魔境国アリアンロッド編・ルミナの歌、幸福の花
ルーンブルクの夕暮れの鐘が遠くで鳴る。
エリオットは静かな笑みを浮かべ、肩に寄り添う淡い光を見つめていた。
それは、幾つも連なる浮遊霊のうちのひとつ――
今、微かに旋律を口ずさむ少女の魂だった。
「以前、聞こえた歌……私、前に歌っていたのかも」
彼女の声は震えていた。
懐かしさと、どこか寂しさを帯びた音。
「思い出したのなら、行こう」
エリオットは優しく頷き、手を翳す。
「君を見届けてくれる人たちがいる。」
***
転移の光が静かに弾ける。
辿り着いたのは、夜灯のともる学園の食堂だった。
テーブルの上には“ルミナス”と“幸福の花”が並び、
その傍らで、アリアとルーンが談笑していた。
「……あら?」
ルーンが顔を上げる。
「あなたたち、珍しい取り合わせね。」
「少し話がありまして」
エリオットは短く息を整えた。
「この子が、自分の歌を思い出したんです。
名前を……与えてあげたい。いいですか?」
ルーンはしばらく黙ってその霊を見つめ、
やがて穏やかに微笑んだ。
「ええ、わかりました…」
アリアが軽く頷く。
「聞かせて。あなたの名前は?」
「え……と、幸子……たしか、そう呼ばれていました。」
震える声が、蝋燭の炎を揺らす。
ルーンはその名を口の中で転がし、静かに杖を掲げた。
「幸子。いい名前ですね。でもこの世界では――光に生きる名を贈りましょう。」
彼女の手から、柔らかな金光が溢れ出す。
「あなたの名は――ルミナ。
光に宿る歌。幸せを運ぶ声。」
淡い霊がゆらぎ、白金の髪をもつ少女の姿が現れる。
瞳は春の湖のように澄み、唇が微かに開いた。
「ルミナ……」
「うん。それがあなたの新しい名だよ。」
エリオットが静かに笑う。
***
そして、最初の音が生まれた。
ルミナの唇が震え、やわらかな旋律が広がる。
音は空気を通って、食堂の中央に置かれた“ルミナス”へ届いた。
青白い魔光がふっと明滅し、幸福の花が応えるように揺れる。
――共鳴。
音と光が重なり、輪となって広がった。
幸福の花が淡く輝き、ルミナスはその輝きを再び花へと返す。
まるで呼吸するように、二つの奇跡が互いを映し合う。
アリアが息を呑む。
ルーンの頬を淡い光が照らした。
「これが……“幸福ループ”……」
歌はさらに広がる。
食堂の窓を抜け、廊下を、街を、空を越えて――
アリアンロッド全土へ。
各地の幸福の花が順に咲き、
プラチナフロッグが跳ね、夜空を彩る星々が歌声に応じて揺れる。
それは、終わらない祝福の連鎖だった。
***
「鐘を鳴らさずとも、届くものがあるのね」
アリアが微笑む。
「ええ」
ルーンが頷いた。
「歌と光。――それだけで、十分。」
エリオットの隣で、ルミナは静かに歌い続けていた。
幸福の花がひとつ、またひとつ、音もなく咲いていく――。




