アリアンロッド観光編その6:セレスティアブルク編 ― 蒼月の城下と氷花の饗
第三日目、黄昏。
青白い月が昇ると同時に、城下の燭台に順々に灯がともる。黒い石畳は鏡のように夜色を返し、尖塔の窓からこぼれる光は、冷たいはずなのにどこか人肌の温を帯びていた。
セレスティアブルク。
吸血貴族の古い様式を守りぬきながら、いまやアリアンロッド式の安全設備や物流導線まで取り込んだ“東欧風の都”。城門をくぐった一行――アリア、以蔵、アリュシア、カイル、リィナ、ルネオス、それに富山組の面々――は、思わず足を止めて見上げる。
「……わぁ、映画みたい」
恵理が小声で漏らす。
「でも匂いはちゃんと街だ。パンの匂い、鉄の匂い、ワイン……」
悠斗は鼻をひくつかせ、胸を膨らませた。
吹き抜けの大階段に、銀の髪がひとすじ流れた。
セレスティアが微笑とともに現れる。紅玉の瞳、真紅のドレス、黒のファー付きロングコート――凛烈と優雅のちょうど真ん中。
彼女の視線が、同じ高さで正面から受け止められる。アリアだ。色は違えど、輪郭や表情の“芯”が驚くほど似ている。
「ようこそ、わたくしの城へ。」
「招き、痛み入る。」アリアは軽く会釈した。肩に走る所作は、騎士というより武士のそれ。
「……やっぱ似いちゅうなァ」以蔵が笑う。「面差しの骨格がよう似ちょる。けんど、中身はきっちり違うぜよ」
「影ではなく映し鏡、でしょうか。」アリュシアが淡く笑う。「志が似れば、顔も似るという」
セレスティアの口元がわずかに弧を描いた。「光栄ね――鏡に恥じぬよう、今宵は最上のおもてなしを」
楽団が弦を合わせ、ホールの縁にグラスが並ぶ。夜会が始まった。
⸻
Ⅰ 鏡の邂逅、第一の杯
最初の一時間は、城の“顔見せ”。
吸血貴族の家長たちが順々に挨拶し、セレスティアが紹介するたび、アリアは一礼を以て返す。
以蔵は壁際でじっと二人の立ち居振る舞いを観ていた。
「どう見える?」アリアが小声で問う。
「踏み込み浅く、間は深う。斬るためやのうて、《そ》らすための構えじゃ。――西洋剣は突くを旨とするが、ここの“貴き立ち”は突かせんための礼法ぜよ」
「なるほど。じゃあ、私は受け流す“体”を、ここの人たちは受け流す“和”を、身につけてきたわけだ」
セレスティアが近づき、三人の輪に入る。
「剣の話?」
「道の話、だな。」アリアは笑った。「『勝たぬために負けぬ』――そんな話さ」
以蔵が頷く。「強うなるとは、傲ることやない。生かすために手を止められることじゃき」
セレスティアは一瞬だけ瞼を伏せ、静かにグラスを掲げた。
「ならば今夜は、“生かすために共にある”杯を。――皆、ようこそ」
透明な音がホールを満たし、夜が本当に始まる。
⸻
Ⅱ 舞と剣、寸止めの美学
中盤、舞踏と剣舞の余興。
吸血騎士団が見せる礼式剣は、寸分違わぬ足運びで、滑るように間合いを変える。
続いて以蔵が木太刀を受け取るや、北辰一刀流の素振りから、直心影流の崩し、合気の誘いへと移行――間合いに踏み込んだ相手の軸を、触れずにずらしていく。
「わっ……触ってないのに、倒れる?」
「倒してない。立てなくしてるだけ」アリアが耳もとでささやく。「“争いの芯”を外す稽古だ」
最後にリクエストが飛ぶ。「両流、立会いを!」
以蔵がアリアを見る。
「え、私?」
「アリア殿しかおらんろう。ここはええ“観せ場”ぜよ」
アリアは袴の裾を軽く握り、木太刀を受け取った。
合図もなく、二人は歩幅三つ分の距離で止まる。
微かに、以蔵の気配が伸び、アリアの姿勢が沈む。
次の瞬間、木太刀が二度――打たれずに、止まった。
以蔵の刃はアリアの眉間へ至る寸前で消え、アリアの刃は以蔵の肘へ落ちる“寸”で留まる。
見ている者には、二度とも“当たっていた”としか思えない。
拍手が遅れて、どっと溢れた。
「……勝敗は?」と誰か。
以蔵が笑った。「どっちも勝ちで、どっちも負けぜよ。斬らずに済んだき、今夜は皆、勝ちじゃ」
セレスティアが楽しげに手を叩いた。「これが、あなたたちの“武”なのね。――気に入ったわ」
⸻
Ⅲ 技術と血の談話室
後半、サロンに場所を移す。
壁一面の本棚、錬金器具と新式端末が混在する机。
ヴァルデン(セレスティアの宰輔)、カイル、リィナ、ルネオスが向かい合った。富山組の技術好きも遠巻きに耳を傾ける。
