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女騎士の独り旅!  作者: 和泉發仙


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魔王会議編その8 月下の市場(ルナデウス領・開市)

 ルナデウスブルクに人が住み始めてから、まだ十日も経っていない。

 だが、その十日のあいだに、畑の溝は伸び、工房の屋根は増え、井戸には冷たい水が満たされた。

 そして今日――“物を並べる日”が来た。


 朝の光が斜めに差すころ、中央の広場に木の台が並べられていく。

 まだ新しい釘の匂いがする簡素な台だが、並べばちゃんと“市”に見えた。

 台と台の間には人が二人通れるほどの幅があり、周囲には縄で区画が引いてある。


「ここ、もう少し寄せるでごんす」


 用水路からひょこっと顔を出したのは、河童のカワズ・ゲンゾーだ。

 濡れた手で台の脚をぐいっと押すと、木台はきれいに一直線に揃った。


「まっすぐだと気持ちいいでごんす。通る人も迷わないでごんす」


「助かるよ、ゲンゾー」


 広場の端に立っていた林が声をかける。

 その隣ではオートマタのネオンが、出店の登録簿を確認していた。


「本日の出店、十八。

 河童族、水耕野菜と魚干し。

 雪女族、冷菓と氷庫品。

 人間移住者、織物三、木工二、玩具一。

 アリアンロッド物資部、一。

 ……これで全員です」


「思ったよりも多いな」


「“自分で作ったものを見せたい”というのは、よい傾向です」


 ネオンはそう言って、一番手前の台に「案内」と書かれた札を下げた。

 ここで通貨リルの両替と、買い方の簡単な説明をすることになっている。


 そこへ、白装束の影が風のように現れた。


「遅れてしまいました」


 雪女族のユキネだ。

 腕には薄い木箱を三段重ね、息をするたびに白い霧がふっと揺れる。


「ここですか?」


「ここでいい。日陰だし、冷えも保てる」


 林が一番日が弱い場所を示すと、ユキネは静かに台に木箱を置いた。

 箱のふたを開けると、中には薄く凍らせた果実や、冷たくして甘みを引き出した豆の菓子が並んでいる。


「今日は“試しの日”なので、値は低くしています。子どもでも買えるように」


「助かるよ。ここ、子ども多いからな」


 ユキネはわずかに微笑んだ。

 雪のように薄い笑みだったが、そこには確かに満足があった。

 彼女にとっても、ここで働けることは“受け入れられた”証なのだ。


 その横では、人間の若い男が布を広げている。

 ノールから来た織り手だ。

 彼は昨日まで学園の布室で縫い方を教わり、今日は初めて自作の袋や袖なし衣を並べる。


「……これ、買う人いるかな」


 不安を漏らすと、すぐに背後から声が飛んだ。


「並べてみないとわからないわ。置いてあるっていうだけで、ここはもうちがう」


 リリスだ。

 黒のローブのまま、今日は腰に記録帳だけを下げている。


「何もないところに“ある”ができる日って、そうそうないのよ。楽しみましょう」


「……はい」


 男はうなずき、布をきれいに畳み直した。


◇ ◇ ◇


 やがて高台から、軽い鈴の音が響いた。

 甲高くもなく、ただ「始まったよ」と知らせる程度の音。

 鐘のように人を急かさない、その音で市は開いた。


「本日より、ルナデウス開拓地における“月市げっし”を開きます」


 ネオンが広場に向かって告げ、手を挙げる。

 その後ろに、白い外套の少女――領主ルナ・デウスが立っていた。


「みんな、自分の作ったものを、ここに並べていいよ。

 ここで買ったものは、ここで使ってね。

 まだ少ないけど、これが増えていけば、この国はもっと楽になる」


 声は高くないが、よく通った。

 集まっていた移住者たちは、おそるおそる、しかし目を輝かせて前に出る。

 台に並んだものをひとつひとつ見ていく。


「あっ、魚だ」「冷たいのある」「布きれ、きれい」


