地下遺跡調査隊 編 第26階層 ― 幻視の間(前篇)
――光だった。
足元から頭上まで、あらゆる方向に白い光が満ちている。
視界がぼやけ、上下の感覚が失われる。
転移碑をくぐった瞬間、フェルナたちはその光の中に投げ出された。
「みんな、無事?」
フェルナの声が遠くで響く。
「問題なし。……たぶんな」
ヨハネスが応じるが、声がどこか反響している。
まるで自分の喉の奥で返ってきたような不自然さ。
「足場、あるにゃ」
ミャラが小さく床を叩く。透明な素材。
だが足を踏み出すと、波紋が広がる。液体のようでもあり、固体のようでもある。
「これ……空間そのものが“映像”かも」
フェルナは瞳を細めた。
「幻視層。古代遺跡の中でも、記憶情報を保存する領域に多いわ」
「記憶……?」
ハルドが眉をひそめる。
「じゃあ、誰かの夢の中にでもいるってことか」
「夢というより、“記録”ね」
フェルナは慎重に杖を構えた。
「視るだけなら無害。でも、干渉されると厄介よ」
彼女の声が終わる前に、霧のような光が形を取った。
人影だ。
輪郭は淡く、服装は見たこともない古代の衣。
何人もの男女が歩いている。笑い声、足音。
音がないのに、確かに“音の記憶”だけが流れてくる。
「これは……昔の、この遺跡の住人?」
シルの声もかすかに震えていた。
「はい。千年前、あるいはもっと前かも。彼らが暮らしていたときの記憶が、空間に残ってるのね」
ミャラが尻尾を揺らす。
「にゃ、なんか温かい……懐かしい匂いがするにゃ」
その瞬間、フェルナの胸に不意に冷たいものが走った。
――遺跡が、心を覗いている。
「みんな、気をつけて。見えるもの全部が真実とは限らない!」
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Ⅰ 錯覚の回廊
彼女たちは歩き出した。
だが、五歩も進まぬうちに、景色が変わった。
白光が消え、代わりに淡い緑の森。
鳥のさえずり、遠くの鐘の音。
見覚えがある――アリアンロッドの郊外、開拓区の風景。
「……嘘でしょ」
フェルナが息を呑む。
ミャラはすでに駆け出していた。
「にゃっ、この場所……あたしの村だ!」
「待て、ミャラ!」
ハルドが呼ぶが、声は届かない。
彼女は幻の中へ消えていった。
フェルナは即座に詠唱に入る。
「〈精神紐帯・アンカーリンク〉、発動――!」
空中に淡い糸が走る。ミャラの意識に繋ぎ止める精神の錨。
フェルナの視界に、ミャラの見ている“幻”が流れ込む。
そこには、幼いミャラがいた。
木造の家、焚き火、笑う仲間。
「おかえり、ミャラ」
幻の母親が微笑む。
フェルナは小さく首を振る。
「……違う。もういない人たちを見せてるのね」
ミャラは泣きながらその幻にすがりつこうとしていた。
フェルナは糸を強く引いた。
「戻って!」
空間が裂ける。
幻の森が粉々に砕け、再び白い光の空間に戻った。
ミャラはフェルナの腕の中で震えていた。
「にゃ……夢、だったの……」
「夢じゃない。記憶よ。でも、それはあの子たちの記録。あなたのじゃない」
フェルナはそっと頭を撫でた。
「あなたが今ここにいる。それだけで十分」
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Ⅱ 過去の影
一方、ヨハネスは別の光景を見ていた。
灰色の大地、崩れた塔。
剣を持つ男の姿が、砂塵の向こうに見える。
「……お前は」
その男は、かつての戦友だった。
すでに亡くなったはずの剣士、グラディウス。
「まだ戦っているのか、ヨハネス」
声が届く。現実の音ではない。頭の中に響く声。
「この剣で何を守る?」
ヨハネスは答えなかった。
ただ静かに剣を抜く。
幻の剣士も同じ動作をした。
刃が交わる――その瞬間、光が弾ける。
フェルナの視界にヨハネスの名がちらつく。
彼も干渉を受けている。
「シル、ハルド、支援を!」
「了解!」
シルが光の矢を放ち、ハルドが彼を押し戻す。
幻の戦場が割れ、ヨハネスはようやく息をついた。
「……あれは、俺の……」
「幻です」
フェルナがはっきり言う。
「遺跡は“心に映る記憶”を具現化して、ここにいる者を試している」
「試してる……?」
「そう。自分が何者であるかを問う層なのよ」
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Ⅲ 心影の声
霧が濃くなった。
さっきまで見えていた仲間の姿が、ひとり、またひとりと薄れていく。
フェルナだけが取り残される。
白い床が消え、足元に深い闇が広がった。
その闇の中から、声がした。
――なぜ、目覚めさせようとする。
フェルナは思わず振り返る。
誰もいない。
声は頭の内側に直接響く。
「あなたは……誰?」
――記録。
――記憶。
――眠るもの。
断片的な言葉が重なり、やがて一つの意味を成す。
――眠るものを、起こすな。
フェルナの胸にぞくりと冷たいものが走った。
遺跡そのものが“意志”を持っている。
ただの古代機構ではない。ここには、何かが眠っている。
光が消えた。
闇だけが残る。
その闇の中で、フェルナは確かに感じた。
遠い昔、この場所で“誰かが死を選んだ”気配を。
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Ⅳ 再会
「フェルナ!」
誰かの声。
光が戻り、現実の空間が再構築される。
ヨハネスとハルドが駆け寄ってきた。
「大丈夫か?」
フェルナは軽く頷く。
「ええ……少し、見せられただけ」
グレイが肩越しに問う。
「何を見た?」
フェルナは答えなかった。
けれど、胸の奥でまだその声が反響している。
――眠るものを、起こすな。
「……この階層は、記録層。
でも“何を記録しているか”までは、まだわからない」
「その答えは、次の階層ってわけだな」
ヨハネスが静かに剣を納める。
フェルナは深呼吸し、前を向いた。
「ええ。行きましょう。
――幻が本物になる前に」
光の道が開く。
彼らはその先へと歩みを進めた。
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→次回:「第26階層 ― 幻視の間(後篇)」
幻視層の核心に眠る“古代の記録炉”が目覚め、
フェルナたちは“記録を守る存在”と対峙する。




