- ヴェマ遺跡調査編- 第4話 ― 宝石の正体
石扉の隙間から洩れる光に、三人の息が呑まれた。
ミルダは目を輝かせ、ノートを抱きしめる。
「これこそ――伝説の宝石! 恋人たちを結ぶ“真紅の石”!」
アリアは慎重に扉を押し開ける。
内部は広い石室。壁面には古代文字、中央の祭壇に赤い輝きが鎮座していた。
「おお……でけえ……」
ロッドが口を開けたままつぶやく。
宝石は人の拳ほどもあり、柔らかな光を放っている。
「書物の通りです! これで小説が……!」
ミルダは祭壇に駆け寄ろうとしたが、アリアが手を伸ばして制した。
「待て。……仕掛けの匂いがする」
祭壇の床を短槍で軽く叩くと、コツンと不自然な響き。
「空洞。触れば、何かが作動する可能性が高い」
「な、なんて慎重なんですか」
ミルダは足を止め、不満げに唇を尖らせる。
ロッドは拳を握りしめる。「なら俺が――」
「やめてください」
アリアの一言で沈黙した。
*
そのとき、石室に甲高い笑い声が響いた。
「ひゃーっはっは! やっぱりあったか!」
羽根帽子の男、ボルガン。洞窟の入口から、泥と血にまみれた盗賊たちがなだれ込んでくる。
先頭には、しなった鞭を握る女モーラ。その影に紛れるように、細身の男キリルがナイフを何本も指の間に挟んでいた。
アリアは反射的に一歩前へ出る。
槍の柄を握る手に、さっき別の魔物を貫いた感触と、こびりついた血のぬめりが残っている。
「こいつは俺たちが頂く! どけ、ガキども!」
ボルガンが叫び、モーラが鞭を振り上げた。皮のしなる音が、石壁に刺さるように響く。
ロッドが剣を抜き、アリアの横に並ぶ。
ミルダは石碑の陰へ身を伏せ、震える手でノートを抱きしめていた。
「……また来ましたか」
アリアは槍を構え直した。
ここで退いたら、祭壇ごと踏み潰される。
そして――奪われる。
「アリア、下がってろ」
「いいえ。前に出ます」
言い終わるより早く、キリルの指からナイフが放たれた。
「死ねや、英雄気取り!」
閃く刃。
アリアは床の瓦礫を足先で強く蹴り上げた。
砕けた石片が弾丸のように舞い上がり、一本がナイフの軌道をかすめる。
金属同士がぶつかる高音。
それでも残り二本が、アリアの肩とロッドの脇をかすめた。
「くっ……!」
熱いものが走る。
布が裂け、皮膚に焼けた鉄を押し付けられたような痛みが広がる。
「アリア!」
ロッドが短く叫ぶ。その声をかき消すように、モーラの鞭が唸った。
「こっち向きな、小娘!」
鞭の先端が蛇のようにうねり、アリアの顔を狙う。
アリアは槍の石突側を素早く振り上げた。
木と革がぶつかり、火花のような音が鳴る。
鞭が石突に絡みついた、その一瞬。
アリアは全体重を後ろへ引いた。
「なっ――」
モーラの腕が引き込まれる。
バランスを崩した女の喉元へ、アリアは反射で槍先を突き出しかけた。
寸前で、歯を食いしばる。
槍先をわずかに下へずらし、モーラの左肩を貫いた。
「ぎゃああッ!」
肉を裂く鈍い感触。手に、骨をかすめた手応え。
温かい血が槍を伝って、アリアの手の甲にぬるりと流れ込む。
モーラはその場に膝をつき、鞭を取り落とした。
「モーラ!」
ボルガンが怒号を上げる。
その背後からロッドが突っ込んだ。
「こっちだ、デカブツ!」
剣と戦棍がぶつかり合う。
鉄と鉄がきしみ、腕が痺れる。ロッドは歯を剥き出しにし、ボルガンは片足で踏み込みながら肩を押し込んだ。
「おらぁ!」
「ぬおおっ!」
どちらか一歩でも足を滑らせれば、その瞬間に喉を裂かれる距離だ。
泥試合に見えて、その実、一手の遅れが死につながる。
ロッドの頬を、ボルガンのナイフが浅く裂いた。
赤い筋が走り、汗と血が混じる。ロッドは痛みに顔を歪めながら、ボルガンの膝めがけて蹴りを叩き込んだ。
「ぐっ……!」
ボルガンの膝がわずかに折れる。
その隙を狙ってロッドが剣を振り上げ――
横合いから別の盗賊の棍棒が飛び込んだ。
「ロッド!」
アリアは咄嗟に駆け出す。
槍を水平に構え、棍棒の根元を叩き上げた。
骨に響くような衝撃。棍棒が軌道を変え、石壁へめり込む。
反動で盗賊の腕がぶるりと震えた。
その胸元へ、アリアは迷う暇もなく槍を突き込む。
刃が鎖帷子を割り、肉を裂いた。
盗賊が目を見開き、喉の奥から泡混じりの息を吐く。
「――っ!」
アリアは一瞬だけ目を閉じる。
引き抜いた槍先から、どろりとした重さが消えていく。
石室の中に、血の匂いが濃くなった。
「石に触らないで!!」
