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女騎士の独り旅!  作者: 和泉發仙


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魔王会議編その7 風の記録、月の礎

魔王会議編その7 風の記録、月の礎


 ルナデウスブルクに、二度目の朝が来た。


 夜のうちに焚かれた火はまだ暖かく、広場には薄く白い靄が残っている。

 昨日到着したばかりの移住第一陣は、簡素な着物の裾を結び直しながらぞろぞろと外へ出てきた。

 子どもたちは眠そうに目をこすり、それでもどこか楽しげだ。

 ここでは、昨日も今日も同じように朝が来る――それをもう体が理解し始めている。


 広場の一角には、新しく組まれたばかりの木造の屋根付きスペースがあった。

 柱に「記録局」と墨書きされ、机が三つ、椅子が十脚。

 その中央の席に、オートマタのネオンが座っている。白い指先で羽根ペンを確かめ、光字式の板を起動した。


「本日より、ルナデウスブルクにおける“住民記録”を開始します」


 よく通る、でも固すぎない声。

 その横で書記官メルツが紙束を整え、人数分の木札を並べた。


「順にお名前と出身、それから“どこで何ができるか”を教えてください。働けない方は“暮らす”と書きます。どちらも等しく価値があります」


 集まった移住者たちは、きょとんとした顔をした。

 “何ができるか”を自分から名乗る機会など、今までほとんどなかったからだ。

 ノールでは「命じられたことをする」のがすべてで、自分の力を測られることは恥にも近かった。


 最初に前に出たのは、昨日も一番に宿舎へ入ったあの女――リーアだった。

 ミトを背負い、布帯を結び直し、胸を張って言う。


「ノール領ヒイラギ出身、リーア。裁縫、できます。……子の面倒もみれます」


 ネオンがすらすらと記し、メルツが木札に番号を刻む。


「はい、“居住・補助・子守”で登録しました。本日から住民扱いです」


 “住民”という言葉に、周囲が小さくざわついた。

 彼らは“避難民”でも“客人”でもなく、今日からこの土地の“住民”だと、はっきり告げられたのだ。


 そのとき、後ろからぽちゃん、と水音がした。


「おーおー、朝から賑やかでごんすなぁ」


 広場の用水路から、甲羅を背負った緑の小柄な影がぬっと顔を出した。

 目のくりっとした、愛嬌のある河童だ。

 肩には木桶、腰には工具袋。どう見ても“働く気まんまん”の顔である。


「カワズ・ゲンゾー殿、ちょうどよいところに」


 ネオンが顔を上げると、河童は得意げに鼻を鳴らす。


「このルナ様のお触れと聞いては出ぬわけにもいかんでごんす。水路職、土木、あと子どもの相手もできるでごんすよ。泳ぎは負けんでごんす」


「はい、“水利・土木・子ども対応・異界籍”で登録します」


「異界籍、ってのはよう聞くけど、どんな枠でごんす?」


「ここでは“人”“魔族”“異界籍”の三分類を設けました。あなたは日本由来の河童なので、異界籍。権利は他の二者と変わりません」


 ゲンゾーは目を丸くしたあと、満足げに頷いた。


「権利同じ、はいい言葉でごんすなぁ。じゃあ水車のほうも書いといてほしいでごんす。あれ回ると子が喜ぶでごんすからな」


