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女騎士の独り旅!  作者: 和泉發仙


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とある銀行での午後 ― 第3話「正当防衛とそのあと」



夕闇が厚くなり、窓の外の影が長く伸びる。銀行の大広間には、膠着の時間が静かに積もっていた。人質の息は浅く、外の衛兵たちの列は夜の風に揺れている。アリアは床に伏せたまま、槍の柄を指先で握りしめ、内と外の両方を見渡していた。


ニコラの手は震えていた。ミルコは窓を気にしつつ、誰かの足音に過敏に反応している。ミランは腕組みして目を閉じ、思案する表情だ。ゴランはひたすら怒りに任せて棍棒を握りしめ、ラザルの背後でその動きを制していた。ラザルの顔は冷ややかで、筋の通った沈着な思考だけがそこにある。


外で、衛兵が一歩前に出る気配がした。やがて役人の声が低く響く。

「帳簿を出せば、情状酌量を願い出る。人質の安全が最優先だ」


ラザルはゆっくりと頭を動かした。ひと言。

「…帳簿を出す。だが、これが終わったら我々は姿を消す。保証を寄越せ」


交渉の糸はわずかに手繰られた。外の衛兵長がうなずき、城の使者を通すことを約束する。そのとき、ゴランがいきなり我を忘れたように立ち上がった。胸の中の暴力が呼び水となる。


「こんなふざけた約束は信じられるか!」ゴランが棍棒を振りかざし、室内が一瞬にして慌ただしくなる。

「動くな!」と叫ぶが、その声は高まった恐怖の爆発でしかない。ニコラの顔は青ざめ、ミランは慌ててゴランを押さえようとするが腕力が及ばない。


その瞬間、ゴランは人質のひとり、若い行商女の首に棍棒の柄を当て、威嚇するように力を入れた。女は叫ぶ声をこらえ、床に両手を突く。空気が切り裂かれる。


アリアは即座に反応した。伏せた姿勢から鋭く膝を蹴り上げ、槍の柄で床を蹴って立ち上がる。時間はスローモーションのようだが、彼女の身体は静かに、確実に動いた。彼女が狙うのは「致命」を避けつつも動きを止める一点――ゴランの腕と肩の角度だ。


「放せ!」アリアの声は低く届く。だがゴランは怒りに支配され、振り上げた棍棒を振り下ろそうとする。アリアは一歩踏み込み、槍の棹で棍棒の一節を受け止め、槍先を滑らすように横へ流す。力の釣り合いが瞬間のうちに崩れ、ゴランの手首が外を向いた。棍棒は不規則な軌道を描いて床に落ち、ゴラン自身の体勢が崩れた。


だが次の瞬間、ゴランは倒れ際に体をひねり、アリアの脇をかすめるように致命的な一撃を繰り出した。狙いは首の下、急所に向いていた。床に伏せた人質たちは悲鳴を上げ、時間がまた引き裂かれる。アリアはその軌道を見切った――避けながら、反撃を最小限に抑えるために足を滑らせ、刃ではなく槍の柄で喉元を弾くようにぶつけた。コントロールされた衝撃がゴランの胸に入り、彼は空気を吸い込むことができなくなった。


ゴランの動きは止まり、目が虚ろになった。床に横たわった彼の体は薄く震え、やがて静かになった。室内には短い、重い沈黙が流れる。アリアは大きく息を吐き、両手を上げてゴランを押さえた。彼女の手に血はつかなかったが、胸の奥の重みは変わらない。


「ゴランを止めた」ラザルが砂を噛むように言った。――しかしその言葉は、状況を解決しなかった。ミルコは泣きそうになり、ニコラの震えはさらに深まる。ミランの目は怒りと恐怖で光る。外の衛兵たちは動揺を隠せない。


衛兵長が声を荒げる。突入の合図を待っていた兵たちの緊張が一気に高まる。外の空気が扉を通じて大広間に入ってくる。だが、その隙間を縫うようにアリアはラザルをじっと見据え、静かに言った。

「これ以上、人を傷つけさせるなら、私は貴方たちを止める。私は守る。ここにいる命は私が守る」


ラザルはラザルらしく冷静な決断を迫られた。彼が本当に求めていたのは帳簿の隠蔽か、あるいは復讐か。それが何であれ、目の前に生きた人がいる限り、彼は選択をせざるを得ない。やがて、ゆっくりと肩を落とす。ニコラは俯き、嗚咽を漏らす。ミランは両手を胸に当て、沈んだ声でつぶやいた。