その時、石碑の陰からミルダの叫びが飛んだ。
声が裏返って、裂けるように響く。
「それは――!」
彼女の視線は、ロッドとボルガンの頭上――祭壇の中央に据えられた宝石へ向かっている。
ボルガンが唇を歪めた。
「こうなりゃ、何でもいい! 売れるもんは全部――」
戦棍の柄が、宝石の台座をかすめた瞬間だった。
祭壇の宝石が、ふっと脈打つように光を増した。
今まで冷たく沈んでいた石が、内側から白く、青く、赤く、様々な色を混ぜた光を漏らす。
壁に刻まれた古代文字がひとつひとつ目を覚ますように淡く輝き、石室全体に、不自然な風が吹き抜けた。
「な、なんだ……!?」
盗賊も冒険者も、すべてが一瞬動きを止める。
血と汗にまみれた空気が、急に澄んだ水の中に放り込まれたように変わった。
アリアは胸の奥で、ぞわりと何かが這い上がるのを感じながら、浮かぶ文字を凝視した。
古い言葉。
だが、彼女には読める。
「……『契りを結ぶ者に石を。奪う者には――砂を』」
言葉を読み上げた瞬間。
床のあちこちから、轟音とともに砂が噴き出した。
「うわっ……!」
石畳の隙間が裂け、そこから大量の砂が柱のように吹き上がる。
砂はただの粒ではなかった。生き物のようにうねり、渦を巻き、狙っているかのように盗賊たちの足元へ集中する。
「足が……! 沈む!?」
「やめろ、離せ、この砂――!」
ボルガンが戦棍を振り回すが、砂は刃をすり抜けて絡みついた。
足首から脛、膝へと一気に絡みつき、彼らの体を出口の方へ押し流していく。
砂粒が目と鼻に入り、悲鳴が上がる。
「ぎゃあああっ! 目が、目がああ!」
「砂だらけだあああ!」
「やめ……っ、うあああっ!」
ロッドも一瞬巻き込まれかけたが、アリアが腕を引いた。
彼の脛まで迫った砂流は、アリアとロッドの体がぶつかって転んだ拍子に、ぎりぎりのところで逸れていく。
砂の奔流は、盗賊たちだけを選び取っていた。
血の匂いでも、武器でもなく――「奪う」意志を持った者を、見分けているかのように。
砂の渦は出口まで彼らを押し流し、そのまま外へ吐き出した。
転がるように洞窟の外へ吹き飛ばされた盗賊たちの叫び声が、遠くへ遠くへ小さくなっていく。
石室の中に、急速な静寂が戻った。
床に残った砂は、少しの間だけ波のように揺れ、やがて静かに沈んでいく。
まるで、何事もなかったかのように。
祭壇の上の宝石はなおも光っていた。
しかし、さっきまでの刺すような輝きではない。
包み込むような、柔らかい温かさを帯びた光だった。
ロッドが荒い息を吐きながら、剣の切っ先を床に突き立てた。
「……くそっ、死ぬかと思った……」
アリアも肩で息をしながら、血のにじむ手で槍を支える。
さっき突き刺した盗賊が、床の端でかすかにうめき声を上げた。
致命傷ではない。だが、もう立ち上がれる状態でもない。
ミルダが震える足で祭壇に近づいた。
「これは……ただの“財宝”じゃ、ないですよね……?」
声も震えていた。
目は、しかし宝石から離せない。
アリアは短く頷く。
「……奪い合うための石じゃない。人と人の誓いを、見ていた石」
槍の石突で床をそっと叩く。
合図のように、残っていた砂がすうっと引いていく。
「古代部族の“契りの石”。ここで、誰かが約束を交わしてきた。
さっきの砂は、その約束を汚そうとする手を……払いのけただけです」
ミルダはノートをぎゅっと握りしめた。
「……恋人の宝、なんて軽く書くところでした。
違うんですね。これは……逃げ場のない世界で、人を結ぶための宝……」
彼女の瞳には、まだ恐怖の名残と、それでも消えない興奮が宿っていた。
「小説に……書き直します。
“奪う宝”じゃなく、“人を結ぶ宝”として」
ロッドは頭をがしがしと掻き、口を尖らせる。
「おいおい、そんな立派な石なら、俺の出番もしっかり書いとけよな?
命懸けで泥まみれになった護衛役、ってやつでよ」
ミルダは思わず吹き出し、すぐに真顔に戻って頷いた。
「もちろんです。泥だらけの勇敢な護衛役、って」
ロッドは妙に誇らしげに胸を張り、その拍子に脇腹の傷が痛んだのか「いってぇ」と呻いた。
アリアは静かに息を吐いた。
(――奪おうとした者は砂に飲まれ、守ろうとした者だけが残った)
まだ手は震えている。
槍を握る指に、血と砂の感触がこびりついたままだ。
それでも――石室に残ったこの静けさは、さっきまでの「死にかけた沈黙」とは違う。
寄るべき場所に、何かがきちんと戻った後の、静けさだ。
(第5話「別れと旅立ち」へ続く)