 後ろに並んでいた子どもたちが「かっぱだ!」と小声を上げ、すぐにくすくす笑いに変わる。

 怖がるどころか、むしろ興味津々だ。


 そこへ、もう一人。


「遅れてすみません」


 ふっと涼しい風が吹いたかと思うと、群青色の白装束をまとった女が、音もなく記録局の前に立った。

 髪は雪のように白く、肌は透けるほどに白い。

 息をするたびに、唇から白い霧がふわりと揺れる。


「雪女族代表、ユキネ。……冷やすこと、保存すること、人を落ち着かせることができます」


 その場の空気が一瞬ひやりとする。

 だが不思議と、肌を刺す冷たさではなく、熱を落ち着かせる冬の空気のようだった。


 ネオンはその変化を感知し、満足げに頷いた。


「はい、“冷却・保存・医療補助・異界籍”で登録しました。今後、食料庫と医療棟の管理をお願いすることになります」


「承知しました。……この国には冷やす場所が必要になります。人が増えれば、熱も増えるから」


 ユキネはそう言って、静かに腰を折った。

 その姿を見て、周囲のノール出身者が目を見張る。

 “怖い妖”ではなく、“一緒に働く人”としてそこにいる。

 それが、新しい国の姿だった。


◇ ◇ ◇


 午前いっぱい、記録局には途切れなく人が来た。

 オートマタのネオンが聞き、メルツが書き、木札を配る。

 河童が後ろで「次はこっちだでごんす」と列をさばき、ユキネが泣いた子どもの頬に冷たい掌を当てて落ち着かせる。


 ルナはその光景を丘の上から眺めていた。

 隣には林とリリス。

 ルナは小さく息を吐いた。


「……うん。ちゃんと“混ざってる”」


「最初から分けないのが正解だったな」


 林が頷く。


「人・魔・異界。最初に線を引くと、後からずっと残る。最初に“全部いる”ってやっちゃえば、あとは運用で調整できる」


「そういうところがあなたの強さよね、ルナ」


 リリスが微笑む。


「最初に“ここにいていい”って言える人は、領主になれる人だもの」


 ルナは照れたように頬をかき、視線を南に向けた。


「……さて。じゃあ次は、うちの子たちの番だね」


「うちの子?」


「うん。ずっと戦いの名前で呼んでたから、そろそろちゃんとした名前をあげようと思って」


 そう言って、ルナは丘を下りていった。


◇ ◇ ◇


 仮設の庁舎は、まだ新しい木の匂いがした。

 壁には地図、棚には記録簿、机には印章箱。

 その中央にルナが座ると、扉の外で控えていたドッグ隊員が声をかける。


「ルナ様。朱鬼丸、羅刹丸、白狐、三名揃っております」


「通して」


 入ってきたのは、赤・黒・白の三つの影。

 朱鬼丸は大柄で、赤茶の髪を後ろで束ね、肩には槍。

羅刹丸は痩身で黒装束、腰に細い短剣を左右に。

 白狐は白い耳飾りと尾のような白の装飾を腰に垂らし、軽やかに歩いてくる。


 彼らは三人同時に膝をつき、頭を垂れた。


「お呼びにより参上」


「いま、外では“ルナデウスの住民登録”をはじめたところです」


 ルナは三人を見回す。


「あなたたちは、私がここに来る前からずっと側にいてくれた。魔王会議のときも、移住の交渉のときも、言わなくても動いてくれた。……だから、そろそろきちんとこの国の家臣として名を置いてほしいと思って」


