
死者の魂は回収済み。
お前の術式は、粗悪で危険”。
そう書いてやる」
リュドミラが吹き出した。
「性格悪いね、アンタ」
「ほめ言葉として受け取っておく」
以蔵も笑いを漏らす。
「ええのう。
敵がどこにおるかもわからんうちに、“釣り針”投げよる」
エリオットは頷いた。
「――“釣る”必要があるからな」
台座の魔導線が、
黒紫から淡い灰色に変わっていく。
やがて、
灰そのものがほろほろと崩れ始めた。
【五 砦の終わり】
セリアの護符が、静かに鳴る。
「……呼吸が、止みました」
「砦を縫っていた術式を、切ったからな」
エリオットは立ち上がる。
「これで、“灰翼の砦”はただの廃墟だ。
死者もいない。
灰も、ただの灰になる」
リュドミラが斧を肩に担ぎ直した。
「じゃ、任務完了ってことでいい?」
「一つだけ、付け加えるなら」
エリオットは灰の床を見渡した。
「――ここはもう、“誰かに使わせない”。
それで充分だ」
以蔵が砦の天井を見上げる。
「さて……ルーンに、何て報告しよかの」
セリアが微笑む。
「“灰の砦の掃除、完了しました”でいいのでは」
「そうですね」
エリオットもかすかに笑う。
「それに加えて、
“針を一本、深く刺しておいた”とも伝えておこう」
リュドミラが首を傾げた。
「その針に、誰が食いつくんだろうね」
「それは――」
エリオットは肩をすくめる。
「次の仕事のときにわかるさ」
階段の上から、風が吹き込んだ。
灰がさらさらと舞い上がり、
部屋の中を一周してから静かに落ちる。
今度こそ、それはただの灰だった。
【六 砦を後に】
砦を出るとき、
空はもう夕暮れに傾き始めていた。
外の空気は冷たいが、
砦の中よりはずっと“生きた匂い”がする。
リュドミラが背伸びをする。
「はー……終わった終わった。
さっさと戻って酒飲みたい」
「私も、エリオットさんのお茶が飲みたいです」
セリアの言葉に、以蔵が笑う。
「茶と酒、どっちも用意してもらわにゃいかんな」
エリオットは砦を一度、振り返った。
「……勇者残党の件は、
ここでいったん区切りだな」
「本当に、区切れたんですか?」
セリアの問いに、エリオットは少しだけ沈黙した。
「あくまで“こっち側”では、だ」
「向こう側――人間たちの国では?」
「おそらく騒ぎになる。
天城たちのような“死にぞこない”が漂着すれば、
どこかの誰かが利用する」
リュドミラが肩をすくめる。
「でも、そこはもう、うちらの守備範囲じゃないでしょ?」
「そうだな」
エリオットは踵を返した。
「俺たちが守るのは――
アリアンロッドと、その周辺だ」
以蔵が後に続く。
「ほんなら戻ろうや。
ルーンも紫怨も、気を張り詰めちょったき――
顔見せてやらんと」
セリアが頷く。
「はい。
きっと、ルーンさんも“ほっとした顔”になります」
空は、緩やかに紅く染まりつつある。
灰翼の砦は、
夕日に照らされながら、ゆっくりと影を伸ばしていく。
かつて死者の呼吸で満たされていたその影は、
今はただの“廃墟の影”に戻っていた。
こうして――
“勇者残党”と“灰翼の砦”をめぐる一連の騒動は、
アリアンロッド側から見ればひとつの区切りを迎える。
だが、エリオットが台座に刻み直した“針”は、
確かにどこかへ向けて打ち込まれていた。
その先で、誰がそれを受け取るのか。
それは、もう少し先の話になる。
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【あとがき的なひとこと】
・天城/内海/斉藤の“勇者残党”は、
いったん「人間側の城塞国家アレクゼオン」へ飛ばされました。
・アリアンロッド側では
「ルーンの子たちを傷つけた存在へのケリ」
「灰翼の砦に仕込まれていた“灰砂魔石系の術式”の削除」
を完了した形になります。
・同時にエリオットが「魔導線経由の“返事”」を送ったので、
今後どこかで“灰砂魔石”やそれを使おうとしている勢力と
正面からぶつかる“次のフック”にもなります。




