リリスブルクに行ってみた編:その2 霧の寺院の朝
霧が白い布のように森を流れていた。
夜明け前の冷気は鋭く、だがどこか澄みきっていて──胸の内側が静かになる。
獣道を抜け、石畳が現れた頃には、空はうっすらと藍色に染まり始めていた。
霧の向こうに、古い寺院が姿を見せる。
**流禅寺**──
リリスブルクの中心にあり、心を整える“心ば(こころば)”たちが住む場。
「……すご……」
ミャラが尾をゆらし、息をのむ。
境内にはすでに何人もの影がいた。
ミリーナが箒を片手に掃除をしており、
ヒーミッドは大壺を肩に担いで水場へ向かっている。
そしてその奥──
にっこり笑う女性と、妙にぎこちない姿勢の男が並んでいた。
「……ユリエ?」
フェルナが目を丸くする。
古代勇者ユリエは、なぜか微妙に硬直した顔で手を振った。
「お、おはよう……! り、りりすの国の朝は……よい……ね……!」
その横で、ヒーミッドが小声で
「もっと自然に笑えや」
と言っているのが聞こえる。
以蔵が鼻で笑った。
「勇者の笑顔がぎこちないとは、珍しいのう」
「だ、だまれ以蔵!」
一方、道場の前では──
ヨーデル、リマ、マキシ、そしてカテリーナが並び、
太極拳のゆるやかな型をとっていた。
霧の中で流れるように動くその姿は、どこか幻想的だった。
「カテリーナ……? 太極拳……?」
シルが目をぱちぱちさせる。
「あ、あはは……リリス様に教わって……」
カテリーナは恥ずかしそうに笑う。
だがマキシは、やけに真剣な顔でポーズを決めていた。
さらに、境内の片隅では──
元リカントの男・リカルゾが大木に向かって拳を打ち込み、
元ミノタウロスの巨躯・ダロッゾが、両手を合わせて瞑想をしていた。
「……すごいところに来たにゃあ……」
ミャラは目を輝かせた。
◆
そんな賑やかな場の中央。
太い柱の近くに、三人の僧が立っていた。
剃髪で大柄な男──豪善。
細身で、目だけはやけに澄んだ円真。
白髪で静かな雰囲気の青年──宗蓮。
三人はこの寺院の“心ば”、
すなわち 心と場を整える役 の者たちだ。
「おはようさん、みんな。」
豪善が深い声で挨拶する。
円真が手を挙げ、笑顔で言った。
「お、来客やんけ! みんなアリアンロッドの子らやろ?
よう来たなぁ、歓迎するで!」
関西訛りの柔らかい声に、ミャラがぴくりと耳を動かす。
「ひとまず、座っていき。朝の稽古は誰でも参加できるで?」
「……太極拳、気になるにゃ……」
その時──
宗蓮がふと横を向き、静かに頭を下げた。
「……大将」
その呼び名で、周囲がざわりとする。
霧の奥から、ゆっくりと歩いてくる影。
薄紫の着物。
柔らかい微笑。
揺れる髪。
リリスが姿を現した。
「おはよう。朝霧、気持ちいいね」
軽く手を振ると、円真が言った。
「大将、おはようさん! 調子はどないやねん?」
「んー? まあ普通だよ、円真。昨日ちょっと飲みすぎただけ」
豪善が笑い、宗蓮が何か言おうとしたその時──
「大将、あちらに来客が……」
「うん、見えてるよ。フェルナたちでしょ?」
リリスはにこりと笑って、こちらへ向けて手を挙げた。
「フェルナ、シル、ミャラ。それに……以蔵とヨハネスまで。
ようこそ、リリスブルクへ。」
ミャラは尻尾をふりふりしながら、もう興奮を抑えられない。
「リリス様! あの花火、めっちゃきれいだったにゃ!
行ってみたいって思ったんだにゃ!」
「ふふ……そう言ってもらえると、嬉しいな」
リリスが優しく答える。
「今日は特別に、朝稽古も、寺院の中も、ぜんぶ見せてあげるよ。
ゆっくりしていってね。」
霧がゆっくりと晴れていく。
太極拳の型が、朝日を受けて流れる。
遠くで寺の鐘がひとつ、柔らかく鳴った。
リリスブルクの一日が、静かに始まった。




