魔境国アリアンロッド・リリス編 その6「炎の札」
町の広場に重苦しい熱気が立ちこめた。
バルドが掲げる最後の札は、燃え盛る焔そのもの。
その周囲の空気がねじ曲がり、石畳さえ赤熱しはじめる。
「くはは……この札は禁呪“炎獄符”。町ひとつを焼き払う代物よ!
おまえらがどれほどあがこうと、焼け跡しか残らぬわ!」
群衆が絶望に呻き、悲鳴が広がる。
僧侶兄弟は互いを見合い、白狐は牙を剥いて低く唸る。
リリスは一歩、静かに前へ進み出た。
――熱は確かに恐ろしい。
だが、恐怖に流されれば道は閉ざされる。
リリスは胸の奥で太極の呼吸を回す。
大地から足裏を通じて力を引き上げ、腹に収め、掌へと流す。
「……みんな、下がって」
彼女の声は驚くほど落ち着いていた。
バルドが札を地に叩きつける。
瞬間、炎の壁が爆ぜるように広がり、周囲を包み込もうとした――。
「“化”」
リリスの掌が柔らかく空を払う。
炎は正面から押しとどめられるのではなく、流れるように左右へ逸らされていく。
まるで川の水が岩を避けて進むように。
「な、何っ……!」
バルドが目をむく。
炎の奔流は、リリスの立つ中心を避けるように分かれ、広場の外壁へと逸れていった。
しかし威力は凄まじく、石壁を焦がし、地を震わせる。
「掤!」
リリスはさらに一歩進み、両掌で炎の渦を受け流す。
円を描くように動かした手のひらが炎を巻き取り、その流れを弱めていく。
僧侶兄が即座に詠唱を重ね、光の障壁を張る。
僧侶弟も後に続き、炎の残滓を浄化した。
白狐が疾走し、バルドの背後に飛びかかる。
「ギャアッ!」
鋭い爪が札を持つ腕を引き裂いた。
札が空へ舞い上がり、地に落ちかける。
リリスはその瞬間を逃さない。
「按!」
掌から押し出された気流が、炎獄符を叩き砕く。
破片は赤い光を散らし、煙となって消え失せた。
広場に沈黙が訪れる。
群衆は誰も声を出せず、ただ炎の痕跡を見つめていた。
「そ、そんな……私の切り札が……!」
バルドは膝をつき、うわごとのように繰り返す。
「こんな……小娘ごときに……」
リリスは静かに歩み寄り、彼を見下ろした。
「あなたは“力”を奪い、縛り、利用することでしか生きられなかった。
でも、私は“力”を流し、和をもって解き放つ。
……それが、太極という道です」
その声に、町の人々の瞳が潤む。
やがて誰からともなく拍手が広がり、歓声が轟いた。
「勝ったんだ……!」
「リリス様が……守ってくれた!」
僧侶兄弟は肩を叩き合い、白狐は尾を高く掲げて吠えた。
――奴隷商人バルド。
その恐怖と暴力で支配していた支配者は、今やただの敗者として捕らえられることとなった。
リリスは拳を下ろし、深く息を吐いた。
「……これで、みんなが自由になれる」
その言葉は広場全体に響き、涙と歓声で迎えられた。
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次回:リリス編 その7「解放の朝」
→ リリスが勝利を収め、町の奴隷たちが解き放たれる。新たな仲間や誓いが生まれる回です。




