超能力少年 前編-マントが飛んで、ため息ひとつ
前編 ― マントが飛んで、ため息ひとつ
学び舎の前庭は、朝からざわざわしていた。
藁で編んだ輪、磁石のついた棒、糸車を改造した謎の台……。
子どもたちが輪になり、真ん中で片手を突き上げる少年が、喉の奥から声を張り上げる。
「諸君! いまより“Z現象”をお見せしよう! 名は――ゼッド。超能力少年ゼッドだ!」
「名乗るたび変わってない?」と、脇で腕を組む少女が小声でつぶやいた。
栗色の髪をまとめたマーニー。学び舎の「しっかり班」代表で、ゼッドの幼なじみらしい。
草むらの端には、丸太の上で腕を組むドルク師匠。筋骨隆々の教官だ。
そして――通りすがりの旅人が、ひとり。アリアである。
(朝市のパンを買いにきただけだが……)
「旅の人も! 君も! 目撃者だ!」
ゼッドが無邪気に手を振る。
アリアは外套の襟を指で直し、観客の最後尾に並んだ。こういう「町の催し」は嫌いではない。嫌いではないが、だいたい巻き込まれる。
「第一実験――“浮遊”!」
ゼッドが指先で虚空をつまむような仕草をすると、藁の輪がふわっと持ち上がった。
子どもたち「おおおー!」
輪は二手、三手と揺れてから、ぽとんと芝に落ちる。
(……糸。朝露で糸が重い)
アリアは目線だけで木陰の梢を見た。細い透明糸が、朝日にきらめく。
マーニーが小声で注意する。「ゼッド、角度。逆光で糸が見えるってば」
「次! “念動”!」
ゼッドが両手を広げると、机の上の革の袋がすっと滑る。
歓声。
(底に小磁石。机の裏に誘導磁石)
アリアは、ゼッドの足元の踏み板を踏み換える瞬間に、机の裏がかすかに引かれるのを見た。
「よし、ギアが温まってきたな……!」
「……“ギア”?」
マーニーの眉が寄る。危険なサインだ。
ゼッドの目はきらきらしている。少年特有の「盛り上がると天井を突き破る」光だ。
「第三実験――“衣服把握”!」
(聞き慣れない単語だな)
ゼッドがぴしっと前庭を指差した瞬間――
アリアのマントが、ぶわっと背中から剥がれた。
「……え?」
観客席の空気が、半拍遅れて爆発する。
「マントが飛んだ!」「マントが飛んだ!!」
アリアは反射で外套の前を押さえ、振り返った。
マントは空中で、見えない手に持ち上げられ、風車みたいに回っている。
(糸だけじゃない。空気の流し方。……いや、霧吹きの湿り気で布の重心を――)
「返せ」
「お、おっと! これは計画外の……成功だ!」
マーニーが額を押さえる。「ぜ・っ・ど」
「返せ」
アリアが二度目に言うと、ゼッドは慌てて指をくるり。
マントは――違う方向へ飛んだ。
勢いよく、ドルク師匠の逞しい首にぐるんと巻き付き、師匠は見事に目隠し状態。
「ぬおおおおっ! 視界がっ!」
「師匠ぉぉぉ!」
観客の笑いが裂け、子どもらがわらわらと師匠に群がる。
ゼッドは額に汗。「し、失礼! 次は――」
「次はいい」
アリアは真顔で言ったが、ゼッドの“ギア”は止まらない。少年の耳には、賞賛の音しか届かないときがある。
「第四実験――“ベルト・アタック”!」
(ベルト……)
ゼッドの視線が、アリアの腰帯を捕らえた。
指先がひゅっと空を切り――
アリアの腰で、きゅるんと革が解ける感触。
(うわ、まずい)
彼女は本能で片手を外套の前に、もう片手を腰に回して押さえた。
ほどけた腰帯はくるくる回って小石に絡み、飛び出すことはなかった。
ただ、外套の裾がばさっと踊り、観客席の笑いの拍が最大に。
「ぜぇぇぇぇぇぇぇぇっどぉぉぉ!!!」
マーニーの渾身のツッコミが前庭に響いた。
ゼッドは平謝りで両手を振り回し、アリアは深呼吸を三つ。
彼女は赤面真顔で、淡々と結論を述べる。
「いまのは“非致死・ほどほどな嫌がらせ”の範囲だ。だが次はない」
「は、はいっ。ご、ごめんなさいっ!」