 朱鬼丸が顔を上げる。

 無骨な顔に、わずかな驚きが浮かんでいた。


「我らに、正式な名を……?」


「うん。戦いの呼び名じゃなくて、この国の柱としての名前。

 まず、朱鬼丸。あなたはこの領で最初の“軍”を任せる人。だから――」


 ルナは机の上の小さな印刻板を手に取り、墨を含ませた。


「“朱鬼丸”に、“衛士長”の位を与える。今後この国に来た者を守る最初の盾になって。鐘を鳴らす前に止めるのがあなたたちの役目」


 朱鬼丸は深く、深く頭を下げた。


「……この命の続く限り。鐘を鳴らさせぬよう、努める」


 次に、ルナは黒装束の男を見た。


「羅刹丸。あなたはいつも現場と私のあいだを繋いでくれた。物資、治安、どれも乱れなかったのはあなたのおかげ。だから――」


 彼女は印刻板をもうひとつ取り、羅刹丸に向ける。


「“羅刹丸”に、“政務監”の位を与える。ここで暮らす人の声を集めて、私に届けて」


 羅刹丸は静かに笑った。


「承知した。民の数が百でも千でも、すべて届けましょう。おのれの名に恥じぬように」


 そして最後に、白狐。


 白狐は一歩だけ前に出て、可憐に裾を広げた。


「では、わたくしにも?」


「もちろん。あなたがいちばん、人の心の動きに敏いから」


 ルナは少しだけ表情を柔らかくした。


「“白狐”に、“諜報兼儀礼官”の位を。外との窓口、式典、あと……私が言いづらいことの代弁もお願い」


「喜んで。姫様の声を柔らかくして届けるのが、わたくしの務めですもの」


 白狐は微笑み、静かに頭を垂れた。

 その瞳には、言葉にならない安堵が宿っている。

 “戦で仕える者”ではなく、“共に国をつくる者”として立てた喜びだった。


 ルナは三人を見渡し、少しだけ息を整える。


「――これで、今日から本当の始まりだね。

 あなたたちはもう、影でも駒でもない。

 私の、月を支える柱だよ」


 三人は一斉に膝をつき、低く声をそろえた。


「はっ、ルナ・デウス様。

 この命、御身と国に捧げます」


 ルナは照れたように笑い、そっと彼らを立たせた。


「ううん。捧げるんじゃなくて、支えてよ。

 ――みんなで、ね」


 白狐が静かに頷き、柔らかい声で答える。


「はい、姫様。月は、もうおひとりでは昇りません」


 その一言に、ルナは微笑んだ。



◇ ◇ ◇


 夕方。

 記録局の前の机には、分厚くなった台帳が積まれていた。

 人、魔族、異界籍――三つの種別が色の違う札で挟まれている。


 ネオンが最後に表紙を閉じ、仮庁舎へ運ぶ。

 そこにはルナと林、リリスに加え、河童のゲンゾーと雪女のユキネも呼ばれていた。


「本日までに記録が完了した住民は一二三名です」


「お、そこまでいったか」


 林が驚き、ゲンゾーが嬉しそうに手を叩く。


「これで水路の割り当ても決められるでごんすなぁ」


「食料庫も、誰が何をどれだけ使っているか把握できます」


 ユキネが静かに続ける。


「保存量が分かれば、冷やす量も決められる。無駄に冷やすのは、冷やす側も疲れますから」


「助かるよ、ユキネ」


 ルナは二人に微笑みかけ、ネオンから台帳を受け取った。


 表紙はまだ簡素な木の板だ。

 けれど、それは紛れもなく“最初の住民台帳”だった。


「じゃあ、最後に……これを押しておこうか」


 ルナは印章箱を開ける。

 アリアンロッドから持ってきた正式な印――月と枝の紋。

 そこに朱を含ませ、台帳の表紙にゆっくりと押し当てる。


 その瞬間、ユキネがすっと手を伸ばした。

 白い息が印にふわりとかかり、朱が美しいまま固まる。


「滲みませんように」


 すぐ横でゲンゾーが指先で水を弾き、小さな玉にして印の縁をなぞる。

 朱が淡く光った。


「光りますように、でごんす」


 ルナはそれを見て、目を細めた。


「血で押すんじゃなくて、冷たい息と水で押す。……いいね。これがうちの国の印の押し方にしようか」


「おもしろい街だな」


 林が笑い、リリスが肩をすくめる。


「“おもしろい”で終わらせるには広すぎるわよ、この領地は…でも私たちの領地ところも負けてないよ…ふふ」


 ルナは台帳を高く掲げた。


「これが、“月の街ルナデウス”の最初の記録です。

 種族も、生まれも、どこの世界かも関係なく、ここで生きるって決めた人の名前。

 この風を、ここに残しておきます」


 その言葉に、外から子どもたちの笑い声が重なる。

 焚火がぱちぱちと音を立てる。

 港の鐘は――今日は鳴らさない。

 鳴らすのは危険のときだけ。

 今日は“始まった日”だから。


 ルナは静かに夜空を見た。

 まだ完全には満ちていない月が、淡く彼女たちの国を照らしている。


「……さぁ、ここからだね」


「あぁ、ここからだ」


 林が頷き、ユキネとゲンゾーも続ける。


「ここから、冷やして守ります」


「ここから、水を回して広げるでごんす」


 ルナは笑った。


「うん。みんなで回して、みんなで冷やして、みんなで温めて。

 それが、私たちの“月の街”だよ」


 こうして、ルナデウスブルクの大地には、

 初めて“風を記録する”という営みが根づいた。

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