地下遺跡調査隊 編 第23階層 ― 黒鉄の環廊(前篇)
【Ⅰ】降下
熱い。
それが、22階層からの転移陣を抜けた瞬間に感じたすべてだった。
湿った風が肌を打ち、鼻の奥を鉄と硫黄が刺す。
頭上の天井は低く、そこかしこから赤い光が滲んでいる。
壁には、熔けたような金属が層をなし、ところどころで泡のように膨れていた。
「……これが、黒鉄層」
フェルナが呟く。
「空気が重い。魔力より、地熱の方が濃いな」
ハルドが鼻を鳴らし、尾を立てる。
耳を伏せたミャラが、しきりに首を振った。
「にゃぁ……毛が焦げるにゃ。暑いの苦手」
グレイは無言で足元の金属片を拾い上げる。
表面には幾何の刻印。
「古代製の導魔材だ。魔力を通すより、蓄えるタイプだな」
「つまり……ここは、まだ“生きてる”」
ヨハネスが言った。
腰の剣から、かすかに音がする。
金属が共鳴するような、微かな低音。
フェルナは目を細めた。
「剣が反応してる? この階層、何かを“記録”してるわ」
前方の通路には、黒い影がいくつも見える。
崩れた壁。古代の防衛門。
――そして、その先に続く螺旋階段。
「行こう。二十三階層の本命は、まだ奥だ」
ヨハネスの声に、誰も異を唱えなかった。
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【Ⅱ】防衛機構
階段を降り切った瞬間、空気が止まった。
まるで地下そのものが、息をひそめているようだった。
次の瞬間、
金属のこすれる音。
「左ッ!」
ハルドが咆哮し、飛び退く。
そこには、崩れかけた鉄の巨体――
古代兵装。
錆びた装甲、砕けた腕。
だが胸部の核だけが、青く光を帯びていた。
フェルナが叫ぶ。
「再起動個体! 魔導炉、まだ生きてる!」
ヨハネスの剣が抜かれた。
刃が光を走らせ、爆ぜるような音とともに巨体の胸を裂く。
だが、そこから噴き出す蒸気が視界を奪った。
「ミャラ!」
呼ぶより早く、猫娘の影が跳ぶ。
壁を蹴り、巨体の背に回り込む。
短剣が核の配線を断ち切り、光が弾けた。
「にゃ、成功!」
ミャラの尻尾が弾む。
「よし、離れろ!」
グレイが盾を構え、爆散する熱を受け止めた。
衝撃が過ぎる。
鉄臭と焦げた風の中、残骸が音もなく崩れた。
「……反応は消失。終わりだ」
フェルナが杖を振り、余熱を冷ます。
ヨハネスが息を吐いた。
「一体でこれか。まだ奥があるな」
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【Ⅲ】環廊
通路を抜けた先、視界が一気に開けた。
そこは、円形の巨大な空洞。
壁の内側を、冷却液のような透明な流れが走っている。
天井の高みでは、鎖のような構造物がゆっくりと回転していた。
「黒鉄の環廊……ここが、遺跡の中心区画か」
フェルナが呟く。
シルは壁に掌をあて、何かを感じ取るように目を閉じた。
「流れてる……でも、これは魔力じゃない。記録の波……」
グレイが眉を寄せる。
「記録、だと?」
「ええ。誰かが“見た光景”が、壁に染みついてる。
これ、過去を記録した構造物よ」
ヨハネスは剣の柄を握り直した。
刃の奥で、また低い共鳴が鳴っている。
「剣が共鳴してる。……呼んでるな」
通路の中央、黒い台座があった。
そこに埋め込まれた、掌ほどの黒結晶。
心臓のように、静かに明滅している。
フェルナは慎重に杖をかざした。
「……反応あり。古代の通信結晶。
でも、封印式が二重になってる。誰かが“閉じた”跡」
ヨハネスが言う。
「開けるのか?」
「ええ――見るだけ」
杖先から淡い光が流れ、結晶へと触れた。
次の瞬間、空気が震えた。
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【Ⅳ】断章
空間がゆがんだ。
音もなく光が広がり、視界の色が反転する。
フェルナたちは、立ったまま“映像”の中にいた。
そこは、今と同じ環廊。
だが壁も床も、新しく輝いていた。
人々が動いている。
白衣を着た魔導士、整備兵、記録官。
『炉心出力、安定。黒鉄層、稼働を確認』
『第二防衛線、準備完了』
『封印指定区域、――』
音が途切れる。
フェルナの胸がざわめいた。
「これ……“崩壊前”の記録?」
映像の奥で、一人の女性が振り向いた。
白い長髪、灰色の瞳。
その唇が、確かに言った。
『黒鉄の環廊を、閉じよ。
この下には、“眠る神格”がいる。』
光が弾け、映像が途切れた。
床の結晶が砕け、
遺跡全体が低く唸った。
ヨハネスの剣が青く輝く。
ハルドが叫ぶ。
「何か、起きる!」
フェルナが空を見上げる。
天井の鎖が回転を止め、
環廊の中心――巨大な扉が現れる。
「……これが、“下層封印”」
扉の隙間から、黒い風が漏れた。
それは息のようでもあり、
遠い鼓動のようでもあった。
誰も、動けなかった。
フェルナが、静かに呟く。
「……目を覚まそうとしている」
黒鉄の環廊が、低く唸った。
そして、足元がわずかに震えた。
沈黙が崩れ、
遺跡が再び“呼吸”を始める。
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次回 「第23階層 黒鉄の環廊(後篇)」
――開かれた扉の先、“封印神格”が姿を現す。




