勇者復讐編 第1話 〈潜入者、影を踏むもの〉
夜のアリアンロッドは、他国の城下とはまるで違う。
鐘は鳴らない。警笛もない。
代わりに――“風鈴”のような音がする。
ルーンがテイムしたフクロウたちが、各区画を旋回しながら低音の囀りを落とす。
それが「異常なし」「影一つ発見」など、彼らとルーンの間で交わされる無音の合図になっていた。
「……また来たんだね」
ルーンは長い黒髪を後ろでまとめ、静かに片耳へ触れた。
フクロウ――“ソラビト”の視界が重なる。
見えてきたのは、街の端、セレスティアブルクの北側。月光の反射だけが歩みを照らす細い通路。
そこに三つの影。
剣を背負う男。手に槍。もう一つは光魔法の余燼。
敵だ。
しかも――“あの勇者ども”。
胸の奥が、微かに冷える音がした。
「……見つけた」
ルーンが呟くと、背後で二つの影が同時に動いた。
「侵入者ッスか?」
「どこ!? どこですかルーンさん!」
トットとバディだ。
トットは進化して人型に近付いたゴブリン、バディは名付けにより魔獣級になった犬。
どちらも、ルーンの“護衛の片翼”である。
「セレスティアブルク北側の水路沿い。三人。まだ増えるかもしれない」
「……また来やがったっスね、あの勇者風情が」
トットが舌打ちし、闇魔術の光が掌で漂った。
ルーンは手を上げ、制した。
「待って。まだ“正式な排除”はしない。
……まず、確認だけ」
言いながら、胸の奥にわずかな緊張が走る。
彼ら――天城たちの“悪夢”は、ルーン自身に通じるものがあった。
かつて自分も、村で弾かれ、焼かれ、縛られた者だった。
だから。
見過ごせない。
そして――救う必要は、ない。
「ティア、来て」
声を投げると、空間がひらりと揺れ、
桜色の煙と共にサキュバスが姿を現した。
「はいはーい、ルーン。呼ばれたから飛んできたよ♪
……で、あのクズどもでしょ?」
「うん。なお、今回は“非致死”。
でもほぼ戦闘不能まで追い込む。
エリオットが後処理をするから」
「了解〜♥ 久しぶりに暴れられるねぇ」
ティアが指をならす。
その背後から、二つの獣影。
「ルーン様、出撃するのか」
リカルゾ(元リカント)
そしてダロッゾ(元ミノタウロス)。
どちらも進化と鍛錬で、いまや小隊級戦力だ。
「うん。吸血騎士団も合流してくれるみたい」
その言葉に、闇から三名の影が歩み寄る。
「アリュシア、第七小隊、参上しました」
「対象は人間。捕縛優先か?」
「殺すなと言われると逆に緊張するな……」
吸血騎士団。
セレスティアブルクの名を冠する精鋭だ。
「……エリオットの到着を待って、挟撃する」
ルーンが短く告げると――
空気が震えた。
「遅れた。……状況は?」
白い髪を揺らし、長身の男が歩いてくる。
エリオット。
その後ろに、蒼銀の髪のセリア、赤髪のリュドミラ、そして霊体の以蔵。
「ちょうど揃ったところよ。あとは――」
ルーンが言いかけた瞬間、フクロウの視界が強く揺れた。
「ソラビトが反応した。五名に増えた。……天城がいる!」
その名を聞いた瞬間、
トットでさえ感情をむき出しにした。
「ッ……あのデカブツ……紫怨さんにあんなことした連中ッスよね……!」
ルーンは静かに頷いた。
ほんの少しだけ、胸の奥の古傷が疼く。
「これは――あたしたちの戦いだよ」
そして一行は夜空の下へ駆け出した。
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◆1 影を踏む足音
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セレスティアブルク北側。
吸血鬼たちが住まう石造りの街は、夜になると青みを帯びていた。
その静寂の中、侵入者の息遣いは異様に浮いていた。
「おい、ワーデンリッツ。
この街、前より明かり増えてねぇか?」
「魔族が増えたせいだろ。気にするな。
天城さんの“復讐”に協力するだけだ」
「復讐……? ただの鬱憤晴らしじゃん……」
「レイナ、黙れ」
そのときだった。
