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女騎士の独り旅!  作者: 和泉發仙


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- ヴェマ遺跡調査編- 第4話 ― 宝石の正体



石扉の隙間から洩れる光に、三人の息が呑まれた。

ミルダは目を輝かせ、ノートを抱きしめる。

「これこそ――伝説の宝石! 恋人たちを結ぶ“真紅の石”!」


アリアは慎重に扉を押し開ける。

内部は広い石室。壁面には古代文字、中央の祭壇に赤い輝きが鎮座していた。


「おお……でけえ……」

ロッドが口を開けたままつぶやく。

宝石は人の拳ほどもあり、柔らかな光を放っている。


「書物の通りです! これで小説が……!」

ミルダは祭壇に駆け寄ろうとしたが、アリアが手を伸ばして制した。

「待て。……仕掛けの匂いがする」


祭壇の床を短槍で軽く叩くと、コツンと不自然な響き。

「空洞。触れば、何かが作動する可能性が高い」


「な、なんて慎重なんですか」

ミルダは足を止め、不満げに唇を尖らせる。

ロッドは拳を握りしめる。「なら俺が――」

「やめてください」

アリアの一言で沈黙した。



そのとき、石室に甲高い笑い声が響いた。


「ひゃーっはっは! やっぱりあったか!」


 羽根帽子の男、ボルガン。洞窟の入口から、泥と血にまみれた盗賊たちがなだれ込んでくる。

 先頭には、しなった鞭を握る女モーラ。その影に紛れるように、細身の男キリルがナイフを何本も指の間に挟んでいた。


 アリアは反射的に一歩前へ出る。

 槍の柄を握る手に、さっき別の魔物を貫いた感触と、こびりついた血のぬめりが残っている。


「こいつは俺たちが頂く! どけ、ガキども!」


 ボルガンが叫び、モーラが鞭を振り上げた。皮のしなる音が、石壁に刺さるように響く。


 ロッドが剣を抜き、アリアの横に並ぶ。

 ミルダは石碑の陰へ身を伏せ、震える手でノートを抱きしめていた。


「……また来ましたか」


 アリアは槍を構え直した。

 ここで退いたら、祭壇ごと踏み潰される。

 そして――奪われる。


「アリア、下がってろ」

「いいえ。前に出ます」


 言い終わるより早く、キリルの指からナイフが放たれた。


「死ねや、英雄気取り!」


 閃く刃。

 アリアは床の瓦礫を足先で強く蹴り上げた。

 砕けた石片が弾丸のように舞い上がり、一本がナイフの軌道をかすめる。


 金属同士がぶつかる高音。

 それでも残り二本が、アリアの肩とロッドの脇をかすめた。


「くっ……!」


 熱いものが走る。

 布が裂け、皮膚に焼けた鉄を押し付けられたような痛みが広がる。


「アリア!」


 ロッドが短く叫ぶ。その声をかき消すように、モーラの鞭が唸った。


「こっち向きな、小娘!」


 鞭の先端が蛇のようにうねり、アリアの顔を狙う。

 アリアは槍の石突側を素早く振り上げた。

 木と革がぶつかり、火花のような音が鳴る。


 鞭が石突に絡みついた、その一瞬。

 アリアは全体重を後ろへ引いた。


「なっ――」


 モーラの腕が引き込まれる。

 バランスを崩した女の喉元へ、アリアは反射で槍先を突き出しかけた。


 寸前で、歯を食いしばる。

 槍先をわずかに下へずらし、モーラの左肩を貫いた。


「ぎゃああッ!」


 肉を裂く鈍い感触。手に、骨をかすめた手応え。

 温かい血が槍を伝って、アリアの手の甲にぬるりと流れ込む。


 モーラはその場に膝をつき、鞭を取り落とした。


「モーラ!」


 ボルガンが怒号を上げる。

 その背後からロッドが突っ込んだ。


「こっちだ、デカブツ!」


 剣と戦棍がぶつかり合う。

 鉄と鉄がきしみ、腕が痺れる。ロッドは歯を剥き出しにし、ボルガンは片足で踏み込みながら肩を押し込んだ。


「おらぁ!」

「ぬおおっ!」


 どちらか一歩でも足を滑らせれば、その瞬間に喉を裂かれる距離だ。

 泥試合に見えて、その実、一手の遅れが死につながる。


 ロッドの頬を、ボルガンのナイフが浅く裂いた。

 赤い筋が走り、汗と血が混じる。ロッドは痛みに顔を歪めながら、ボルガンの膝めがけて蹴りを叩き込んだ。


「ぐっ……!」


 ボルガンの膝がわずかに折れる。

 その隙を狙ってロッドが剣を振り上げ――


 横合いから別の盗賊の棍棒が飛び込んだ。


「ロッド!」


 アリアは咄嗟に駆け出す。

 槍を水平に構え、棍棒の根元を叩き上げた。

 骨に響くような衝撃。棍棒が軌道を変え、石壁へめり込む。


 反動で盗賊の腕がぶるりと震えた。

 その胸元へ、アリアは迷う暇もなく槍を突き込む。


 刃が鎖帷子を割り、肉を裂いた。

 盗賊が目を見開き、喉の奥から泡混じりの息を吐く。


「――っ!」


 アリアは一瞬だけ目を閉じる。

 引き抜いた槍先から、どろりとした重さが消えていく。


