とある銀行での午後 ― 第1話「銀行籠城事件発生」
昼下がり。港町の商会兼銀行は、普段どおり帳簿をめくる音と、貨幣の触れ合う音だけが響いていた。
アリアは両替窓口の前に並び、旅資金を革袋から出していた。次の遠征に備えて、銀貨を小分けにしておく必要がある。
(こういう作業は、旅の命綱だ……)
職員が「順番をどうぞ」と声をかけた、まさにその時だった。
がしゃん!
正面の扉が開け放たれ、五つの影が飛び込んできた。
「全員動くな!」
「床に伏せろ!」
覆面に布を巻いた五人組。短剣や棍棒を振りかざし、客や職員に怒鳴り声を浴びせる。
人々は悲鳴を上げ、硬貨をばらまきながら床に伏せた。
アリアも目を細めつつ、ゆっくりと膝を折り、手を広げて従った。
(……強盗、か。だが、狙いは金だけではないようだ)
先頭の男――体格の良いリーダー格が、窓口の奥に向かって叫ぶ。
「ラザル様のお言葉だ! 帳簿を出せ! 今すぐだ!」
帳簿?
金庫ではなく帳簿を?
アリアは眉を寄せた。
覆面たちはそれぞれ持ち場についた。
リーダーの名はラザル。他の四人も名を呼び合う。
「ゴラン、客を見張れ!」
「ニコラ、そっち押さえろ!」
「ミラン、出口を固めろ!」
「ミルコ、二階を見張れ!」
人々は震えながら床に伏せている。アリアの耳に、震える青年の声が届いた。
「……俺、こんなの初めてだ……」
(あれがニコラか。声の震え、呼吸の乱れ――素人だ)
ゴランと呼ばれた大男が、乱暴に客の肩を蹴る。
「顔を上げるな! 剣を抜こうとしたら殺すぞ!」
目の端で睨まれる。だがアリアは外套の陰で冷静に観察を続けた。
二階の窓から、慌てた衛兵たちの声が聞こえてくる。
「籠城だ! 出入口を封鎖しろ!」
「鐘を鳴らせ!」
ラザルが叫ぶ。
「鳴らすな! 鐘を鳴らせば、この中の命はない!」
静まり返る銀行。
人々の呼吸が乱れ、鼓動の音さえ聞こえそうだった。
アリアは真顔で小さく息を吐いた。
(……これは長引く。鐘を鳴らさず、拍を保てるかどうか――)
彼女は、ただ旅の資金を両替するために立ち寄っただけだった。
だが今、見知らぬ町の見知らぬ人々の命を守るため、真顔で床に伏せながら、頭の中で状況を組み立て始めていた。
(帳簿を狙う理由……。強盗というより、揉み消したい記録でもあるのか。
――いずれにせよ、“非致死・ほどほど”。鐘は鳴らさせない)
外の衛兵の足音、室内のざわめき。
そして、覆面五人組の緊張。
銀行の昼下がりは、突如として、永遠に続く午後へと変貌していた。
(つづく)