バサッ――
真横の屋根に、巨大な翼。
フクロウ。
ただの鳥ではないと、誰もが感じた。
「な……なんだよ、あれ……」
「見てる……俺らを……?」
天城だけが、微かに舌打ちした。
「チッ……あの時もいたよな……
あの森で……」
と、その瞬間。
影が落ちた。
「逃げないでね?」
ティアが、彼らの背後に立っていた。
「サキュバス……!」
「うぉっ……!」
混乱の隙を、トットの短剣が地面へ突き立つ。
闇魔術が一帯を塗り潰す。
そして――
リカルゾの拳がワーデンリッツの槍をへし折り、
ダロッゾの蹴りが内海の腹を吹き飛ばし、
アリュシア隊の三人が同時にレイナと老ゲイルを制圧。
わずか十拍。
戦闘は――ほぼ終わった。
「……天城」
ルーンが前に出る。
天城は、初めて“本能で”後ずさった。
アリアンロッドの空気が、自分を包囲しているように感じたのだ。
「なんだよ……お前ら……!」
「あなたは紫怨を――中村を――
そして他の子たちを殺しかけた。
だからこれは“処理”だよ」
ルーンの手が静かに上がる。
「エリオット、お願い」
「了解」
エリオットの足元に魔法陣が広がる。
天城は叫ぶ。
「やめろッ!!
俺は勇者だ!
人間の味方だ!
魔族なんかの、言いなりになるかよ!」
叫びながら斬りかかる――
が、その刃はすでにリュドミラが叩き落としていた。
「“勇者”ね。
はぁ? あたいの国なら、そんな言葉、酒のつまみにもならないよ」
「……終わりよ、天城さん」
セリアが囁く。
そして――エリオットの術が完成する。
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◆2 霊核拘束
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「魂よ。過去の罪を、形のまま残せ」
エリオットの声と共に、鎖のような光が天城の胸へ食い込んだ。
天城の目が真白に開く。
「ッッ……!? ぐ、あ……ああああ……!」
「大丈夫。まだ死なないよ」
ルーンが冷静に言う。
その声が、かつての“自分”に向けていた言葉にも似ていた。
内海、斉藤、エイルバッハ、ワーデンリッツ、レイナ、老ゲイル。
全員が同じ術式で捕縛され、魂核を露わにされる。
「エリオット……まだ、殺さないで」
「わかってる。ここから“堕ちる”のを待つだけだ」
すべての苦痛と恐怖が限界に達したとき――
魂核が反転し、彼らはゾンビ化した。
“壊れた魂”の形として。
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◆3 ティアの転送
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ティアが指を鳴らす。
「夢路帰還門――開帳♥」
黒い歪みが生まれ、
そこから人間の街並みが見えた。
「そこに戻りな。“人間の世界”にね」
天城のゾンビ体が門の中へ投げ込まれる。
「うお……ぁ……あああ……!」
次々と残党も吸い込まれていく。
エリオットは最後に小さく呟いた。
「……これで、ようやく中村は“返せる”」
霊体の以蔵が頷く。
「ほんなら、これで“借り”は終わりじゃ」
門は閉じた。
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◆4 紫怨とルーン
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紫怨はずっと黙って見ていた。
深い闇の奥に、怒りとも哀れみともつかぬ色を隠しながら。
「……紫怨」
「……ありがとう。
俺は、お前が怒ったのを、見たくなかった」
「怒ったよ。
でもね、手は出さなかった。
だって――これは“あなたの物語”じゃないから」
「そうだな……
これは“ルーンの怒り”だった」
二人の間に、風が通った。
それは過去を弔い、未来を開く風だった。
「よし……帰ろう。
長い夜だったね」
「ああ。
でも、終わった」