ゼッドは耳まで真っ赤になり、マーニーは彼の耳をむにっと引っ張った。
ドルク師匠はようやくマントから顔を解放し、「このマントは良い生地だな」と場違いな感想を述べた。
*
休憩。
アリアは腰帯を結び直し、マントの埃を払う。
ゼッドが小走りで寄ってきて、ほぼ直角に腰を折った。
「すびばせんでしたぁぁぁ!!」
「言葉を落ち着けろ」
「はい。――でも見たでしょう? ぼくの力」
「見たのは、糸と磁石と踏み板だ」
「ぐ……」
横からマーニーが肩をすくめる。「半分当たり。半分は、ゼッドの“勘”。空気の流れを読むのがうまいの。窓を開けた角度とか、布の重さとか、そういうのが“見える”らしい」
(空気の“支え木”を探す目、か)
アリアはゼッドの手元を見た。少年の指先には色の違う粉がわずかに付着している。
「これは?」
「……澱粉。霧吹きで薄く舞わせて、布の重心を、ちょっとだけズラす。Zapped!――つまり“ひと押し”。ぼくがやってるのは、ほんのひと押し」
「“押す”先が間違うと、飛ぶのはマントだ」
「はい……本当に、すみません」
マーニーが小声で付け足した。「ゼッド、スケベじゃないんだよ。ただ“盛り上がると視野が消える病”」
「病ではない」
ゼッドが抗議しかけ、すぐにしゅんとする。
*
後半戦は、さすがに衣服禁止になった。
ゼッドは反省の色を見せながらも、「ならば」と小さな壺やコマを持ち出し、“ひと押し”の連続。
壺が滑る。
コマが浮く(ように見える)。
朝露を集めた糸が光り、ゼッドは風を読み、手をひと振り――たまたま飛んできた帽子を、アリアの頭にぴたりと着地させた。
「……」
観客「おおおおお!!」
アリアは被された帽子のつばをちょんと下げ、真顔で会釈。
(このくらいなら、まぁ)
「よし、いける! 最終実験――“重力逆転”!」
ゼッドが指を上げた瞬間、空気がひやりと動いた。
さっきまでの粉や糸ではない。
彼の足元の踏み板とは違う場所で、芝がほんのわずかに沈んだ。
(……ん?)
前庭の端に立てかけられた木枠――薄い板の裏から、風。
どこかでばねが戻る音。
ゼッドはそれに合わせて手を振った。
藁の輪が、さっきより高く、ふわりと上がる。
糸の角度ではない高さ。
マーニーが息を呑み、ドルク師匠が眉を上げ、アリアは帽子の下で目だけ動かす。
(ばね。……いや、いまの流れは、ばねを——**押し返した“誰か”**がいた)
輪は数秒浮いて、そっと落ちた。
歓声。
ゼッドは得意満面。
アリアは拍手はする。するが、目の奥に小さな疑問符を残した。
(“誰か”が、押し返した? 風の“支え木”――第二の手)
*
その日の夕方、学び舎の廊下。
マーニーは教官室の片付けを手伝いながら、ため息をついた。
「ゼッド、調子に乗ったら衣服に手を出すのだけは二度とやめて」
「……はい」
「アリアさん、怒ってなかった?」
「怒ってはいなかった。呆れていた」
「それはそれで刺さる……」
外の空気が、ふわっと揺れた。
窓の隙間から、白い紙片がひらと入ってくる。
紙片はゼッドの足元に落ち、“Z”の稚拙な字でこう書いてある。
《明日、もう一度。今度は“名前”を見せる》
(名前?)
マーニーが紙を拾い上げ、ゼッドの顔を見る。
「アンタ、“ゼッド”以外の名前、出すの?」
ゼッドは小さく頷いた。
アリアは廊下の柱にもたれ、帽子のつばを上げた。
「“力”より先に、“名前”を出す。それは、いい順番だ」
ゼッドは照れ笑いしてから、小さく頭を下げた。
「旅の人。明日も、見てくれる?」
「見る。――見る人の仕事だ」
その夜、学び舎の裏庭で、藁の輪がひとりでに少しだけ跳ねた。
風はなかった。
粉も、糸も、ばねの音もしない。
ただ、空気の角が、ひと呼吸ぶん持ち上がった。
(後編 超能力少年 後編 ― “力”より“名前”」へ続く)