「やめよう…これ以上は……」


外の衛兵が扉に手をかけ、ゆっくりと中へ入る。銃声のようなものはなかった。鎧の金属音、兵の靴音、役人の低い声が大広間に混ざる。ラザルは短く叫び、彼らに向けて古い帳簿を差し出した。帳簿は震える手で差し出され、衛兵長がそれを受け取る。記録が公になる瞬間、ラザルの肩の力は抜けた。


突入の代わりに、子供たちのために用意されていた毛布や水が人質に配られた。衛兵は強盗の手足をしばり、負傷者には手当てを施す。ニコラは床に座り込み、嗚咽を繰り返す。ミランはうつむいたまま涙を拭い、ミルコは震えながら誰かにしがみつく。


アリアは外套の裾で額の汗をぬぐい、ぐっと肩で息をついた。彼女の戦いは終わったが、胸の内の重さは消えない。人を殺したわけではない。だがゴランはもう動かない。正当防衛が成立する瞬間は、法の後で検証されるべきものだ。それでも、彼女はその場で剣を収め、静かに言葉をこぼす。


「致命を望んでいたのは向こうだ。私は守った。だが…生まれたものの重さは消えない」


衛兵長が近づいてきて、短く礼をした。

「騎士殿、迅速な行動に感謝する。我々は事情を調べ、必要な手続きをとる。あなたの行為は……正当防衛として報告されるだろう」


アリアは俯き、一度だけ小さく頷いた。儀礼の言葉が、彼女の心の冷たさを完全には拭えない。救われた命と失われたもの。世界は等間で正しく回るわけではない。彼女はそれでも、床の人々に微笑むように視線を投げた。


「これから…生きてやり直せ」と、彼女はニコラに近づき、声を落とす。ニコラは顔を上げ、目に光が戻っていく。

「俺…どうすれば…」

「まずは罪を償え。そして、同じ轍を踏むな。命を取られたら、誰も償えない」


その言葉は厳しく、しかし救いを含んでいた。アリアはその場を離れ、外套を整え、旅の支度をする。町の人々がざわめき、誰かが「女騎士がいた」と囁く。アリアは短く頭を下げ、静かに去る。


外に出たとき、夜風が彼女の頬を冷やした。彼女は歩きながら思う。正当防衛という言葉が法で守っても、心の中の審判は消えない。だがそれでも、誰かが立ち上がって人を守るとき、世界はほんの少しだけ折り合いをつける。


遠くで、昼に散った帳簿の一枚が風に乗って舞い、路地の隅にひらりと落ちた。アリアはそれを見て、そっと視線を外す。独り旅は続く。彼女の足取りは重くても確かだった。


(了)


後書き


今回の「狼たちの午後」風エピソードは、アリアの独り旅においてはやや異色な“籠城サスペンス”でした。

普段は「非致死・ほどほど」「鐘は鳴らさない」を徹底するアリアですが、今回は武器を振り下ろそうとした相手に対して正当防衛として立ち回らざるを得ませんでした。


その選択が「人を守る」という彼女の信条に即したものでありながらも、後に重みを残す――。

ここに「命を落とさせないための戦い」と「それでも残ってしまう心の澱」の二面性が描けたかと思います。


また、強盗五人をそれぞれにキャラクターづけすることで、単なる悪役にせず、人間臭い迷いや弱さも加えました。

特にニコラのような若造は、アリアが語りかける「やり直せる」という言葉の受け手として、今後どこかで小さな希望を灯す役割を担えるはずです。


本編中で繰り返された「午後」の時間感覚――永遠に続くような膠着、重い空気。

それはまさに映画『狼たちの午後』のオマージュでありつつ、アリア独自の「旅の途中で巻き込まれた一幕」として落とし込みました。


鐘を鳴らさずに済んだこと、命を最小限に守れたこと。

それでも「拍の乱れ」によって崩れる均衡は、物語の中で繰り返し描かれていくテーマのひとつになっていきます。


次の独り旅エピソードでは、また違った町や人々との出会いを描き、アリアの旅を続けていきます。

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