 子どもたちが一番に反応したのは、もちろんユキネの冷菓だ。

 手を伸ばした女の子に、ユキネは笑って首を振る。


「今日はこれくらいの硬貨で買えます」


 そう言って見せたのは、リル一枚。

 女の子は慌てて母のところに走り、小さな手のひらを差し出す。

 母は昨日の労働で得たリルを見て、一瞬ためらってから、娘の手に一枚置いた。


「……行っておいで」


 女の子は、本当に宝物を運ぶみたいに両手でそれを持ち、ユキネのところに戻る。

 ユキネは小さな氷の果実を、慎重に包んで渡した。


「落とさないでね。冷たいのは落とすと泣きたくなるから」


「うん!」


 女の子は齧り、目をまるくした。

 冷たい甘さが、ここにはなかった感覚だったからだ。


 その様子を、少し離れたところで河童のゲンゾーが見ていた。


「いいでごんすなぁ。子の喜ぶ顔は、畑ができたときと同じでごんす」


「お前もなんか売れよ」


 林が笑って言うと、ゲンゾーは「ちゃんと用意してるでごんすよ」と胸を張り、桶を開けた。

 中には水耕で育てた青い葉もの、塩で締めた小魚の干し、そして用水路でとれた貝。


「安いでごんす。ここに来たばっかりの人たちでも買えるでごんす」


「安すぎないか?」


「最初の日は“知ってもらう”日でごんす。儲けるのは、次でごんす」


「商売、わかってるなぁ」


 そこへ、細身の少年が一人、手に布袋を持って近づいた。

 ノールから来たばかりの少年だ。

 昨日、港の掃除を手伝ってリルを三枚受け取っている。


「これ……買えますか」


「どれがほしいでごんす?」


「この、しょっぱいやつ」


「いいでごんすよ。リル一枚でごんす」


 少年は袋から硬貨を取り出した。

 何度も何度も触って確かめた跡がある。

 それをゲンゾーが受け取り、干した小魚を紙に包んで手渡した。


「働いたぶんの味でごんす。ゆっくり食べるでごんすよ」


「……はい」


 少年は包みを抱きしめ、少し俯いた。

 泣きかけているのを、無理にこらえているような顔だった。


 それを見ていたルナが、そっと近寄る。


「どう? ここまで順調?」


「順調でごんす。水路を見に来る人もいたでごんす。ついでに野菜も見ていくでごんす」


「よかった。ゲンゾーがいてくれて助かってるよ」


「ルナ様のおかげで水が好きに使えるでごんす。ここなら、河童も堂々と歩けるでごんす」


 ゲンゾーはニカッと歯を見せた。

 それはほんとうに、ここで暮らす者の顔だった。


◇ ◇ ◇


 市が動き出すと、今度は治安を見守る影が現れた。

 朱鬼丸だ。

 赤茶の髪を束ね、肩には棒を一本。槍ではなく、あくまで棒だ。

 それで通路の端を軽く叩き、流れを整える。


「ここは狭い。子どもが通る。台を外に出しすぎるな」


「は、はい!」


「値札を見えるところに出せ。揉めると面倒だ」


 声は低いが、怒ってはいない。

 並べる側も「こうすればいいのか」とすぐに分かる。

 市場の空気は、穏やかなまま保たれた。


 少し離れたところでは、羅刹丸が人の流れを見ている。

 どの店が人を集めているか、どの路地が詰まりやすいか――そんな視点で全体を眺めていた。


「林」


「なんだ」


「この市、三日に一度でも回るぞ。物が回れば働く理由が増える」


「そのために、アリアンロッドからの物資も混ぜた。いきなり全部自給は無理だからな」


 林はアリアンロッド商会の台を顎でさす。

 そこには布、薬草、簡単な工具が並んでいる。

 価格はやや高めにしてあり、これは“ルナデウスにこれを作れる人が出たら、そっちを優先して買ってね”という無言の誘導でもあった。


「でも今日は買う人いるかな」


「いるさ。新しい土地に来たら、何か一つ“自分で買ったもの”がほしくなる。そういうもんだ」


 林がそう言ったとき、まさにその通りのことが起きた。

 移住してきたばかりの母親が、子ども用の小さな木の玩具を手に取ったのだ。

 木で作られた小さな塔。