 石室の中に、血の匂いが濃くなった。


「石に触らないで!!」


 その時、石碑の陰からミルダの叫びが飛んだ。

 声が裏返って、裂けるように響く。


「それは――!」


 彼女の視線は、ロッドとボルガンの頭上――祭壇の中央に据えられた宝石へ向かっている。


 ボルガンが唇を歪めた。


「こうなりゃ、何でもいい! 売れるもんは全部――」


 戦棍の柄が、宝石の台座をかすめた瞬間だった。


 祭壇の宝石が、ふっと脈打つように光を増した。


 今まで冷たく沈んでいた石が、内側から白く、青く、赤く、様々な色を混ぜた光を漏らす。

 壁に刻まれた古代文字がひとつひとつ目を覚ますように淡く輝き、石室全体に、不自然な風が吹き抜けた。


「な、なんだ……!?」


 盗賊も冒険者も、すべてが一瞬動きを止める。

 血と汗にまみれた空気が、急に澄んだ水の中に放り込まれたように変わった。


 アリアは胸の奥で、ぞわりと何かが這い上がるのを感じながら、浮かぶ文字を凝視した。


 古い言葉。

 だが、彼女には読める。


「……『契りを結ぶ者に石を。奪う者には――砂を』」


 言葉を読み上げた瞬間。


 床のあちこちから、轟音とともに砂が噴き出した。


「うわっ……!」


 石畳の隙間が裂け、そこから大量の砂が柱のように吹き上がる。

 砂はただの粒ではなかった。生き物のようにうねり、渦を巻き、狙っているかのように盗賊たちの足元へ集中する。


「足が……! 沈む!?」

「やめろ、離せ、この砂――!」


 ボルガンが戦棍を振り回すが、砂は刃をすり抜けて絡みついた。

 足首から脛、膝へと一気に絡みつき、彼らの体を出口の方へ押し流していく。


 砂粒が目と鼻に入り、悲鳴が上がる。


「ぎゃあああっ! 目が、目がああ!」

「砂だらけだあああ!」

「やめ……っ、うあああっ!」


 ロッドも一瞬巻き込まれかけたが、アリアが腕を引いた。

 彼の脛まで迫った砂流は、アリアとロッドの体がぶつかって転んだ拍子に、ぎりぎりのところで逸れていく。


 砂の奔流は、盗賊たちだけを選び取っていた。

 血の匂いでも、武器でもなく――「奪う」意志を持った者を、見分けているかのように。


 砂の渦は出口まで彼らを押し流し、そのまま外へ吐き出した。

 転がるように洞窟の外へ吹き飛ばされた盗賊たちの叫び声が、遠くへ遠くへ小さくなっていく。


 石室の中に、急速な静寂が戻った。


 床に残った砂は、少しの間だけ波のように揺れ、やがて静かに沈んでいく。

 まるで、何事もなかったかのように。


 祭壇の上の宝石はなおも光っていた。

 しかし、さっきまでの刺すような輝きではない。

 包み込むような、柔らかい温かさを帯びた光だった。


 ロッドが荒い息を吐きながら、剣の切っ先を床に突き立てた。


「……くそっ、死ぬかと思った……」


 アリアも肩で息をしながら、血のにじむ手で槍を支える。

 さっき突き刺した盗賊が、床の端でかすかにうめき声を上げた。

 致命傷ではない。だが、もう立ち上がれる状態でもない。


 ミルダが震える足で祭壇に近づいた。


「これは……ただの“財宝”じゃ、ないですよね……?」


 声も震えていた。

 目は、しかし宝石から離せない。


 アリアは短く頷く。


「……奪い合うための石じゃない。人と人の誓いを、見ていた石」


 槍の石突で床をそっと叩く。

 合図のように、残っていた砂がすうっと引いていく。


「古代部族の“契りの石”。ここで、誰かが約束を交わしてきた。

 さっきの砂は、その約束を汚そうとする手を……払いのけただけです」


 ミルダはノートをぎゅっと握りしめた。


「……恋人の宝、なんて軽く書くところでした。

 違うんですね。これは……逃げ場のない世界で、人を結ぶための宝……」


 彼女の瞳には、まだ恐怖の名残と、それでも消えない興奮が宿っていた。


「小説に……書き直します。

 “奪う宝”じゃなく、“人を結ぶ宝”として」


 ロッドは頭をがしがしと掻き、口を尖らせる。


「おいおい、そんな立派な石なら、俺の出番もしっかり書いとけよな?

 命懸けで泥まみれになった護衛役、ってやつでよ」


 ミルダは思わず吹き出し、すぐに真顔に戻って頷いた。


「もちろんです。泥だらけの勇敢な護衛役、って」


 ロッドは妙に誇らしげに胸を張り、その拍子に脇腹の傷が痛んだのか「いってぇ」と呻いた。


 アリアは静かに息を吐いた。


(――奪おうとした者は砂に飲まれ、守ろうとした者だけが残った)


 まだ手は震えている。

 槍を握る指に、血と砂の感触がこびりついたままだ。


 それでも――石室に残ったこの静けさは、さっきまでの「死にかけた沈黙」とは違う。


 寄るべき場所に、何かがきちんと戻った後の、静けさだ。


(第5話「別れと旅立ち」へ続く)


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