「吸血族の“血の記憶”は、継承に適した情報媒体だと思っているの」セレスティアが前振りし、ヴァルデンが説明に入る。
「世代をまたいで残るのは、感覚・技・価値観といった“抽象の束”。数式ではなく“型”に近い。これを、あなた方の補助記憶と接続できないか、という相談だ」
ルネオスが椅子から半ば立ち上がる。「その“型”こそ魂素! 我々のオートマタ記憶階層の上位に、そのまま載る可能性がある! 血液を媒体とせずとも、倫理的な“疑似血”を合成し――」
リィナが咳払いで速度を落とさせる。「要するに、“経験の型”を安全に共有する橋を作れる、って話」
カイルが頷いた。「機体に載せ替えるなら、直接のパイロット技能じゃなく“判断の癖”を渡すイメージだ。――暴走しないよう、必ずヒトが主権を持つ前提で」
ヴァルデンがワインを掲げる。「ならば合意できる。血は誇りであり、鎖ではない。我らは“誇りの共有”を望む」
ルネオスが拳を握る。「共同研究、始めましょう」
遠くで、以蔵の笑い声。「なんやややこしゅう言うちゅうが、要は“型”を子らに渡すっちゅう話ぜよ」
アリアが「うむ」と頷き、セレスティアが満足げに目を細めた。
⸻
Ⅳ バルコニー、蒼月の誓
夜更け。
喧騒が一層遠のいたところで、セレスティアがアリアをバルコニーへ誘った。
城下の灯が群星のように瞬き、冷たい風が頬を撫でる。
「……似ているのね、私たち」
「顔だけじゃないさ」アリアは欄干に肘をついた。「“背負い慣れている”背中の形が、少し似てる」
「背負うものが増えるほど、戦い方は難しくなる。守るために、どれだけ“止まれるか”が問われる」
「そうだな。だから私は、必要のない刀は抜かない。抜いたら――必ず納める場所まで責任を持つ」
セレスティアは静かに相槌を打つと、薄く笑みを深めた。
「ならば、はっきり約しておきましょう。……あなたが無用の血を望まない限り、私もまた、流さない。
貴女が“人を生かす道”を選ぶ限り、私はその道を開く側に立つ」
アリアは短く息を吸い、正面から頷く。「受けた。――私も、できる限り“生かす”を選ぶ。だが、守るために刃を向けられたときは、迷わず止める。その覚悟も、ここで言葉にしておきたい」
「それでいいわ。」
ふたりは、夜の冷たさと同じ温度の眼差しで、しっかりと頷き合った。
⸻
Ⅴ 小さな余白 ― 富山組の夜
場内の一角。
恵理と悠斗はリィナに案内され、城の資料室を見学していた。
「ここ、研修とかで使えるのかな」
「短期ならね。今日みたいに“まず見て帰る”のが大事。――戻って、もう一度考えて、それでも来たいって言えるなら、次の段階に進める」
清水師範は以蔵の木太刀を借り、廊の隅で子どもたちに“脱力の立ち方”を教えている。
岡村は騎士団の稽古を見学し、構えと礼をノートに写す。
亮介と仲田はカイルと握手を交わし、機材区画の見学約束を取り付けた。
そして、城の外縁――月明かりの石段で、ガレンは河童と腕相撲をし、セレスティア騎士の若手が囃し立てる。
「ぐおっ、こいつ、地味に強ぇ!」
「ふふふ、川遊びで鍛えとるでの!」
笑い声が、冷たい空気をやわらげた。
⸻
Ⅵ 名は道標
夜会の終わり際、セレスティアがそっとアリアの袖を引いた。
「そうだ、言い忘れていたわ。――この城下にも、“名を待つ子たち”がいるの」
「名を?」
「魂に一本、芯が通るのよ。あなたの国の“名付けの理”、うらやましいわ」
アリアは少し考え、「こちらにも“名を授ける者”がいる。今は別行動だが、戻れば頼める。……ただし、名は飾りじゃない。背負う覚悟ができた者にだけ、だ」
「もちろん。」
セレスティアは満足げに微笑む。「鏡に恥じぬ返事ね」
⸻
最後の曲が終わり、客人たちが順に辞する。
富山組は、リィナの案内で城外のゲスト宿へ。
アリアたちは控えの間で外套を整え、以蔵が袖口を軽く払う。
「ええ夜やったのう」
「あぁ。」アリアは口角を上げる。「“似ている”が、怖くない夜だった」
アリュシアが小さく笑う。「似ている者が隣に立つと、人は強くなる。今夜、よくわかった」
ルネオスは帰り際、セレスティアとヴァルデンに両手を差し出した。
「共同研究、正式スタートで!」
「ええ、ようやく楽しみが増えたわ」セレスティアが握り返す。「夜は長いの。やることはいくらでも」
蒼い月が、城の尖塔に輪郭を描く。
それは祝福のようにも、挑戦状のようにも見えた。
――つづく。