 回すと上にちょこんと月の飾りが揺れる。


「これ……」


「リル二枚です」


「……買います」


 母親は少しだけ迷ったが、財布から二枚出して渡した。

 渡すとき、指がほんの少し震えた。

 “もらった”お金を、“自分の意思で使う”という行為が、まだ新しいからだ。


 玩具を受け取った子どもが笑う。

 その笑い声が、周囲に広がる。

 市場は一段と賑やかになった。


◇ ◇ ◇


 昼を少し過ぎたころ。

 広場の中心を、白狐がゆっくりと歩いていた。

 今日は諜報ではなく、儀礼官として市の“顔”を見に来ている。


 彼女は一軒一軒を遠目で見て、簡単な記録を取った。

 どの種族の店にどの種族が買いに行っているか。

 どの言葉が通じずに詰まりやすいか。

 それを見終えると、控えめにルナのそばへ寄る。


「姫様。人も物も、混ざって動いています」


「うん、見てた。いい感じだね」


「ええ。ですが、ひとつだけ。――“値段が合っているか不安で買えない”という顔がいくつかありました。交渉に慣れていない人のために、値段の目安板を作っておくとよさそうです」


「なるほど。じゃあネオンに頼んで、今日のうちに出そう」


 こうして細かな運用が増えていく。

 それが日常になる。


◇ ◇ ◇


 日が傾きかけたころ、市は少しずつ静かになっていった。

 売り切れた台は片付けに入り、まだ残っているところは値を下げる。

 子どもたちは買ったものを自慢し合い、大人たちはその様子を笑って見ていた。


 広場の上の小さな丘に、ルナと林、リリスが並んで座る。

 眼下には、今しがたまで賑やかだった市場が見える。

 そこには仮の屋根も、立派な門もない。

 けれど、人が集まって物を見せ合った、それだけで十分に“街”の景色だった。


「……ねぇ、俊傑」


「ん」


「これがあると、来た人たち、ここを覚えやすくなるね。“あの市場のある場所”って」


「ああ。市場ってそういうもんだ。人の記憶に地図を描く」


 林は腕を組み、満足げに広場を眺める。


「今日みたいにいろんな顔が混ざってると、“自分もいていい”って思える。

 仕事と教室だけだと、どうしても“与えられてる”って気持ちが抜けないからな」


「見せる、並べる、選ぶ、買う。……それ、全部“自分で決めた”ってことだもんね」


「そういうことだ」


 リリスがふたりの隣で足を伸ばす。


「でもね、こういう日が一日あると、夜にどっと疲れが来るわよ。

 人って、楽しいことしてても疲れるの。

 だからこのあと、食堂にも少し多めに出すようにした方がいいかもね」


「ありがと、リリス。そうするよ…ね俊傑」


「わかったよルナ……いや、うけたまわりました、領主さま」

———と林の言葉にリリスはいたずらっぽく笑い、立ち上がった。


 丘の下では、河童のゲンゾーがまだ子どもたちに水で遊びの手ほどきをしている。

 少し離れたところでユキネが残りの冷菓を配り、

 朱鬼丸は通路の板が外れていないかをひとつひとつ確かめていた。


 ルナはその光景を、ひとしきり目に焼き付けた。


「……これが、この国の…この街の音なんだね」


「そうだな。争う音じゃないほうが、俺は好きだ」


 林が答えたとき、広場に小さな笑い声がまたひとつ増えた。

 それは、今日ここで初めて自分の物を売った人があげた声だった。


 ルナはふっと微笑み、静かに立ち上がる。


「明日は、もっと屋台が増えるといいな」


「増えるさ。今日は“できる”ってわかったからな」


「じゃあ、明日の朝も鈴を鳴らそう。みんなに“今日もあるよ”ってわかるように」


 その提案に、林とリリスが同時に頷く。


 こうして、ルナデウスブルクに“小さな市場の灯”がともった。

 まだ細く、まだ頼りない。

 けれど、人がそこに集まり、物を並べ、笑い合うだけの理由は、もう十分にあった。

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